潜水艦バー「深化」
テーマ:よもやま話
2009/02/22 23:50
日本睡眠環境研究機構の特別講演のあとに、一緒に行っていた茨木・スヌーズタイムの小山さんが「面白い店があるから・・」
谷町6丁目にある「深化」という潜水艦バー。表には看板もまったくなく、民家の路地を入った奥。
入ったとたんに「やられた!」と思いました。これは完全に小坂裕司のワクワク系です。
内装はまるで昔のイ号潜水艦の中。赤いランプが点滅し、何やら音が聞こえます。マスターは二等水兵のような雰囲気。極めつけはトイレで・・・うーんうまくいえません。とにかくすごい。デティルが凝っていて芸が妙に細かい。
先日琵琶湖で呼吸機械という劇を行った劇団維新派の大道具の人たちが作ったらしいです。テーマバーというよりは、知っているものだけが遊びにくる、いわばアジトのようなものでしょう。
せまい穴倉みたいなところに7人ぎゅうぎゅうでしたが、実にエキサイティング。値段も無茶安いです。
店の住所も出したらダメとのことで、しかもよっぱらってましたから、もう一度行けといわれても行けるかどうか不安です。一応iPhoneのGPSに登録だけしておきました。
あんなところ、雑誌なんかに載ったが最後、人が押しかけてしまうでしょうから、どうしても行きたい方は伝をたどってください。
小山さんの友人は空堀商店街にもかかわっているとのことで、楽しい一時でした。
大阪駅で米原行きの新快速最終にぎりぎり間に合って、帰ってきました。
谷町6丁目にある「深化」という潜水艦バー。表には看板もまったくなく、民家の路地を入った奥。
入ったとたんに「やられた!」と思いました。これは完全に小坂裕司のワクワク系です。
内装はまるで昔のイ号潜水艦の中。赤いランプが点滅し、何やら音が聞こえます。マスターは二等水兵のような雰囲気。極めつけはトイレで・・・うーんうまくいえません。とにかくすごい。デティルが凝っていて芸が妙に細かい。
先日琵琶湖で呼吸機械という劇を行った劇団維新派の大道具の人たちが作ったらしいです。テーマバーというよりは、知っているものだけが遊びにくる、いわばアジトのようなものでしょう。
せまい穴倉みたいなところに7人ぎゅうぎゅうでしたが、実にエキサイティング。値段も無茶安いです。
店の住所も出したらダメとのことで、しかもよっぱらってましたから、もう一度行けといわれても行けるかどうか不安です。一応iPhoneのGPSに登録だけしておきました。
あんなところ、雑誌なんかに載ったが最後、人が押しかけてしまうでしょうから、どうしても行きたい方は伝をたどってください。
小山さんの友人は空堀商店街にもかかわっているとのことで、楽しい一時でした。
大阪駅で米原行きの新快速最終にぎりぎり間に合って、帰ってきました。
ふとんとカビ
テーマ:眠るための道具・寝具のお話
2009/02/22 23:21
カビというと蒸し暑い梅雨どきを想像しますが、ふとんにカビが生えやすいのは実はこの1~2月
NPO法人日本睡眠環境研究機構(昨年設立されました。現在監事をしています)の特別講演会が21日に大阪であり、参加してきました。今回のテーマはふとんの温湿度。
特にフローリングに布団を敷いて寝ている方に多いのが「朝、ふとんの裏がびっしょり」という状況。上げ下ろしをしていればいいのですが、敷きっぱなしだとカビが生えます。
その原因は、体からの汗ですが、そのメカニズムがはっきりしました。よくよく考えればなるほど、なんですが気がつきませんでした。同じ水分量でも、温度によって湿度は変わるということです。
つまり、布団に寝ると体の体温で布団が温まり、ちょっと湿っぽいなと思っていても温度が上がるにつれ、相対湿度は下がっていきます。一方、最初のノンレム睡眠時に大量の発汗がありますが、寝具の温度も上がっているので、相対湿度はそれほどあがりません。しかしながら、寝具の中の絶対水分量は当然上がっています。
問題は、この水分が湿度の少ない敷き布団の下のほうへ移動した場合に、冷えたフローリングによって結露するからなのです。となれば、結露防止には、フローリングからの断熱と、下へ行った水分の発散を効果的に行うことが必要であるとわかります。スノコやベッドにすると床からの距離ができるために、少し有利になります。また、アルミのような断熱シートなども効果的。と同時に、ふとん(マットレス)と床面との間にハニカムシートのような、通気性を確保することが必要です。
どうしても直接敷かなければならない場合は、フォームエースのような断熱性が高い素材を使ったふとんが効果的です。ただ、フォームエースは透湿性もほとんどないために、結露は激減しますが、その分どこかで湿気を逃がしてやらなければなりません。
同じ理由で、マットレスを直接床に敷くのも危険です。冬は床が冷えて、水蒸気が結露しやすい状況になるので、床暖がしていればOKですね。
また、朝ふとんを冷える押入れに片付けるよりは、部屋の中で少しでも湿気を出したほうがいいでしょう。
NPO法人日本睡眠環境研究機構(昨年設立されました。現在監事をしています)の特別講演会が21日に大阪であり、参加してきました。今回のテーマはふとんの温湿度。
特にフローリングに布団を敷いて寝ている方に多いのが「朝、ふとんの裏がびっしょり」という状況。上げ下ろしをしていればいいのですが、敷きっぱなしだとカビが生えます。
その原因は、体からの汗ですが、そのメカニズムがはっきりしました。よくよく考えればなるほど、なんですが気がつきませんでした。同じ水分量でも、温度によって湿度は変わるということです。
