石井英夫さんのこと

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 昨日君が代さんのコメントの中に石井英夫さんの事が書かれていました。今日は、そのお話をしたいと思います。私が大学を卒業したころ、今までの散髪屋さんが廃業されたので、実家の近くに新しく出来た石井さんのお店に散髪に行ったのが始まりでした。待合席によく漫画や週刊誌がおいてありますが、そこにはビジネス書などもおいてありました。そのころ、研修に行った時に「シンボリックマネージャー」という本が紹介されてまして、たまたま待合席にその本がありました。それを読んでいたら石井さんは「これは面白いよ。」と声を掛けてくれました。その後、散髪のたびに、何回かお話しする機会があり私が「マスター(石井さん)は色々勉強しておられるんですね。」と言うと石井さんは「長浜が好きなんや。何人かで毎月集まって勉強会してるんやで。」とおっしゃっていました。そのひとつがおそらく、アートインザホー(後のアートインナガハマ)を開催するための集まりであったと思います。

 

 その後、アートインナガハマや園遊会、そして黒壁誕生など長浜のまちづくりが日の目を見ようとしているころ、石井さんは病に蝕まれ始めました。当時、当社に単身赴任で来ていた人もたちばなへ散髪に行っていましたので「専務(当時)、たちばなのマスター、かなり悪いらしいで。」と聞いてビックリ。ちょうどそのころ、私は石井さんに電話をかけ、おそらく苦しんでおられたんでしょうね、家族の方が留守で無理に電話に出したような記憶があります。その後、しばらくして亡くなられました。葬儀のとき、石井さんの弟子の一人、A君は、号泣しながら弔辞を読んでいました。何人かのスタッフも号泣していて、男は死ぬときに価値がわかるなと思います。先日、A君の店で話しをしていて、A君は「石井先生がなくなったとき、病室に入ったら、ただ寝ているだけで死んでいるとは思えなかった。」と言っていました。本当にやり遂げた美しい、いい顔で逝かれたのだと思います。

 

 何年か前、NHKの大河ドラマで「花神」という幕末の大村益次郎の生涯を描いたものがありました。春にさくら前線が北上します。花神という文字通り花を咲かせる神がいるのですが、花が咲いたときには、その神はこの咲いている場所にはもういないというのです。今のNHKの大河ドラマでもやっていますが、坂本龍馬、高杉晋作が明治維新を見ずに若くして暗殺されたり病死しました。西郷隆盛も西南戦争で亡くなり、大久保利通は翌年暗殺、木戸孝允は西南戦争の前に病死。あとを伊藤博文などが明治政府を作り上げて行きます。「時代を作った者は時代に捨てられる。」といいますが、前述の彼らは、自分らのしてきた事が今仕上がるというときに消えるのです。忘れていましたが、大村益次郎も日本の新しい仕組みを提案してさあ仕上げというときに、不満士族に暗殺され、あとを継いだ政治家たちによって彼の事業は完成します。

 

 石井さんを君が代さんが坂本龍馬のような人といっておられます。私は石井さんとそんなに深くつきあったわけではありませんので、書いている事も一部間違いがあるかもしれませんが、石井さんはまさしく長浜のまちづくりにとって、花神のような人であったのかも知れません。黒壁などによるまちづくりが軌道に乗り、北近江秀吉博覧会が未曾有の集客を成し遂げようとしているときにこの世を去られました。

 3年前、私も父が亡くなり、墓を作るために名越の墓地公園へ行きました。父の墓へ行く階段の途中に石井さんの墓を発見しました。その後お参りのたびに感心するのですがいつも、花がきれいにお供えしてあります。何か、石井さんらしい気がします。

 

 

 

 

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