今日は秀吉バル&地酒バル
テーマ:まちづくり
2015/03/21 09:28
今日は街なかの飲食店で秀吉バルを開催。長浜商店街連盟が主催します。
1500円で3枚のバルチケット付。各お店工夫のサービスがあります。
もし使えなかっても、1枚500円で3/28まで「あとバル」として使えます。
11時~16時まで黒壁前でチケットを販売しています(各参加店にもあります)ので、お越しやす
黒壁のフレンチレストランROKUでは 県内七醸造元の地酒が味わえる 地酒バル開催
湖濱もがんばっています。
うらくろマルシェもあります
両方お越しやす
明日は曳山博物館北側でメイド・イン長浜マルシェ
これからの黒壁を考える
テーマ:まちづくり
2015/03/05 19:58
「黒壁ルネッサンス」は未完に終わった。
その評価にはいろいろあるとは思うが、ビジネスはプロセスより結果だ。いたし方あるまい。が、まちづくりという視点からみると失ったものは大きい。尊敬する先輩が昨年6月ぐらいだったか、「まちづくりとしての黒壁は失われてしまった」と語られた。多くの市民や企業の出資は株式会社黒壁にというより、長浜のまちづくりに向けて行われたはずだが、その精神や絆が多く失われてしまったように思われる。
黒壁という会社の価値を上げようと取り組んだ考え方そのものは妥当なものだが、手法が妥当であったかというと?が残る。提供するサービスの質を上げて客単価をアップしようとすることは、今日の中小企業においては至極当然の戦略だ。しかし、効果が上がるまでに時間がかかり、その間一時的に売上は低下する。そのあたりのマネジメントができなかったといえるだろう。なにより、ガラス文化発信の拠点であった美術館を失ったことは大きい。
ある人曰く「年間200万人も来ていて、赤字になること自体が不思議」と。集客力はあるはずだが、最初は黒壁が集客エンジンであったのに、いつの頃からか大河ドラマの神風だよりになっていたことも否めない。
さて、過ぎたことを悔いても始まらない。もう一度やり直さなければならないのだから。
黒壁の立役者であった笹原さんは「文化の情報発信こそが最も重要」としばしば語られた。
秀吉博のトータルコーディネーターであった出島二郎氏曰く「店そのものが文化にならねばならない」と。
この原点に立つべきではないか?
25年以上たっても、残念ながら黒壁ガラスというものが生み出されていない。過去にいろいろと試みられたが、オブジェ的なものが多かったように思う。しかし、ガラスというものはもともとが実用品として発展し、それがあるスタイルとしてブランド化されてきた。ボヘミア、ヴェネツィア、バカラ等々しかり。
初期はガラス文化の紹介でよかったかもしれないが、いいかげんにガラス文化を生み出すことが求められているのではないか?レストランも体験教室も所詮は時間消費型ビジネスであり、それを支える黒壁というブランドプレステージを生み出すのはガラス文化の創造がもっともふさわしいと思う。
黒壁20周年を契機にアーバングラスコンペティションという運動を私たちは始めた。黒壁のスタッフにも関わっていただいているが、基本的にはボランティアによるまちづくり運動だ。スタジオガラス中心の黒壁とは別に、ガラスによる街なかの空間づくりという新たなガラスの文化創造を目指して始めたものだ。黒壁横の「TOPO SPOT」、四居家裏ポケットパークの「現代の金屏風」、YES長浜角の「ガラスの木漏れ日」などがその成果である。
少なからず関わってきた人間として、黒壁には本物のガラス文化の創造をめざして、新たに始めてもらいたいとと思う。
その評価にはいろいろあるとは思うが、ビジネスはプロセスより結果だ。いたし方あるまい。が、まちづくりという視点からみると失ったものは大きい。尊敬する先輩が昨年6月ぐらいだったか、「まちづくりとしての黒壁は失われてしまった」と語られた。多くの市民や企業の出資は株式会社黒壁にというより、長浜のまちづくりに向けて行われたはずだが、その精神や絆が多く失われてしまったように思われる。
黒壁という会社の価値を上げようと取り組んだ考え方そのものは妥当なものだが、手法が妥当であったかというと?が残る。提供するサービスの質を上げて客単価をアップしようとすることは、今日の中小企業においては至極当然の戦略だ。しかし、効果が上がるまでに時間がかかり、その間一時的に売上は低下する。そのあたりのマネジメントができなかったといえるだろう。なにより、ガラス文化発信の拠点であった美術館を失ったことは大きい。
ある人曰く「年間200万人も来ていて、赤字になること自体が不思議」と。集客力はあるはずだが、最初は黒壁が集客エンジンであったのに、いつの頃からか大河ドラマの神風だよりになっていたことも否めない。
さて、過ぎたことを悔いても始まらない。もう一度やり直さなければならないのだから。
黒壁の立役者であった笹原さんは「文化の情報発信こそが最も重要」としばしば語られた。
秀吉博のトータルコーディネーターであった出島二郎氏曰く「店そのものが文化にならねばならない」と。
この原点に立つべきではないか?
