えびす講とちんどんや
本日より3日間、長浜商店街連盟主催のえびす講が始まりました。本年は昔懐かしいちんどんやに練り歩いてもらいました。
今日は雨となぜか小学校が授業があったこともあり、連休初日にしては少なかったですね。それでも、雨が心配されたにもかかわらず、私の晴れ男の心情発揮でしょうか(笑)、雨も何とか上がり、ちんどんやの巡航には問題がなかったようです。
私どもの大手門通り商店街では今日と明日の11時からと14時から出世甘酒の振る舞いを行っています。
理事長も今日は頑張ってくれました(笑)。
ちんどんやは大阪のちんどん通信社東西屋から4人編成で来てもらいました。ここは、ちんどんやでは西の雄です。やはり上手ですね。他の商店街もまわったのですが、各地で上手にイベントの披露やお客さんと記念写真に納まったりしていました。
そして、博物館通り商店街ではスエヒロさんの牛筋煮込みの振る舞い。
この通り凄い行列でした。私も食べたかったけどお客さんに召し上がっていただくのが先ですから、皆遠慮しました(笑)。
きょうのちんどんや。申し込むときの会社の電話応対も出演者の皆さんも本当に楽しくなるテンポで話します。これは大事だなと思います。
ちんどんや、病み付きになりそうですね。また商店街で呼ぼうと思いますので、その時までのお楽しみ。
明日は、やわた夢小路商店街が川崎屋で豚汁、大手門通り商店街では甘酒をふるまいます。甘酒は佐藤酒造が絞ったばかりの酒粕を進呈してくれています。本当に美味しい甘酒です。ぜひお越しください。
今日のちんどんやさんが言っていました。「こんなに面白い興味をそそる商店街はなかなかありません。」と。途中の傘や提灯の店ではちょっと興味深そうに店に入っていました。
気が付かなかった良さを感じさせてくれた1日でした。
明日からえびす講
長浜商店街連盟では明日23日から25日の日曜日まで「大盤ぶるまい」と称して所属各単会(商店街)がいろいろと趣向を凝らしたおもてなしの振る舞いを行います。
大手門通り商店街と交差する博物館通り商店街では23日はスエヒロさん、25日は白さんの茶しんさん特製のものがふるまわれます。大手門通り商店街は甘酒を23,24の両日11時からと14時から行います。
その他明日23日は東西屋というチンドン屋が11時から16時までの間、まちをねり歩きます。なかなか本格的なちんどん屋を見ることはありませんので是非ともお越しいただきたいと思います。
このえびす講。私が子供の頃は商店街の大売り出しとして本当ににぎわいました。私が生まれる前の長浜市の写真などを見ると、もっとすごい光景です。
今でもスーパーなどが売り出しをするときは人出がすごいのですが、あれとはまた違った、何か人間臭さを感じる賑わいですね。
商店街も車で行くことが困難で確かに行くことは少ないかもしれませんが、こういうものは残していきたい光景です。
訃報
先日の野田首相の突然の解散表明の日に国民栄誉賞受賞者で日本のお母さんと言われた森光子さんが亡くなられました。毎年のことですがニュースで著名人の訃報が流れます。
今年亡くなられた方でびっくりしたのは流通ジャーナリストの金子哲雄さん。テレビで評論家などが集まっていろんな説を面白おかしく、明石やさんまと女子アナのカトパンの上手な進め方で盛り上がる「ほんまでっか」などで流通業界の話を上手に伝えてくれました。
あの若さで亡くなられるとは。何でもご本人は、もう死ぬのがわかっていたそうで、自分の葬儀についても、ご自身でプロディユースをされたそうです。最後まで重体であることを隠し亡くなられる前の日に挨拶文を記されたそうです。この文章を読んでみると本当に真剣に生きた彼の人生に拍手を送りたくなります。残念ですね。
さて、今年も私の身内や知り合いでも何人か訃報がございました。つい先日もありました。葬儀に参列させていただいた方やそうでない方もおられますが、どちらにしても訃報を聞くと身内でなくても本当にさびしさが改めておきてきます。
私もこの歳になってくると若いときに亡くなった叔父を除いて父や母の兄弟の訃報に接することが多くなってきます。本年も母方の伯父が一人亡くなりました。母によるとその伯父は非常に勉強ができたそうですが、あることで、ある意味、最初に望んだものとは違った道を歩んだそうです。しかし、その与えられた道をその場その場で与えられた道を一生懸命に過ごしました。葬儀には伯父を慕ってたくさんの参列者がありました。
