ヤンキースタジアム
アメリカメジャーリーグ・ニューヨークヤンキースのヤンキースタジアムが老朽化のため現スタジアムでは今日が最後の試合になり松井がヒットを打ったというニュースがありました。
ヤンキースタジアムは私も思い出があります。昭和61年の4月末、パン学校(東京)を修了し、まだ皆が当てにせぬうちにと思ってアメリカへ単独旅行に出かけました。当時私はメジャーリーグの試合が見たいと思っていました。今と違ってインターネットなどありませんのでパン学校の授業の合間に千代田区にあるアメリカ観光局に行き、メジャーの試合日程表を手にいれました。そして、学校修了後、アメリカへ旅立ちました。
ニューヨークに着いたら私、思ったより英語が聞き取れない、学生時代に比べ能力が落ちたのですね。NYのケネディ空港で警察官から「東京とNYはぜんぜん違う、ベリーベリーベーーーリーケアフリー。」といわれてNYのホテルへ。
翌日はボストンへバスで移動、ボストンではフェンウエイパーク(レッドソックスの本拠地)へ行きました。試合は19:30からで雨、まだお客さんはぜんぜん来ていませんでしたが色々とグッズを買いました。バスでワシントンへ向かう途中、球場が見えましたが雨の中で試合をやっていました。
ワシントンを見たあと、ニューヨークへアメリカの新幹線メトロライナーに乗ってNYへ移動、車中でマツダの現地社員(アメリカ人)と一緒になり、マツダがオーナーの広島カープの話し。その2年前、初の日米ワールドシリーズとして広島とボルチモアオリオールズが対戦しました。広島は初戦は川口が完封で勝利、2~5戦はオリオールズが勝ちました。そのことを話すと、彼はぜんぜん知らなかったそうで、「日本は野球の歴史が浅い、何年かしたら追いついてくるだろう。」といっていたのを覚えています。
そして、待望の試合見物。ヤンキースタジアムへ同じホテルに泊まっていた人を連れて行きました。ヤンキースとクリーブランドインディアンスの試合はインディアンスは前年までヤンキースにいたナックルボールの名投手ニークロが先発。試合は日本のようなやかましいなりものの応援ではなく、声援と口笛などで球音が聞けてよかったです。インディアンスがホームランを打っても静かなもの、「あれファールだったかな?」と思ったら選手はダイヤモンドを走っているので、まさしく先日の甲子園よりすごい、ビジターの応援は誰もいません。
試合前に先ほどのニークロとヤンキースの名選手ウインフィールドが出てきて握手、何をしているのかわからないので隣の観客に「あれは誰だ。」と聞いて観客は「ウインフィールドだ。」私が「あれがウインフィールドか。」というと「そうだ、グッドプレーヤーだ。」野球を楽しむのは日米関係ありません。
今はどこでもどのスポーツでも当たり前のウエーブ。これが日本でも当たり前になる10年以上前に経験しました。またこの日はアンブレラデーでヤンキースのかさを入り口でもらい、観客と一緒に開いてまわしたりして声援。写真はあるのですがスキャンできずにお見せできないのが残念です。
今ではテレビでいつも放送されるのですが、あのころ殆どの人が見ていなかったメジャーリーグの試合。いい思い出の一つの舞台が今消えようとしています。