25年以上たっても、残念ながら黒壁ガラスというものが生み出されていない。過去にいろいろと試みられたが、オブジェ的なものが多かったように思う。しかし、ガラスというものはもともとが実用品として発展し、それがあるスタイルとしてブランド化されてきた。ボヘミア、ヴェネツィア、バカラ等々しかり。
初期はガラス文化の紹介でよかったかもしれないが、いいかげんにガラス文化を生み出すことが求められているのではないか?レストランも体験教室も所詮は時間消費型ビジネスであり、それを支える黒壁というブランドプレステージを生み出すのはガラス文化の創造がもっともふさわしいと思う。
黒壁20周年を契機にアーバングラスコンペティションという運動を私たちは始めた。黒壁のスタッフにも関わっていただいているが、基本的にはボランティアによるまちづくり運動だ。スタジオガラス中心の黒壁とは別に、ガラスによる街なかの空間づくりという新たなガラスの文化創造を目指して始めたものだ。黒壁横の「TOPO SPOT」、四居家裏ポケットパークの「現代の金屏風」、YES長浜角の「ガラスの木漏れ日」などがその成果である。
少なからず関わってきた人間として、黒壁には本物のガラス文化の創造をめざして、新たに始めてもらいたいとと思う。
まちづくり2015年頭雑感
テーマ:まちづくり
2015/01/01 14:49
2015年新年を迎え、今年もよろしくお願い申し上げます。
さて、新年を迎えてまちづくり雑感
今年は 「智と智で争う地域の生存競争の始まり」とでもいえようか。
こう考えるきっかけは例の消滅可能性地域の話なのだが、長浜市役所の竣工に来られた石破大臣の話は「地方が必死になって知恵を絞りなさい、そういうところは国が応援するから」ということだった。
高度成長が終わる頃から地域間競争というのは言われてきたけど、豊かか貧しいという対比でなく、生き残れるか消滅するかの生存競争になろうとしているということだろう。
地域が持つ知恵を結集する、あるいは地域が持つ知恵の世界的・日本的ネットワークを駆使する、そうやって生き残るための戦略・戦術を構築することが必要なのだ。
地域を担う人材育成には最低10年、世代を考えると30年単位だ。その時になってからでは遅いのだと考える。
知でなく智とした理由は、まちづくりには時間と空間を俯瞰する思想や概念が必要だと思うからである。
そのためにどうするのか
1.知のネットワークの再構築
経営者ならわかるだろうが、「戦略をみんなで考えます」なんてのはありえない。戦略とは「やらないことを決めること」だから、残念ながら公務員ではよほどの器がないと難しいだろう。戦略は基本的には一人が決めるものだ。ただその一人の考え方が生まれ、共感が生まれるための「知恵の場」が必要だ。逆に戦術はみんなで考えたほうが良いから、戦略を戦術に落としこむためにも場は必要だと思う。
かつての長浜でいえば「ながはま21市民会議」とそれを生み出した青年会議所が最もそれに近い存在だったといえるが、今日ではその場は失われてしまった。
知のネットワークというが、知識だけが必要なのではない。必要なのは時代を読み取る感性であろう。
2.人材の確保と育成
よく「まちづくりはひとづくり」という、また「よそ者、ばか者、若者が必要」だとも。
つまり、地域内の人材は他に取られないように確保し、外から人材を吸い寄せるように確保するということ。
また、その人材を適材適所に配して育成をする。 まぁ、つまり経営ということと同じ。
その意味では、もういい加減に、高いコストを払って良い学校にやって、出て行って帰ってこないということは考えなおした方が良い。東大や京大まで入ればお国のために仕方がないとは思うが、あまりにも多くの人材を出しっぱなしというのは、中央集権時代ならともかく、そんな悠長なことはしていられないだろうと思うんだけどね。
とりあえずここらへんで一旦筆を置くこととする
さて、新年を迎えてまちづくり雑感
