日本と中国
昨日、辻谷工業の社長の話し、本当に素晴らしい方でした。講演の内容とはあまり関係ないのですが、講演中に中国の理不尽さについて話され、ある聴衆が「中国をこれと決めつけるのは危険だ。」と抗議して帰られた方がいました。私も少し言いすぎではと思っていましたが、中国人と日本人はやはり違いがあります。(当たり前ですが)違いを認め合わないと、いつまでも溝が深まったままであります。辻谷社長はその辺を知っておられたか否かはわかりませんが、辻谷さんの中国人の友人との付き合いの中で北京オリンピックボイコットの決断をされたのではないかと思います。
ここ2~3年の事ですかね、マネ士の中国でディズニーランドそっくりの物を作ったり、日本の自動車メーカーのHONDAによくにたHENDAをつくったり(本当に変ですね)。でもある評論家にいわせたらこれは著作権などを重んじる欧米に対して割りと古来よりフリーなアジアとの違いだそうです。日本は中国からたくさんの文化を学び取り入れました、それらはフリーでした。(古代ですから当たり前ですが)そういうことで、日本からのものも中国は簡単に真似して来ました。だから、中国、韓国がコピーブランドが多いのもあながち不思議ではないそうです。(もちろんいいわけはありません。)
本の内容の抜粋がのった雑誌に「中国人のビジネス・ルール 兵法三十六計」(梁増美著)が紹介されてあり、それによると中国人は人を「身内の人間(自己人)」と「外部の人間(外人)」にわけ自己人には儒教の精神、外人には兵法(計りごと)を用いるそうです。だから、ある意味、だます、いつわる、あざむくはあたりまえでそれを頭に入れてビジネスをしなければならない。それに対する予防策は兵法が使えない領域の自己人領域に入ることで、長い時間をかけて人情の通う関係を構築することだそうです。
考えて見れば、国内でも東京と大阪では商売が違うといわれますし、京都の人は本音を言わないといいます。毅然とした態度でお互いを認め合うことが大切なのかもしれません。そのためには中国のあの傍若無人な行動に対してでも、まずは、その根底にあるものを認めて、それから対処する必要があるのだと思います。