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湖北町に新道場

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本日の滋賀夕刊を見ますと、私が高校時代に柔道を教えていただいた片桐先生が湖北町に道場を開かれることが載っていました。

 

片桐先生は虎姫町のスポーツ少年団で虎道館の指導者として14年間、柔道を通じて青少年育成に取り組んでこられました。その間には女子柔道の大学選手権や先日のブルガリア国際で優勝したT選手を始として中学や小学校の全国大会の出場選手を多く育てられました。

 

その間にも、ご自身が世界マスターズ柔道で優勝したり、柔道への情熱は素晴らしいものがあります。

 

このたび、虎道館から独立され新たに道場を開設することになりました。伊香郡は柔道が非常に盛んなのですが東浅井郡は中学などに柔道部がなく、特に湖北町は道場すらありませんでした。そこで、湖北町で始められるということです。

 

私も自分の健康づくりの事もあり、影ながらお手伝いすることになりました。本当は少しづつ稽古をつけてやりたいのですが、怪我をしてしまいましたので、クチだけ(笑)でやらなあきません。仕事もありますのであまりできませんが、子供たちが夢を持てるような道場作りのお手伝いをほんまの微力ながらして行きたいと思います。

 

 

礼儀と身体に自信を付けるには柔道は最適です。子供の頃に柔道をしておけば、後にサッカーなどで接触プレイなどが多いスポーツでも自信を持ち、受身などが身について怪我防止にもなりますからぜひお勧めします。

200号雑感

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 先日、カウントのところを見たら、今回でなんと200号。150号は気がつかないうちでしたが、今回は気がつきました。

 昨年夏、近江高校の試合の後に始めたものが、彦根東の試合の後に200号。なんか甲子園づいていますね。2ヶ月前に怪我をしてから、書きたい事はあるのですが、その場になると「ネタはなんやったかな?」という風になりまして、忘れるとペンが進みませんね。それで最近ちょくちょく間が抜けております。

 この200号の間、スポーツなどでの感動や、政治や大相撲への失望、仕事やまちづくり関係での愉しい話題などを取り上げてきました。皆さんからコメントいただいたりして、暇な時は携帯で見ているといろんな情報を目にしまして、本当によく勉強させていただいております。ありがとうございます。

 さて、ご存知のように曳山祭りが近づいておりまして、昨日も今日も(明日以降はありませんが)中老の寄りがあり、慌しくなってきました。さあ、いよいよまつりをたのしもうというところであります。

 そんななか、昨日生まれて初めて湖北町の河毛駅まで電車に乗りました。妻のお父さんの少し早い誕生祝を行ったのですが、商店街の会合が入りました。幸い、いつになく、早く終わったので夜9時ごろ駆けつけました。

 タクシーで行こうと思ったら敦賀行きの電車が、たまたまあり、河毛駅まで迎えに来てと連絡して電車に乗りました。

 2両編成の電車でしたが、たくさん乗っていました。席はありましたが立っている人が多かったですね。虎姫で多くの外人が降りましたし、河毛駅でも40人位は降りたんではないでしょうか。

 河毛駅は昔は坂田駅と並んで1日に4本くらいの気動車のみが停車。車両の一部はホームをはみ出していたところです。当然利用者は殆どいない駅でした。

 しかし、今では車両の編成本数といいJRになってから本当に変わりましたね。無駄がなくなりました。また、湖北町にも新興の住宅地があるからでしょうかたくさんの人が降りました。少年時代とは河毛駅のイメージが随分と変わっております。

 今回の200号、よく続いたものだと思います。とりあえず早く、右手をなおして、皆さんと愉しいコブログ談義を行って行きたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

さわやかな彦根東とつまらない週刊誌

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 大相撲の八百長裁判、K社に多額の賠償命令の判決が出ました。実際、八百長のような相撲はあるとしても、大相撲にとっては必要悪であり、ファンの夢を損ねるものではありません。むしろ、K社の人の不幸や過ちで儲けようとする姿勢の方が世の中を不幸にしている悪の根源であります。K社は反省してもらいたいのですが、どうも難しいようです。

実際、先日の週間Gでは「WBCの侍ジャパンが空中分解寸前」と書いていて、本日発行の写真週刊誌Fでは「侍ジャパンの感動を振り返る」アホらしくなります。その代わりでしょうか大物女性タレントF・Nと離婚したお笑いタレントJ・Tが浮気した相手の証拠写真提供のニュースを掲載しています。本当にあきれます。

 

そんな、人間が貧しくなることはもう忘れて、昨日のさわやかなニュース。やはり、スポーツはいいものです。 

 

油甚さんのブログにもありましたが、彦根東はよくやりました。エースの金子君、見事なピッチングでした。昨年北大津が東北、横浜を連破。それに引き続く、素晴らしい試合でした。

 金子君にアクシデントがあった後、これは地力の差が出て一方的になるかなと思いましたが、シーソーゲームになりました。慶応が昨秋の明治神宮大会で優勝して特別出場枠を持っているレベルの高い関東地区で準優勝の習志野も落ち着かない試合だったと思います。

近畿地区初の21世紀枠出場。その選ばれた内容に違うことない試合運び。長浜から出場の杉中君や京極君、林君よくやってくれました。特に京極君は体の故障にめげず本当にさわやかな伝令がテレビでよく紹介されていました。素晴らしい感動を滋賀県民に与えてくれたと思います