今年は 「智と智で争う地域の生存競争の始まり」とでもいえようか。
こう考えるきっかけは例の消滅可能性地域の話なのだが、長浜市役所の竣工に来られた石破大臣の話は「地方が必死になって知恵を絞りなさい、そういうところは国が応援するから」ということだった。
高度成長が終わる頃から地域間競争というのは言われてきたけど、豊かか貧しいという対比でなく、生き残れるか消滅するかの生存競争になろうとしているということだろう。
地域が持つ知恵を結集する、あるいは地域が持つ知恵の世界的・日本的ネットワークを駆使する、そうやって生き残るための戦略・戦術を構築することが必要なのだ。
地域を担う人材育成には最低10年、世代を考えると30年単位だ。その時になってからでは遅いのだと考える。
知でなく智とした理由は、まちづくりには時間と空間を俯瞰する思想や概念が必要だと思うからである。
そのためにどうするのか
1.知のネットワークの再構築
経営者ならわかるだろうが、「戦略をみんなで考えます」なんてのはありえない。戦略とは「やらないことを決めること」だから、残念ながら公務員ではよほどの器がないと難しいだろう。戦略は基本的には一人が決めるものだ。ただその一人の考え方が生まれ、共感が生まれるための「知恵の場」が必要だ。逆に戦術はみんなで考えたほうが良いから、戦略を戦術に落としこむためにも場は必要だと思う。
かつての長浜でいえば「ながはま21市民会議」とそれを生み出した青年会議所が最もそれに近い存在だったといえるが、今日ではその場は失われてしまった。
知のネットワークというが、知識だけが必要なのではない。必要なのは時代を読み取る感性であろう。
2.人材の確保と育成
よく「まちづくりはひとづくり」という、また「よそ者、ばか者、若者が必要」だとも。
つまり、地域内の人材は他に取られないように確保し、外から人材を吸い寄せるように確保するということ。
また、その人材を適材適所に配して育成をする。 まぁ、つまり経営ということと同じ。
その意味では、もういい加減に、高いコストを払って良い学校にやって、出て行って帰ってこないということは考えなおした方が良い。東大や京大まで入ればお国のために仕方がないとは思うが、あまりにも多くの人材を出しっぱなしというのは、中央集権時代ならともかく、そんな悠長なことはしていられないだろうと思うんだけどね。
とりあえずここらへんで一旦筆を置くこととする
広島:並木通り商店街
テーマ:まちづくり
2014/12/10 21:43
12/9~10と博物館通り商店街の研修旅行は安芸の国広島
9日は宮島・厳島神社と原爆ドーム~商店街見学 10日は呉の大和ミュージアムとなると、「なんや観光かいな」と言われてもしょうがないのだが、何が魅力で、何がそうでないのかを見分けるのには観光地は視察先として悪くないのである。全国津々浦々まで金太郎飴的なイオンモールに埋め尽くされた商業施設を今更見ても、未来価値のないものはしょうがないのだ。
さて、今回見てみたかったのが広島・並木通り商店街。前に訪れたのは長浜市の先進地視察事業だったから20年も前のことで、当時仕掛け人として有名だった加藤さんのお話をお聞きしたことがある。
それからどうなっているか
広島の目抜き通りともいえる本通りのアーケード街。今日に至ってはほとんどがナショナルチェーンで埋め尽くされている。面白そうな店は数件だけで、後はどこにでもある店ばかりだ。そのアーケード街の抜けたところにパルコがあり、まぁこれも見なくても想像がつく。
そこを南へ下る並木通りは一見寂しそうだ。イルミネーションも少し寂しい・・・が、店のクオリティは高い。店舗の連続性というとちょっときついが、中身の濃い店が多いので楽しめた。
長浜でも大手門通りに対して博物館通りは裏通りっぽい、ゆう壱番街御堂前地区でとりくまれているウラクロも同様なのだけど、街の品質はこういう裏通りで保証されるのではないか?そんな風に思うのである。
