チンチン電車(路面電車)
昨日、京都の通りのわらべ歌を書きましたが記事中の「京阪山科と地下鉄の山科の駅があり、利用する駅によって運賃がかなり違う。」というところにメイさんがコメントくださいました。
お返事を書いているうちにこの区間が昔は京阪の京津線の一部で路面電車として走っていたことを思い出しました。以前は京津線は三条から浜大津まででしたが今では山科から浜大津で山科から三条は京都市営地下鉄の東西線になっています。そのため三条とは言わず京阪三条という駅名になっています。
京阪によると京阪が地下鉄に乗り入れておりその利用料が発生するため運賃が高くなるのだとか。
私は好きでしたね。以前は山科から京都の町中へ京阪で行くと路面電車の区間があり何か郷愁を感じるものでした。ただ、そのために三条通りは混雑し慢性的な渋滞でしたね。そのため、地下に潜ってしまったんですね。
ちなみに京阪も三条から大阪方面には地下に潜っています。大阪でも京橋から潜りますので最初と最後が地下であるというわけです。まあ、都会だから仕方ないことですが。
京都は琵琶湖疏水を利用した蹴上の水力発電で日本で初めて電車が走ったことでも有名です。あの路面電車は通称「チンチン電車」と言いました。路面を走っていたので危ないのでチンチンと警告の鐘を鳴らして走っていたからです。
市営の路面電車は確か私が高校2年(昭和53年)まで走っていたと思います。高校の春の遠足で京都駅から清水寺まで乗りました。これはその時唯一残っていた路線でした。
路面電車は今では大津の京阪電車・石坂線の一部にありますね。京都では京福電車の通称・叡電や嵐電の一部にまだ残っているのかな。路面電車には何か感じさせるものがありますね。
ちなみに京阪電車の浜大津から京都方面に行くきつい坂の路面電車の部分があります。あそこは冬は凍って上がれなくなることで線路に砂をまいて滑り止めにしていました。京阪ではこの砂を受験のお守り(すべりどめ)として販売しているようです。
京都の通りのわらべ歌
滅多に長浜を出る事がない私が今週は3回も京都や大阪方面に行きました。先週、米原方面に配達に行った折に例のシャトル切符を醒ヶ井駅で購入して参りました。あらかじめ予定がわかっていたら購入しておいてもいいですね。もし万が一キャンセルになっても未使用であれば払い戻してくれます。
さて京都に行ったときのことでした。実はその前に大津に用事がありましてそれを済ませて京都へ移動。少し時間がありましたので知り合いが造った店を見て来ようと思いつきました。場所は「三条新京極下る」と聞いていましたので山科から地下鉄に乗り三条京阪まで乗りました。
山科から乗る場合は気をつけないと。実は2つ駅がありまして京阪山科で乗るのと地下鉄の山科で乗るのとは料金が100円以上違うのです。2つあるのは初めて知りました。
さて、京都は住所表記を通りの名前で言います。例えば烏丸丸太町(からすまるまるふといまちではありません、からすままるたまちです)なら南北の烏丸通と東西の丸太町通りの交わったところで、そこを基点にして「上る」と言えば北へ行くこと、「下る」といえば南に、そして「東入る」(ひがしいる)と言えば東に行くこと、西なら「西入る」です。これの方が京都市何々町よりわかりやすいですね。
知り合いの店は「三条新京極下る、東入る」と聞いておりましたのですが、一向に見当たりません。そこで電話をして聞いたら三条河原町から下って六角通を入ったところとのこと。それなら「河原町六角西入」の方がわかりやすいじゃないですか。実際にすぐ見つかりました。
京都の通りはわらべ歌で順番が言われています。代表的なのは「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦四綾仏髙松万五条」つまり北から丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池、姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦(錦市場で有名なところです)、四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺、五条の順番です。南北もあるんですが、知りません。
これ覚えておくと、結構便利ですよ。
高校野球滋賀大会
高校野球の滋賀大会。記事を書きたかったのですが、いつの間にか終わってしまいました。優勝候補の筆頭であった北大津が八幡商業に敗れて2年連続の甲子園はなりませんでした。湖北中出身のキャプテンの山本君。大会前に大変な問題があったのですが、よくチームを纏め上げて頑張ったと思います。
それにしても湖北勢が振るわなかった大会でした。1回戦勝ったのは伊吹と米原の米原市勢だけ。長浜市勢は全て1回戦敗退。特に我が母校の虎姫。石山相手にコールド勝ちのペースでした。しかし雨での中断が明暗を分けたみたいです。
石山が点を入れて追い上げ。それでも8回の裏の石山の攻撃を0点に抑えたら8回コールド勝ちでしたが石山が点を入れてコールド負けを逃れ、9回は5点差あったのに石山に6点を入れられてサヨナラ負け。悪夢でしたね・・・・。
その他では近江兄弟社高校の押谷君(びわ中出身)が滋賀県初の完全試合。今までノーヒットノーランは何人かいました。その中の一人が伊香の藤高投手。長浜商工相手に達成しています。このときは準決勝で当時は準決勝からコールドがなし(今は決勝のみ)。だから14-0ぐらいだったかな。コールドなら参考記録ですからね。ちなみにこの日は膳所が5回コールド勝ちで参考記録ながら完全試合。完全試合が2つもあった歴史的な1日でした。
山本君や押谷君のように湖北出身の球児が他の地域の学校で頑張ってくれた大会でした。