 この夏の滋賀県大会が楽しみになった彦根東の試合。非常に寒い冬の中での試合でしたが、「春はセンバツから」の名にふさわしい彼らに「ありがとう」をいいたいですね。

 

 

 

 

 

 

アジアの誇り

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昨日のWBC、すごかったですね。コブログにも関係する多くの記事が載っています。イチローが最後に打った場面。たまたま休みだった私はテレビ観戦していましたが、9回追いつかれたところで怪我の治療のため病院へ。病院で受付してしばらく、会計の待合場でテレビ観戦していた人達から大きな拍手で知りました。レントゲン検査をしに行くと係りの人が「日本優勝しましたね。」といってくれて「良かったですね。」といって、喜び合いました。こんなこと久しぶりじゃないですかね。

 

WBC。本当に色々問題がありました。日本がした全9試合中、韓国と5回、キューバと2回、中国、アメリカと1回。なんと4つの国しか試合をしていないのです。いくら、営業面でのこととはいえあまりにもおかしなシステムですね。

 

投手の玉数制限。ある意味、試合の流れが変わる事もあり面白いかもしれません。このルール期間限定で考える余地はあると思います。

 

今大会はアジアの2チームが大会に合わせてある程度仕上げて来ましたそれに対しアメリカなどは調整の位置づけ。昨日の朝日新聞にありましたが「アメリカがこのような姿勢をとり続けている限り、次回以降の優勝の可能性も低いと見ていいのかもしれない。」とありました。まさしくそう思います。

 

昨日の試合、イチローのヒットが目立っていますが、岩隈の素晴らしいピッチングと内川の素晴らしい守備があってこそです。岩隈が同点本塁打を浴びた後のスライディングキャッチと2塁への送球によるアウト。あれで、韓国への流れを止めた、史上最高のスーパープレーでしょう。また、9回同点に追いつかれたとき、無理にバックホームせず、3塁への進塁を止めたことが、延長での逆転につながりました。

 

韓国のクローザーはヤクルトの林。サインの伝達ミスだったそうですが、そんなことは関係ありません。あの二人の対決は両者がしのぎを削った最高の勝負だと思いますよ。

 

とにかく、日本人であることに皆が誇りを持ち、日本と韓国で素晴らしい世界最高の決勝戦を行った両チームに大きな拍手を送りたいです。

韓国チームは日本より力はもう上であったと思います。ただ、マウンドに国旗を立てる。その精神面の未熟さが最後の勝敗を分けたのかもしれませんね。

 

アジアの誇りの両国に乾杯!いいゲームをありがとう。

秀吉

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WBCにかくれて選抜高校野球が始まりました。市内でも北近江戦国浪漫フェスティバルが始まりました。長浜は10年の間に2回大河ドラマの博覧会(秀吉と功名が辻)ができたわけでいい歴史の舞台ですね。最近の若い女性に歴史は人気だとか。私も20年遅く生まれたらよかったのに(笑)

 

 

先日NHKの「そのとき歴史が動いた」が最終回となりました。その中で堺屋太一氏が歴史が動いた時として山崎の合戦を上げておられました。秀吉の人心掌握術などの素晴らしさなどを語っていましたが、堺屋さん原作の平成8年の大河ドラマ「秀吉」で「なるほど。」という場面がありましたので紹介します。

 

秀吉が備中高松城の水攻めのとき本能寺の変で信長が死に、それを知った秀吉が毛利と和睦して、すぐに引き返し、山崎の合戦で明智光秀を破ります。秀吉は後に賤ヶ岳の合戦でも大返しをするのですが、このときも見事でした。毛利に信長の死を知られないうちに和睦して毛利に追いかけられないようにして、大返しをせねばなりません。その交渉の場面。毛利の代表は後に関ヶ原の合戦で西軍につき石田三成と共に京都六条河原で切られる安国寺恵慧でした。

 

ドラマでは秀吉(竹中直人)と恵慧(中条きよし)が和睦交渉。恵慧は急な和睦と入ってくる情報から信長の死を悟ります。しかし、以前に織田信長及び秀吉と面会した時、恵慧は主君の毛利に「信長の性格ではそのうちにひっくり返りましょう、しかし秀吉はさりものとて候(なかなかのやり手、優れた人物)」と伝えています。 

そうして二人の交渉で、秀吉の要求を受け入れて和睦をした恵慧は「まことに秀吉殿は、さりものとて候。」と語り、その場をあとにします。秀吉は深く礼をして送ります。

 

毛利方の立場でいえば信長がなくなったことから、明智光秀とくんで秀吉を挟み撃ちにして高松城を助け、毛利が天下に号令するチャンスでした。恐らく恵慧は、それをする事が出来たであろうと思われます。

しかし、彼は秀吉と毛利3兄弟(毛利隆元、小早川隆景、吉川元春ら)を比較し、天下のため秀吉を選択したのではないでしょうか?この場で秀吉を滅ぼしてもその後に続く戦国の世で天下をとるには3人は秀吉に及ばないであろう。ましてその息子たち(毛利輝元、小早川秀秋、吉川広家)らではなんとも仕方がない。天下のことを考えて、恵慧は秀吉を選択。毛利は毛利元就が中国地方から欲張らずに3本の矢(毛利3兄弟)で守っていくようにの遺言もありました。事実、これを忠実に守った事で幕末に長州藩として大きな活躍をする事になります。

 

このような天下を動かした選択。堺屋太一さんが歴史が動いた大きな場面で山崎の合戦の秀吉の大返しパート1を上げていますが、この場面もその一つではないかと思います。

 

 

 

 

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