知覧Ⅱ
知覧特攻隊で忘れることが出来ない人は、特攻の母と言われた富屋食堂の鳥濱トメさんです。会場にはトメさん生前のビデオがあります。その中で当時の思い出を詳しく語っておられます。ここでも涙が止まりませんでした。
そこで語っておられるトメさんの話の一つです。
“宮川三郎少佐20才(昭和20年6月6日出撃戦死)は、出撃の前夜、私の所に挨拶に来られ、「明日私は沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、帰ってきたときには、宮川、帰ってきたかと喜んでください」というので、「どんなにして帰ってくるの?」と尋ねたら、「ホタルになって帰ってくる」と言うのです。そしたら、約束の時間にホタルがやってきたんです。冨屋食堂の裏に小川が流れていたんですが、そこに、一匹の大きなホタルがやってきて、白い花にとまったのです。本当に大きなホタルでした。思わず、みんなに、「このホタルは、宮川サブちゃんですよ」と言ったんです。そして、みんなでそのホタルを見ながら『同期のの桜』を歌いました。
特攻の方が征かれるときはにっこり笑って、嫌とも言わず、涙一つ落とされませんでした。さぞ肉親の方々にも逢いたかっただろうに、日本を勝たせるためには、早く征かなければと、ただそればかりを言っていました。”
以上「新編;知覧特別攻撃隊」の特攻隊の母より抜粋
この『同期の桜』は、学生時代よく仲間と歌ったものです。その歌の歌詞の意味の一つ一つががこれほど理解できたことはありませんでした。開聞岳経由で指宿の宿に向かう車の中で何度も大声で歌っていました。
知覧に行って改めて先人の死を無にしてはいけないと心に誓いました。そして、決して戦争をしてはならないことも改めて心に誓いました。
人の世は/別れるものと/知りながら/別れはなどて/かくも悲しき 上原良司22才 昭和20年5月11日出撃戦死(手帳に、出撃直前の走り書き)
是非とも多くの方に「知覧特攻平和会館」には行っていただきたい。そして先人の思いをしっかりと受け止めていただきたいと強く思いました。
コメント
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2010/02/16 22:31知覧の、あの場は、桜と散っていった、防人と同年代になっている学生達、又、その親世代に絶対に、訪れて何かを、感じて欲しい場所です。
更に、その陰で、日本人として、散っていかれた、占領下の方々の思いを思うと、たまらない気持ちになります。 2~3年前に見たTVで、側にいる若者に、冷たい視線を向けられながらも、台湾の、八十過ぎの方々が、戦後保障も無い苦しい生活のなかで、今でも、時の軍帽を被って、(戦友会)を、されて、涙ながらに「同期の桜」を歌っておられました。 過去の(過去にしてしまっては、いけない事だと思いますが)過ちは絶対に繰り返してはいけない事を、考えさせられます。
申し訳ありませんが、、先生一寸、メッセージ見ていただけませんか。 -
2010/02/17 07:28おはようございます。
カピパラさん、有り難うございます。
防人として散っていった人々の思いを決して忘れてはなりません。
慶応大学在学中の上原良司22才は「全体主義で戦争に勝てません。日本は負けます。私は軍隊でどんなに教育されても、この考えを変えることは出来ません。私は軍隊の中でも自由主義者です」と、堂々と語って散っていきました。最後の遺詠がブログに記したものです。
そして戦後日本は自由主義国家となりました。
鳩山由紀夫も小沢一郎も「知覧特攻平和会館」に行っていないのであれば一刻も早く征くべきです。そして自分の心に手を当ててもらいたいのもです。