S夕刊に「情けない湖北の高校球児」と時評(コラムと社説みたいなもの)に書いていたため、ある球児が怒りの投書をしておりました。私は一生懸命やって負けたのだから仕方ないとは思いますけど、後輩たちがこの悔しさをバネに(滋賀県が弱かった時代ですが)湖北勢が強かったころを取り戻すために後輩に伝えて欲しいと思いますね。
ちなみに私が仕事を始めた昭和59年は長浜対伊香という湖北勢同士の決勝でした。8-0で勝った長浜が甲子園では1回戦でその年のセンバツベスト4の大船渡(岩手・先日震災で大きな被害を受けた学校です)に湖北勢唯一の1勝を上げたのは忘れられませんね。あの時は号外が長浜で配られたのを覚えています。3年後の昭和62年に伊香が甲子園に行ってから湖北勢は平成6年の長浜が決勝に行った(近江に負けました)のみ、本当にベスト8はたまに見ますけどベスト4もありませんね。
それより虎姫。私が生きているうちに甲子園に行って欲しい。
なでしこジャパン、そっとして上げて欲しい
17日の夜、同窓会で飲み過ぎまして朝少し頭が痛かったかな?朝起きてテレビを見るとサッカーの試合が。試合はご存知の通り素晴らしい試合でしたね。
最後、PK戦に入る時の日本代表の選手たちの本当にいい顔が印象的でした。アメリカが堅い表情をしているところから私は「ひょっとしたら勝てるかも。」と思いまして、アメリカ1番手のPKを海堀がスーパーセーブをした時に勝ちを確信しました。
「なでしこジャパン」は公募で名称が決まったそうですが、いいですね。男子のサッカーがジーコジャパン、オシムジャパン、ザックジャパン。と監督の名前がついているのはよくないですね。事実、オシム元監督も「サッカーは選手がやるもの、監督の名前が前面に来るのはよくない。」と言っていたことがあります。
野球もオリンピックで「長嶋ジャパン」と言ったことから「星野ジャパン」と言っていましたね。それで前回のWBCは「原ジャパン」ではなく「サムライジャパン」でした。人物ではなく理念的なものを掲げるのが大切なのでしょうね。
さて、なでしこジャパン。マスコミに連日引っ張りだこですね。こうやって注目されるのは選手たちに大きな刺激を与えるのでいいことなのですが、何でも9月1日から短期間でロンドンオリンピックのアジア予選を控えているとか。
男子のワールドカップはご存知のようにオリンピックより価値があるものです。オリンピックは23歳以下+3人オーバーエイジのワールドカップと言えましょう。
しかし女子はワールドカップもオリンピックもフル代表ですからオリンピックの方が価値があります。女子のワールドカップは以前は世界選手権といっていましたからね。
実際メキシコ五輪で銅メダルをとった日本は次のワールドカップの予選で敗退し、その後ミュンヘン五輪の予選でも敗退して長く低迷期に入ります。
オリンピックのアジア予選まであと少し、北朝鮮、中国など強豪ぞろいの中で2カ国しか出られません。頑張って欲しいものです。
それでもFIFA開催の大会で日本の優勝は初めてです。男子は20歳以下ワールドカップとコンフェデカップで準優勝が1回ずつです(監督はトルシエ)。それは素直に喜びましょう。
18年半振りの同窓会
お久し振りです。楽しい行事がありましたのでアップすることにいたします。
私ども長浜西中学校の第30回卒業の同窓会が、この度18年半振りに17日(日)にロイヤルホテルで開催されました。終了後すぐに書くと、あまりにもたくさん書いてしまいますので今日書きました。
私達は268名の同級生なのですが、当日は約80名が参加。先生方もクラス担任の先生全てに起こし頂き本当に楽しい会になりました。同窓会と言うのは、いつでもそうなのですが、時間がいくらあっても足りません。13時開始だったのですが、夜中の12時まで場所を変えて続きました。話しに夢中で写真を撮るのを忘れておりました。
18年振りということですが、前回来られなかった人もあり、卒業以来34年振りに会った人も多くおられました。その中の一人が「幹事役ご苦労様です。」と注ぎに来てくれたIさん。私の初恋の人(笑)でした。「相変わらず、おきれいですね。」と言って話していますと、妹さんが私と同じ大学だったとのこと。何でも妹さんは当時、私のことを知っていて、私が大学近くの坂を自転車で上って行くのを見ておられたそうです。私は「何で30年前に言ってくれないの!」と思っていました(妹さんもおそらく可愛い人だと思うので・笑)。
先生方の中にはsirMurai先生もおられ、ご自身の記事の事について同窓生に配っておられました。相変わらず、お元気でユーモアたっぷりの楽しい先生です。
同級生の中には私をよくいじめた者もいました。私の顔を踏んだ者もいました。おかげで私は「強くなりたい。」と思って柔道をする事になったのですが、彼らとも楽しく話しておりました。彼らはいじめたことは覚えていないとのこと、そんなもんでしょ(笑)。
同級生の中には「どちらさん?」と訊ねなければわからない人もいましたが、私は大抵の人がわかるようです(笑)。えてして女性は化粧をしたりするからわからなくなるようですね。
実は2次会で、なぜか女性ばかりのすごい席に私一人がいたのですが、そのときに私が全ての人の名前をあてたのでみんなビックリしていました。そういうどうでもいい所をよく覚えている私の本領発揮でした(笑)。
私は卒業時は170センチ60キロ。それが現在では171センチ93キロ。体重1.5倍には驚きのようです(笑)。前日に妻は卒業アルバムを見て私がわからんと言っていました。青白き美少年がオデブちゃんですからね(笑)。
実は先生方への手土産に教え子である私からパンの詰め合わせを贈ったほうがいいと女性幹事達から提案がありました。当社の田舎パン、アンパン、クリームパン、卵ケーキを上手にラッピングして渡してくれたのですが、そのときは本当に涙が出そうになりました。
とにかく当時の担任のM先生から卒業時に「同級生を大切にしなさい。」と言われておりましたので、これからもそれを守って行きたいと思います。
次が待ち遠しい。