親育
私のところは御門徒さんの数が少ない小さな真宗寺院ですが、この猛暑の28日(土)29日(日)の両日、三つの法事があり体力のなさをほとほと感じたことでした。法事の席では、いじめ問題を踏まえて「人間の教育」についてお話しをさせていただきました。
過日記しました岡本道雄先生や東井義雄先生等のお話しを思い出し、自分の体験を通しての話をさせていたことです。
学校での「いじめ問題」は、いじめる生徒に問題があるのですがその子の育ちを考えることも大切だと思います。「思いやり・優しさ・慈しみ」を育てられてきたのかと言うことです。
「人間が最初に出会う教師は母親である」と云いますが、その母親が人生の教師として大丈夫だったか?
「人間は人間を浴びて人間になる」と言いますが、大人たちは泥水のシャワーを浴びせることはなかったか?
世の大人一人一人が罪悪甚重の我が身に気付き、許されて生きていることに気付いたならば、日々感謝の暮らしとなりその姿はシャワーとなって子どもに降り注ぐことでしょう。
躾は、「人間は人と一緒でないと生きられないのだ」、「人間は一人ではいられないんだ」ということを教え、だからこそ「人のことを考えることが大事なのだ」と云うことを刷り込むことが一番大事なことなのです(自他の区別と他者を思いやる心)。このことを8歳までに刷り込んできたか?
我々の親の世代は、「人様に迷惑をかけるな」「恥ずかしいことをするな」と常に子どもに言い聞かせていたように思います。何時の頃から日本人が大切にしてきた「心」(思いやりと恥の文化)が失われたのでしょう?
今こそ「親育」の必要を強く感じる今日この頃です。