江・浅井三姉妹博覧会いよいよ開幕へ最終段階
テーマ:まちづくり
2011/01/11 22:42
今日は江・浅井三姉妹博覧会の事務局会議。さきほど終わったばかり。
浅井・江のドラマ館と小谷・江のふるさと館のオープニングイベントの最終チェック。いよいよである。13日には報道陣等への内見会が行なわれる。
1月15日は、それぞれの館でオープニングセレモニー。浅井では時任三郎さんがテープカットと餅まきも。
その後湖北文化交流センターで、プロデューサーの屋敷さんとのトークショーなどを含めたオープニングイベント(こちらは抽選で満席)
第1話「湖国の姫」放映以来、長政役の評判はうなぎのぼり。ドラマ中の「琵琶の湖と近江の国が私は好きです。この土地と琵琶の湖、そしてそこに暮らす民たちをあなたにも愛してもらいたいのです」は泣かせる台詞だ。
一方東京組は、前日からバスで出発。芝の増上寺での法要を始め、東京タワー、有楽町でのPRイベントを行なう。第1回の視聴率は関東の方が高かったようで、その関東圏へのPR隊だ。
オープニングイベントは長浜青年会議所のメンバー諸君が担当。元気よく頑張ってもらいたい。
浅井と小谷のそれぞれの館は性格が違う。浅井は大河ドラマ館だから、おそらく多くの人を集めるだろうが、小谷は逆に小谷城という本物が勝負だ。戦国の滅びの美をじっくり味わいたい方には、ぜひ専用バスで、上野樹里さんが印象的と語った小谷城に登っていただきたい。地元の小谷城ガイドが皆さんを450年前へといざなうだろう。
それぞれの会場の近くにある小谷城戦国歴史資料館や浅井歴史民俗資料館も特設展示を行なっているので、見もの。北国脇往還沿いには姉川古戦場も、賤ヶ岳古戦場もあり、東南に下れば初が嫁いだ京極氏ゆかりの地も多い。もちろん長浜城も石田三成出生地もしかり、この地は戦国の聖地ともいえる。
12月4日のフィナーレへ向けて、どのような仕掛けができるのか、それが試される。
後顧の憂い無し、とかいって私は明日から旅路へ出るので顰蹙をかっているのだけど。
浅井・江のドラマ館と小谷・江のふるさと館のオープニングイベントの最終チェック。いよいよである。13日には報道陣等への内見会が行なわれる。
1月15日は、それぞれの館でオープニングセレモニー。浅井では時任三郎さんがテープカットと餅まきも。
その後湖北文化交流センターで、プロデューサーの屋敷さんとのトークショーなどを含めたオープニングイベント(こちらは抽選で満席)
第1話「湖国の姫」放映以来、長政役の評判はうなぎのぼり。ドラマ中の「琵琶の湖と近江の国が私は好きです。この土地と琵琶の湖、そしてそこに暮らす民たちをあなたにも愛してもらいたいのです」は泣かせる台詞だ。
一方東京組は、前日からバスで出発。芝の増上寺での法要を始め、東京タワー、有楽町でのPRイベントを行なう。第1回の視聴率は関東の方が高かったようで、その関東圏へのPR隊だ。
オープニングイベントは長浜青年会議所のメンバー諸君が担当。元気よく頑張ってもらいたい。
浅井と小谷のそれぞれの館は性格が違う。浅井は大河ドラマ館だから、おそらく多くの人を集めるだろうが、小谷は逆に小谷城という本物が勝負だ。戦国の滅びの美をじっくり味わいたい方には、ぜひ専用バスで、上野樹里さんが印象的と語った小谷城に登っていただきたい。地元の小谷城ガイドが皆さんを450年前へといざなうだろう。
それぞれの会場の近くにある小谷城戦国歴史資料館や浅井歴史民俗資料館も特設展示を行なっているので、見もの。北国脇往還沿いには姉川古戦場も、賤ヶ岳古戦場もあり、東南に下れば初が嫁いだ京極氏ゆかりの地も多い。もちろん長浜城も石田三成出生地もしかり、この地は戦国の聖地ともいえる。
12月4日のフィナーレへ向けて、どのような仕掛けができるのか、それが試される。
後顧の憂い無し、とかいって私は明日から旅路へ出るので顰蹙をかっているのだけど。
閨の文化
