番頭はんと丁稚どん
またも、昨日の修学旅行の続きでごめんなさい。タイトルは滋賀県出身の作家、故花登コバコ(どんな字か忘れました)さんの小説のタイトルの名前です。
昨日の修学旅行、丁稚弟子入り体験といいますが、生徒に聞くと丁稚という言葉は知らないという事。今日、当社で本当にまじめな若いいい子がいてくれるのですが、その子に聞きますと「でっち羊かんのでっちですか?」とのこと。意外と知らないんですね。というか、死語になっていました。
私とその上の世代の人は、丁稚というのは、日常用語の一つであります。番頭や大将などはもう使わないんでしょうね。私達も知りませんが、こいさんやとうはん、わかります。どちらが長女だったかな?
大阪商人、特に船場では家憲といって、男が生まれたら養子に出せ、女が生まれたらよい、番頭を婿養子にもらえといいまして、バカな息子に跡を取らすより、優秀な番頭手代を婿養子に迎えたほうが商売は後々まで繁盛すると言われました。相撲部屋は今でもそうですね、息子が大関で違うものが横綱なら横綱の方に部屋を継がせますから。
そんな事はさておき、丁稚になると朝早くから夜遅くまで働きながら、商売を覚えだめなものは途中で去るも、いい才覚があるものは、仕事を盗んで覚え、自分なりの考えや夢をしっかり確立して暖簾分けしてもらって独立しました。独立でなく最高のナンバー2を目指すものは、そこでとどまり、お店の繁栄に貢献しました。
この、丁稚奉公から手代、番頭と延びて行く過程、これは社会の時間に教えてもいいと思います。商人道、これ道といいます。先述の花登コバコさんも人格共に優れた近江商人の道をたくさんの小説で語っています。
変にわけのわからない使い方をせずに、本当の教育に丁稚という言葉を使って欲しい気がします。