東北ミッション報告
テーマ:まちづくり
2011/10/29 21:03
今日の被災地のシーンがあまりに強烈だったのだが、簡単に東北ミッションの報告
28日は8時に宮古市立崎山小学校へ。小さいが、明治8年と結構古い歴史を持つ小学校だ。
この小学校自体は、山の手にあるので被害は直接受けていない。以前に黒壁に努めてらした方がこちらで先生をなさっているので、というご縁である。
1,2,3,6年生に特別授業。ガラスのモザイクタイルとビーズを使って、低学年は月や星など簡単なものを、3、6年生は自分でデザインしたものをガラスのフォトフレームに接着剤でつけていく。
小学校のPTAをしたのは10年以上前だから、なんか懐かしい雰囲気だ。
驚いたのは、1,2年生。ばかにしてはいけない。基本のモチーフは月や星などシンプルながら、いろいろとアレンジをして、えっと驚くような作品を作り上げてくれる。色使いをみても一人一人が違って個性が出ている。
6年生がそれなりにまとめるのは当然としても、1~3年生の創造力の豊かさに感動すらした。
お昼には、長浜小学校・長浜北小学校・神照小学校の生徒さんからの応援メッセージや義捐金などを学校へ贈呈する。長小から鈴木君、北小から伏木君、神小から村田君がかけつけてくれた。先方の校長先生も感激しておられた。
最後に出来上がった作品に、今年のアートインナガハマで作家さんから募集したチャリティーのポストカードを一人ずつお渡しして、崎山小学校を後にする。
3年生と6年生は玉灯によるキャンドルと一緒に合同撮影。
その後、16時半に宮古市立総合体育館シーアリーナへ向かい、アートインナガハマのスペシャルイベントで書いていただいた小林勇輝さんの書を寄贈・設置。
設置後はこんな感じ
当日寄付いただいた義捐金も贈呈。
設置にご協力いただいた伏木・村田両君に感謝。
最初は、ちょっと胡散臭げに思われていたようだが、立ち会っていただいた宮古商工会議所と宮古市商業観光課の方が来月に長浜へお越しになるということで、アートインナガハマの背景もご説明申し上げ、作品の素晴らしさにも納得いただいたようである。
結構ハードだが充実した1日であった
28日は8時に宮古市立崎山小学校へ。小さいが、明治8年と結構古い歴史を持つ小学校だ。
この小学校自体は、山の手にあるので被害は直接受けていない。以前に黒壁に努めてらした方がこちらで先生をなさっているので、というご縁である。
1,2,3,6年生に特別授業。ガラスのモザイクタイルとビーズを使って、低学年は月や星など簡単なものを、3、6年生は自分でデザインしたものをガラスのフォトフレームに接着剤でつけていく。
小学校のPTAをしたのは10年以上前だから、なんか懐かしい雰囲気だ。
驚いたのは、1,2年生。ばかにしてはいけない。基本のモチーフは月や星などシンプルながら、いろいろとアレンジをして、えっと驚くような作品を作り上げてくれる。色使いをみても一人一人が違って個性が出ている。
6年生がそれなりにまとめるのは当然としても、1~3年生の創造力の豊かさに感動すらした。
お昼には、長浜小学校・長浜北小学校・神照小学校の生徒さんからの応援メッセージや義捐金などを学校へ贈呈する。長小から鈴木君、北小から伏木君、神小から村田君がかけつけてくれた。先方の校長先生も感激しておられた。
最後に出来上がった作品に、今年のアートインナガハマで作家さんから募集したチャリティーのポストカードを一人ずつお渡しして、崎山小学校を後にする。
3年生と6年生は玉灯によるキャンドルと一緒に合同撮影。
その後、16時半に宮古市立総合体育館シーアリーナへ向かい、アートインナガハマのスペシャルイベントで書いていただいた小林勇輝さんの書を寄贈・設置。
設置後はこんな感じ
当日寄付いただいた義捐金も贈呈。
設置にご協力いただいた伏木・村田両君に感謝。
最初は、ちょっと胡散臭げに思われていたようだが、立ち会っていただいた宮古商工会議所と宮古市商業観光課の方が来月に長浜へお越しになるということで、アートインナガハマの背景もご説明申し上げ、作品の素晴らしさにも納得いただいたようである。
結構ハードだが充実した1日であった
東北ミッション3日目
テーマ:まちづくり
2011/10/29 18:25
今回の東北ミッションは最終日。
宮古市からリアス式海岸沿いに南へ下る。宮古市は被害も大きいのだけれど、中心部に限れば比較的復興が早く進んでいるようだ。昨晩訪れた居酒屋さんも、カウンターの上に1メートル30センチぐらいのところに、ここまで津波が来たと記されていたが、それを見なければわからないぐらいである。もっとも地区が違うと全滅状態。
商工会議所の方にお伺いしたのだけど、被災による需要で大型の店舗の数字は良いのだという。
しかしほぼ全滅状態の山田町、大槌町、陸前高田市では声もでない。それ以外の場所でも、よく似た状況である。一面基礎だけ、場合によってはそれすら残っていない一面の平地。ところどころにうず高く積まれた多くのがれきや車。
写真では知っていたのだけれど、こうして現実を見ると「これからどうしていくの?」と考えてしまう。
もし、自分が市長や町長の立場だったらどう考えるのだろう?と思うと考えが出てこない。高台に移住するといっても高層住宅を建てない限りは、十分な土地が確保できるとも思えない。中には、元あった場所に住宅を建てた、あるいは建て始めている方もいらっしゃる。もともと存在していた地域コミュニティをどう再生していくのかという、まちづくりの根幹をどうするのだろうか・・・。
気仙沼から内陸部へ
世界遺産に登録されたばかりの平泉・中尊寺を訪れて、ちょっとほっとした気分になる。
一関から東北新幹線で東京への途中だ。
宮古市からリアス式海岸沿いに南へ下る。宮古市は被害も大きいのだけれど、中心部に限れば比較的復興が早く進んでいるようだ。昨晩訪れた居酒屋さんも、カウンターの上に1メートル30センチぐらいのところに、ここまで津波が来たと記されていたが、それを見なければわからないぐらいである。もっとも地区が違うと全滅状態。
商工会議所の方にお伺いしたのだけど、被災による需要で大型の店舗の数字は良いのだという。
しかしほぼ全滅状態の山田町、大槌町、陸前高田市では声もでない。それ以外の場所でも、よく似た状況である。一面基礎だけ、場合によってはそれすら残っていない一面の平地。ところどころにうず高く積まれた多くのがれきや車。
写真では知っていたのだけれど、こうして現実を見ると「これからどうしていくの?」と考えてしまう。
もし、自分が市長や町長の立場だったらどう考えるのだろう?と思うと考えが出てこない。高台に移住するといっても高層住宅を建てない限りは、十分な土地が確保できるとも思えない。中には、元あった場所に住宅を建てた、あるいは建て始めている方もいらっしゃる。もともと存在していた地域コミュニティをどう再生していくのかという、まちづくりの根幹をどうするのだろうか・・・。
気仙沼から内陸部へ
世界遺産に登録されたばかりの平泉・中尊寺を訪れて、ちょっとほっとした気分になる。
一関から東北新幹線で東京への途中だ。