テーマ:眠りのお話
2011/01/11 03:27
今日出島先生が長浜へ来られた。短い間だったが、非常に美味しい話をいただいた。
「店そのものが文化となるべき」という目標は判っていて、睡眠文化研究所なるものを立ち上げようと思い、その構想を2年前にぶちあげたものの、その道筋がどうにも見えずに弱っていたところだった。
ありきたりでいえば、昔は夜着を来ていたといったような寝具の歴史であったり、ベッドと畳のような国ごとの寝具文化の違いであったりする、いわば民俗文化みたいな視点があるのだけれど、どうも博物館的になってしまいリアリティに乏しい=面白くない。
覚醒と睡眠を、生と死というアナロジーで捉えようとしたときに、そこに息づく人の鼓動が感じられないので、魅力に欠けてしまうのだ。
先生から、「睡眠というのは、もっと生と死に近いもの。本来もっとセクシャルな部分があるはず」と云われて「あ、なぁるほど」
質の高い睡眠を実現する、という目標だけしか見えていなかったので、その呪縛に捕らわれていた訳だ。いわゆる「閨の文化」という、睡眠の持つ別の側面が欠けていたことに気付かされた。
そう考えると、確かに30~40年前は婚礼の際に夫婦が使うブロケードなるサテンとレースでできた布団があったし、私が長浜へ帰ってきたころは、閨着ともいえるシースルーっぽいネグリジェを売っていた。両方とも快適睡眠という点からはほど遠いのだけれど、いかにも新婚夫婦用の雰囲気をもっていた。今ではなかなか探してもない。アメリカのビクトリアシークレットなんて下着の店に売っていたようにも思うが・・・
いわば風俗文化みたいなもので、多分にエロティックな側面がある。昔、吉原の花魁の夜具はどうだったとか、クレオパトラの閨はどうだったか、とか・・・・。
別に復刻をしようということでもないが(ある意味面白いかも)、物事を多面的に捉えることで、寝室空間のとらえ方が変わるということなんだね。
もっとも「閨の文化」って、面白そうだけど、あまりおおっぴらに書きにくいよなぁ。
「店そのものが文化となるべき」という目標は判っていて、睡眠文化研究所なるものを立ち上げようと思い、その構想を2年前にぶちあげたものの、その道筋がどうにも見えずに弱っていたところだった。
ありきたりでいえば、昔は夜着を来ていたといったような寝具の歴史であったり、ベッドと畳のような国ごとの寝具文化の違いであったりする、いわば民俗文化みたいな視点があるのだけれど、どうも博物館的になってしまいリアリティに乏しい=面白くない。
覚醒と睡眠を、生と死というアナロジーで捉えようとしたときに、そこに息づく人の鼓動が感じられないので、魅力に欠けてしまうのだ。
先生から、「睡眠というのは、もっと生と死に近いもの。本来もっとセクシャルな部分があるはず」と云われて「あ、なぁるほど」
質の高い睡眠を実現する、という目標だけしか見えていなかったので、その呪縛に捕らわれていた訳だ。いわゆる「閨の文化」という、睡眠の持つ別の側面が欠けていたことに気付かされた。
そう考えると、確かに30~40年前は婚礼の際に夫婦が使うブロケードなるサテンとレースでできた布団があったし、私が長浜へ帰ってきたころは、閨着ともいえるシースルーっぽいネグリジェを売っていた。両方とも快適睡眠という点からはほど遠いのだけれど、いかにも新婚夫婦用の雰囲気をもっていた。今ではなかなか探してもない。アメリカのビクトリアシークレットなんて下着の店に売っていたようにも思うが・・・
いわば風俗文化みたいなもので、多分にエロティックな側面がある。昔、吉原の花魁の夜具はどうだったとか、クレオパトラの閨はどうだったか、とか・・・・。
別に復刻をしようということでもないが(ある意味面白いかも)、物事を多面的に捉えることで、寝室空間のとらえ方が変わるということなんだね。
もっとも「閨の文化」って、面白そうだけど、あまりおおっぴらに書きにくいよなぁ。