さて、宮島・厳島神社
外国人が多い、特に欧米系が目立つが世界文化遺産登録のおかげか? 前にアウグスブルグの青年団が来浜したときに広島の原爆ドームへも行ったから、セットなのかもしれない。
典型的な参道商店街であり、一流観光地の証でもある1000円ショップ・せんべいやその他はおなじみだ。伊勢でもそうだが昭和の高度成長期の店構えそのままという店も多いが、それで成り立つのか?牡蠣と穴子ともみじまんじゅうという特産品は明快なのでわかりやすい。
呉の大和ミュージアム。
結構見ごたえがある。中身も濃い。隣に潜水艦おやしおをそのまま展示した海自の資料館もある・・・が、これがなかったら呉って来ないよね、という意味では見事に集客装置の役目を果たしているのだろう。
ボランティアガイドも多い。「艦これ」系のグッズは置いていない。彼らには邪道に映るのかもしれないが、呉は「艦これ」の聖地らしいから、もうちょっと仕掛けのしようがあるだろうに。
観光面から見ると、呉駅からペデストリアンデッキで来ることができて便利。途中にショッピングセンターの中を通ることになるのだが、これがごく普通のショッピングセンター。ミュージアムへの通路沿いは衣料の売場でテンションが下がることこの上ない。ミュージアムショップがそれほど大きくないので、補完する関連売り場やお土産売り場を持って行った方がよさそうだが・・・。この近辺は飲食店が少なく我々も弱った。ショッピングセンターの飲食はフードコート向けのナショナルチェーンばかりだ。海軍カレー専門店なんて、確実に流行るとおもうのだけどなぁ。
9日は宮島・厳島神社と原爆ドーム~商店街見学 10日は呉の大和ミュージアムとなると、「なんや観光かいな」と言われてもしょうがないのだが、何が魅力で、何がそうでないのかを見分けるのには観光地は視察先として悪くないのである。全国津々浦々まで金太郎飴的なイオンモールに埋め尽くされた商業施設を今更見ても、未来価値のないものはしょうがないのだ。
さて、今回見てみたかったのが広島・並木通り商店街。前に訪れたのは長浜市の先進地視察事業だったから20年も前のことで、当時仕掛け人として有名だった加藤さんのお話をお聞きしたことがある。
それからどうなっているか
広島の目抜き通りともいえる本通りのアーケード街。今日に至ってはほとんどがナショナルチェーンで埋め尽くされている。面白そうな店は数件だけで、後はどこにでもある店ばかりだ。そのアーケード街の抜けたところにパルコがあり、まぁこれも見なくても想像がつく。
そこを南へ下る並木通りは一見寂しそうだ。イルミネーションも少し寂しい・・・が、店のクオリティは高い。店舗の連続性というとちょっときついが、中身の濃い店が多いので楽しめた。
長浜でも大手門通りに対して博物館通りは裏通りっぽい、ゆう壱番街御堂前地区でとりくまれているウラクロも同様なのだけど、街の品質はこういう裏通りで保証されるのではないか?そんな風に思うのである。
さて、宮島・厳島神社
外国人が多い、特に欧米系が目立つが世界文化遺産登録のおかげか? 前にアウグスブルグの青年団が来浜したときに広島の原爆ドームへも行ったから、セットなのかもしれない。
典型的な参道商店街であり、一流観光地の証でもある1000円ショップ・せんべいやその他はおなじみだ。伊勢でもそうだが昭和の高度成長期の店構えそのままという店も多いが、それで成り立つのか?牡蠣と穴子ともみじまんじゅうという特産品は明快なのでわかりやすい。
呉の大和ミュージアム。
結構見ごたえがある。中身も濃い。隣に潜水艦おやしおをそのまま展示した海自の資料館もある・・・が、これがなかったら呉って来ないよね、という意味では見事に集客装置の役目を果たしているのだろう。
ボランティアガイドも多い。「艦これ」系のグッズは置いていない。彼らには邪道に映るのかもしれないが、呉は「艦これ」の聖地らしいから、もうちょっと仕掛けのしようがあるだろうに。