亡くなった伯父は、私が挫けそうになった時に厳しくも大切な言葉をかけてくれました。また楽市に出店した時だったと思いますが、経営者として、また初代と2代目の世間の見る目というものに対して大切なことを教えてくれました。
今回の事業に対しても伯父はどう見てくれるのかな?ちょうどかかり始めるころに亡くなりましたので訊けなかったのが残念です。
伯父は亡くなる前の日に「***は死にます。」と一言を残し亡くなったそうです。
訃報があったとき、初めて知らされるような感じの、その人の人生。そこから自分なりに学ばせていただくもの、見つめ直すものは多いような気がします。
ひょろろん、ひょろろん、ひょろろんろん
変なタイトルだなと思いでしょうけれど、本日「のぼうの城」を再度見てまいりました。
過日に試写会に行き、もう一度見たいと思っておりましたが、期日が迫ってきたので見に行った次第です。
さすがに2回も見ると飽きるかなと思いましたが、もう一度見たいなと思いました。1回目の時に見落としていた部分がありました。
このタイトルは田植えをする時の農民の踊り、田楽踊りの時の掛け声です。野村萬斎扮する、のぼう様こと成田長親が農民に慕われ、一緒に踊っていたりします。
しかし、これが500の兵力で石田三成率いる2万の軍勢に負けない戦をする原動力となっていました。
一見バカに見えるのぼうさま。しかしそこにはち密に計算されつくした考えがあります。
石田方が水攻めをすることがわかっても「あの堤を作っているのは百姓だろう。心配ない。」と言います。
水攻めをされ窮地に陥った時、船に乗って敵方近くまでより「ひょろろん。」の掛け声とともに敵味方を一つにくぎ付けさせる。そして自分が撃たれて、味方の士気を上げる。そして、この田植踊りを見せることにより、外にいた自分たちの百姓たちが水攻めの堤を壊してしまう。これは自分の作った田んぼを壊される百姓の無念さをあおる。三成曰く、「見事な戦術。」ですね。
いかなる事業も、やはり人である。人の大切さ、すごさ、面白さを醸し出す素晴らしい映画ですね。
回し者ではありませんが是非ともご覧いただくことをお勧めします。
ビバシティシネマに訊いたら12月14日までとか言っていました。が、確認してください。
久しぶりに面白い映画でした。
初めて生バンザイ
何と師走の総選挙になりましたね。これは1983(昭和58)年の中曽根内閣以来のこと。この時の私は大学4回生。春に統一地方選挙、夏に参議院選挙と合わせて大きな選挙がなんと3回もあった年でした。当時の中曽根首相が「戦後政治の総決算の年」なんて言いまして、アメリカの当時のレーガン大統領と「ロン、ヤス」で呼び合って「不沈空母」なる言葉も飛び交っていたのを思い出します。その年の冬は59豪雪になるのですが、私がいた京都でも大雪になり、選挙も雪の中で行われたのを覚えています。何か印象深い選挙でした。
この結果は自民党が過半数割れで選挙後の組閣は新自由クラブ(当時)との連立内閣でありました。この時は、戦後の芦田内閣以来の連立内閣で、自民党がいかに長く、単独政権であったかを思い知らされた年でした。
最近は過半数を占めても参議院とのねじれを解消するために連立内閣が当たり前ですが、今度もそうなるんでしょうね。比較第1党は自民になるのかもしれませんが、第3党以降の動きででどうなるのか?来年に向けて他人ごとではいられません。
さて解散になればなぜ「万歳」をするのか?これは意味不明だそうですね。
私も昨日、たまたま家にいまして生まれて初めてLIVEで解散の瞬間の国会中継を見ました。
その時なぜ万歳をするのかわかったような気がします。この解散は天皇陛下の国事行為の一つです。陛下からの解散の詔が発せられたのですから、それに対する万歳なのかなと私は勝手に思いました。おそらく油甚さんが、また解説してくださいますやろ(笑)。
いずれにせよ、新しい日本を作り上げるきっかけとなるものですから、素直に万歳してもいいのではないかな。間違っても白旗の万歳ではなくて。