知覧特攻平和会館
去る11日建国記念日に、念願であった鹿児島県の知覧特攻記念会館へ行ってきました。(勿論、大東亜戦争による尊い日本人犠牲者は300万人を超えることを忘れてはなりません。その上に今日の日本国の繁栄があることを。)
11日、11:00頃鹿児島飛行場に着き近くのレンタカーを借り知覧に向かいました。途中ものすごい雨と嵐(春一番でした)に悩まされました。思わず亡き特攻の方々の涙雨のように感じていました。13:30頃特攻会館に着きました。その頃には雨もあがりました。
早速500円を払い入館してみますと、休日でもあり多くの来館者でした。ここには特攻の戦没者1036人の遺影と、遺書や遺詠、さらに遺品等々が展示されています。
見ていましたら、伊香郡余呉町大岩覚少佐25才S20.4.7日の方の写真もありました。思わず手を合わせました。さらに滋賀県には10名の方が特攻としてお国のために命を捧げておられることを知りました。写真は出発前数日を過ごした三角兵舎です。敵機の目を避けるため半地下になっています。
兵舎の中の様子。
まず目に入ったのは、遺書や遺詠です。
指折りつ/待ちに待ちたる/機ぞ来る/千尋の海に/散るぞたのしき
散りぬべき/時はきにけり/若桜/赤き血潮ぞ/国を護らむ
人生の総決算 何も謂うこと無し
等々、
涙がやがて止まらなくなりました。涙の元は二十歳前後の彼らが如何様なる思いで飛び立っていったのかと云うことでした。特攻機に乗る前の時間、大地から己の足が離れるとき、特攻機の中での2時間程?それらの時々の思いや如何にと。
本当に悲しくなりました。彼らは家族や愛する人を残し御国を護らんがために飛び立って行ったのです。残された私たちはその思いの中に立っているのでしょうか。
考えさせられました。自分の姿、周囲の人々の姿、国を司る人々の姿等々を思うと、申し訳ない思いでいっぱいになりました。とにかく涙が止まりませんでした。
何を惜しまん/君が御盾と/なれる我は/5尺の身/粉々になるとも 加藤虎夫少佐18才
絶対に泣いてはいけません 私は名誉ある特攻隊員です 誉めてください 笑ってください 今村岩美少佐19才
かえらじと/思ふこころの/ひとすじに/玉と砕けて/御国まもらん
後日また記したいと思います。(本日『14日』10:00頃帰宅しました)