観光面から見ると、呉駅からペデストリアンデッキで来ることができて便利。途中にショッピングセンターの中を通ることになるのだが、これがごく普通のショッピングセンター。ミュージアムへの通路沿いは衣料の売場でテンションが下がることこの上ない。ミュージアムショップがそれほど大きくないので、補完する関連売り場やお土産売り場を持って行った方がよさそうだが・・・。この近辺は飲食店が少なく我々も弱った。ショッピングセンターの飲食はフードコート向けのナショナルチェーンばかりだ。海軍カレー専門店なんて、確実に流行るとおもうのだけどなぁ。
遺すべきものと、変えるべきもの
テーマ:まちづくり
2014/12/03 09:35
昨日は衆議院選挙告示日
うえの賢一郎君は商店街に生まれなので、もちろん長浜商店街連盟としても推薦。
出陣式には応援挨拶をさせていただくことになった。
短い時間だから何をお話すればと思ったが、世界無形文化遺産登録をめざす長浜曳山祭と商店街まちなかについてである。曳山文化を継承していくためには従来の担い手だけでなく、新しい担い手がまちなかに必要だからということにした。
商人というものは古来自らの才覚によってビジネスを切り開いていったのであって、過去に多くの例を見るように、後継者が放蕩すれば存続はかなわない。もちろん住友の廣瀬、三井の益田のような優れた人材を抱えれば別かもしれない。
なので、商店街連盟の会長という立場であるが、「商店街の活性化」という言葉はあまり好きではない。商店街というのは最初から存在していたのでなくて、結果として存在しているからで、商人の集合体とすればそれを守っていくという存在理由はあまり認められない。
しかしながら、曳山祭を育て継承してきたのは間違いもなくまちなかに住む商人たちであった。現在の長浜の中心市街地の存在理由をつきつめれば、曳山文化に代表される商人文化なのだと思う。
遺すべき、いや育てるべきなのは「商店街」という組織ではなく、商人文化を生み出すダイナミズムということになるのだろうが、そこまで行かなくても、継承し続けていくために必要な「家業」という経済基盤なのだと思う。そこには新しい家業としての創業も必要だ。
家業は 稼業や華業や価業であってほしいのだけど、現実は嫁業や暇業や寡業であったりする。
そこを変えていくことが求められるのだと思うのだ。
うえの賢一郎君は商店街に生まれなので、もちろん長浜商店街連盟としても推薦。
出陣式には応援挨拶をさせていただくことになった。
短い時間だから何をお話すればと思ったが、世界無形文化遺産登録をめざす長浜曳山祭と商店街まちなかについてである。曳山文化を継承していくためには従来の担い手だけでなく、新しい担い手がまちなかに必要だからということにした。
商人というものは古来自らの才覚によってビジネスを切り開いていったのであって、過去に多くの例を見るように、後継者が放蕩すれば存続はかなわない。もちろん住友の廣瀬、三井の益田のような優れた人材を抱えれば別かもしれない。
なので、商店街連盟の会長という立場であるが、「商店街の活性化」という言葉はあまり好きではない。商店街というのは最初から存在していたのでなくて、結果として存在しているからで、商人の集合体とすればそれを守っていくという存在理由はあまり認められない。
しかしながら、曳山祭を育て継承してきたのは間違いもなくまちなかに住む商人たちであった。現在の長浜の中心市街地の存在理由をつきつめれば、曳山文化に代表される商人文化なのだと思う。
遺すべき、いや育てるべきなのは「商店街」という組織ではなく、商人文化を生み出すダイナミズムということになるのだろうが、そこまで行かなくても、継承し続けていくために必要な「家業」という経済基盤なのだと思う。そこには新しい家業としての創業も必要だ。
家業は 稼業や華業や価業であってほしいのだけど、現実は嫁業や暇業や寡業であったりする。
そこを変えていくことが求められるのだと思うのだ。