つまり、布団に寝ると体の体温で布団が温まり、ちょっと湿っぽいなと思っていても温度が上がるにつれ、相対湿度は下がっていきます。一方、最初のノンレム睡眠時に大量の発汗がありますが、寝具の温度も上がっているので、相対湿度はそれほどあがりません。しかしながら、寝具の中の絶対水分量は当然上がっています。
問題は、この水分が湿度の少ない敷き布団の下のほうへ移動した場合に、冷えたフローリングによって結露するからなのです。となれば、結露防止には、フローリングからの断熱と、下へ行った水分の発散を効果的に行うことが必要であるとわかります。スノコやベッドにすると床からの距離ができるために、少し有利になります。また、アルミのような断熱シートなども効果的。と同時に、ふとん(マットレス)と床面との間にハニカムシートのような、通気性を確保することが必要です。
どうしても直接敷かなければならない場合は、フォームエースのような断熱性が高い素材を使ったふとんが効果的です。ただ、フォームエースは透湿性もほとんどないために、結露は激減しますが、その分どこかで湿気を逃がしてやらなければなりません。
同じ理由で、マットレスを直接床に敷くのも危険です。冬は床が冷えて、水蒸気が結露しやすい状況になるので、床暖がしていればOKですね。
また、朝ふとんを冷える押入れに片付けるよりは、部屋の中で少しでも湿気を出したほうがいいでしょう。
日本沈没とコンピュータシミュレーション
テーマ:コンピュータ
2009/02/22 01:31
やっと「日本沈没」の完結編を読むことができました。
油甚さんの「待ち時間の予測」のコメントに書きましたが、大学の卒論は「待ち行列とコンピュータシミュレーション」でした。
なんでそうなったかの伏線が高校のときに読んだ「日本沈没」。あの中で、日本が沈没する過程をコンピュータシミュレーションによる3Dモデルで表すくだりがあります。当時はパソコンもありません。IBM360というメインフレーム全盛の時代、3Dディスプレイなんて夢のまた夢みたいな時代だったと思います。(今でも結構大変なはず)「すごいな~」と感じて、コンピュータシミュレーションの本を買いに行った記憶があります。
大学2年の時だったか、工学部に行っていた従兄弟から「おい、マイクロプロセッサが出たぞ」と聞いたのが始まり。NECのTK-80とか富士通のLkit16と行ったトレーニングキットが発売されていました。専攻は経営工学。学校のメモリ32KバイトのミニコンでFORTRANのプログラムをパンチカードで実行していたという、ほほえましい時代。
3年の夏に親に話をふっかけて、TRS-80というBASICが使えるパソコンを購入。クロック1.7MHz、メモリ16Kバイト。これでプログラムを書いて、卒論を仕上げました。と書くとあっさりしていますが、当時は処理速度が遅く全部で200パターンのシミュレーションを想定したのですが、モデルが複雑で1つにまる半日かかってしまいます。これでは締め切りにとても間に合いません。
そこで、当時バイトしていた神戸の星電社でマイクロソフトのBASICコンパイラが入荷した際、日本語用のパッチを当てるということで借り出して(今から考えればずいぶんとおおらかです) それで30分に短縮、それでも10日間ぶっつづけに動かして、なんとか間に合わせたという記憶があります。
日本沈没完結編では地球シミュレーターの話がでてきます。これは実際すごいですが、プレステ3のようなゲームもいわば仮想空間のシミュレーター、処理速度の変遷に感慨深く思います。
とはいっても人生をシミュレーションするようではおしまいですね。
油甚さんの「待ち時間の予測」のコメントに書きましたが、大学の卒論は「待ち行列とコンピュータシミュレーション」でした。
なんでそうなったかの伏線が高校のときに読んだ「日本沈没」。あの中で、日本が沈没する過程をコンピュータシミュレーションによる3Dモデルで表すくだりがあります。当時はパソコンもありません。IBM360というメインフレーム全盛の時代、3Dディスプレイなんて夢のまた夢みたいな時代だったと思います。(今でも結構大変なはず)「すごいな~」と感じて、コンピュータシミュレーションの本を買いに行った記憶があります。
大学2年の時だったか、工学部に行っていた従兄弟から「おい、マイクロプロセッサが出たぞ」と聞いたのが始まり。NECのTK-80とか富士通のLkit16と行ったトレーニングキットが発売されていました。専攻は経営工学。学校のメモリ32KバイトのミニコンでFORTRANのプログラムをパンチカードで実行していたという、ほほえましい時代。
3年の夏に親に話をふっかけて、TRS-80というBASICが使えるパソコンを購入。クロック1.7MHz、メモリ16Kバイト。これでプログラムを書いて、卒論を仕上げました。と書くとあっさりしていますが、当時は処理速度が遅く全部で200パターンのシミュレーションを想定したのですが、モデルが複雑で1つにまる半日かかってしまいます。これでは締め切りにとても間に合いません。
そこで、当時バイトしていた神戸の星電社でマイクロソフトのBASICコンパイラが入荷した際、日本語用のパッチを当てるということで借り出して(今から考えればずいぶんとおおらかです) それで30分に短縮、それでも10日間ぶっつづけに動かして、なんとか間に合わせたという記憶があります。
日本沈没完結編では地球シミュレーターの話がでてきます。これは実際すごいですが、プレステ3のようなゲームもいわば仮想空間のシミュレーター、処理速度の変遷に感慨深く思います。
とはいっても人生をシミュレーションするようではおしまいですね。