法政三羽ガラス
テーマ:ブログ
2015/05/26 23:33
昨日は皆様温かいコメントをいただきありがとうございました。こんなにも大事に思っていただき、私は幸せです。しっかり頑張っていきたいと思います。
さて、スポーツ評論家になってしまったと油甚さんに言われてしまった私ですが、先程スポーツ界の訃報を目にしました。山本浩二(元広島、前WBC日本代表監督)、田淵幸一(元阪神・西武・ダイエー監督)とならんで東京六大学リーグの法政大学で活躍し、プロ野球でも活躍した、富田勝さんが亡くなったそうです。
富田選手は法政大学を卒業後、南海に入団。1972年にあの長嶋の後継ぎとして川上監督がトレードで獲得、長嶋引退後の巨人の中心選手として期待された選手でした。しかし、74年に長嶋が引退、75年に長嶋監督で巨人は初の最下位。富田選手は長嶋の後継者としてのプレッシャーか不振にあえぎ活躍しないまま終わります。
私は姓が同じということで、期待しておりましたが残念でした。
そして巨人は4番打者が必要ということで、あの張本勲(サンデイモーニングで”喝”を言っている人です)をトレードで獲得するために富田をトレードに。富田は日ハムに移籍します。その時、三羽がらすの他の2人から励ましを受けたそうです。日ハムに移籍した富田は、ようやく芽をだし、あまり目立っていませんがオールスターに出たり、3割を3シーズンもマークするなどして、後に中日に移籍して引退します。
私が中学から高校にかけてのころだと思いますが、この法政三羽烏と明治から中日の星野仙一が長嶋・王の後のプロ野球を引っ張って行ったと言えるでしょうね。
その、王・長嶋・野村・張本の世代と江川などの中間世代の名選手が早くも逝去するとはさびしいですね。富田選手のご冥福をお祈りいたします。
さて、スポーツ評論家になってしまったと油甚さんに言われてしまった私ですが、先程スポーツ界の訃報を目にしました。山本浩二(元広島、前WBC日本代表監督)、田淵幸一(元阪神・西武・ダイエー監督)とならんで東京六大学リーグの法政大学で活躍し、プロ野球でも活躍した、富田勝さんが亡くなったそうです。
富田選手は法政大学を卒業後、南海に入団。1972年にあの長嶋の後継ぎとして川上監督がトレードで獲得、長嶋引退後の巨人の中心選手として期待された選手でした。しかし、74年に長嶋が引退、75年に長嶋監督で巨人は初の最下位。富田選手は長嶋の後継者としてのプレッシャーか不振にあえぎ活躍しないまま終わります。
私は姓が同じということで、期待しておりましたが残念でした。
そして巨人は4番打者が必要ということで、あの張本勲(サンデイモーニングで”喝”を言っている人です)をトレードで獲得するために富田をトレードに。富田は日ハムに移籍します。その時、三羽がらすの他の2人から励ましを受けたそうです。日ハムに移籍した富田は、ようやく芽をだし、あまり目立っていませんがオールスターに出たり、3割を3シーズンもマークするなどして、後に中日に移籍して引退します。
私が中学から高校にかけてのころだと思いますが、この法政三羽烏と明治から中日の星野仙一が長嶋・王の後のプロ野球を引っ張って行ったと言えるでしょうね。
その、王・長嶋・野村・張本の世代と江川などの中間世代の名選手が早くも逝去するとはさびしいですね。富田選手のご冥福をお祈りいたします。