私の10月19日
昨日は10月19日(あたりまえですね)。皆さんは何か思い出がありますか?私には2つの思い出があります。
一つは、プロ野球ファンならご存知の昭和63年(昭和最後の年)の10・19川崎決戦です。今は無き、近鉄バッファローズが当時常勝の西武ライオンズと優勝争いを展じておりました。西武が全日程を終了。近鉄がその日のロッテ戦ダブルヘッダーで2連勝なら近鉄、一つでも引き分けなら西武優勝ということでした。結果は13時に始まった第1試合、第2試合終了は23時くらいでなかったかと思います。結果は近鉄が第1試合は勝利したものの第2試合は時間切れ引き分けとなり西武優勝。球史に残る名勝負であります。
もう一つは2年前のこの日、義父が動脈瘤の手術をしました。実父が3年前に腹部代動脈瘤の破裂で急死していますので、義父に動脈瘤が見つかったと聞いたときは私も妻も「早く手術しないと。」と手術を勧めました。そして、当日の手術、11時ごろから始まり夜中の12時ごろまでかかった大手術でした。手術は無事成功、しかし、その影響でしょうか脳梗塞を併発、現在では歩けなくなってしまいました。
よく、テレビでカリスマ医師が大動脈瘤の手術をさっとやり、翌日くらいから帰っておられる人を見ると悔しくなります。「なんで手術する病院を選ばなかったのか。」と。義父も義母も執刀してくれた先生を恨んでは無くてむしろ病院にも感謝しております。私も先生方は本当によくやってくださった、最大限の力を尽くしていただいたと思っております。ただ、自分の考えが本当にこんな大事なときに足らなかった。親父を無くすという経験をしておきながら、それを最高に生かせなかった自分に腹が立っています。
私は以前、プレジデントの病院ランキングを見て「なんで気が付かなかった。」と思ったのは病院の手術回数であります。先ほどのカリスマ医師や国立循環器病センター(大阪)などは手術を週に5回以上は行うそうですが、義父の病院ではそんなに経験がありません。プレジデントでもその事(手術経験の豊富さ)を記していました。診察をしたら紹介状をもらい、手術慣れしている病院で手術を受けるべきだったのかもしれません。料理も評論家はレシピーなどは書けてもいざ料理となると出来ない人がいます。難しい手術はそういうもの、医薬分業だとか、病診連携といいますが、診察・手術連携も大切なのだと思います。
病院のあり方、システムをもっと考えて行く必要があるのではないかと思います。
本日の朝、10・19を忘れていたわたくしの悔コ録であります。
大きな梨をもらいました
今日もいい天気、それにしても昨日は愉しかったですね。着物園遊会は本当にすごいイベントです。1000人以上の晴れ着姿の女性がそぞろ歩くんですからいいですね。長浜のまちはそれがまたよく合うまちですから、京都のある地点でこれをやるのとはまた違いますからね。
今日は、叔父から大きな梨が送られてきました。叔父の奥さん(つまり叔母さん)の実家が熊本県の荒尾市になりますので、そこの名産品です。またバカでかいでしょう。普通の梨がないので、私の店で売っている究食パン1斤と並べて見ました。
大きいので少し大味な感じがしますが、美味しい梨ですよ。
み~なちゃん出しました
よく歌舞伎の世界では、出し物に困ったり、お客さんが入らなくなると「忠臣蔵」をやると、必ず盛り上がるといわれます。「ネタに困れば忠臣蔵」というわけですが、さしずめ私は「ネタに困ればパンの話し」でしょうか。
先日100号を記録されたみ~なですが、そこにユルキャラのみ~なちゃんが紹介されていました。同じまちなかで一生懸命頑張っておられるみ~な編集部ですので、これを紹介出来たらなーと思って、パンにしました。み~なちゃんは白地ですので当社のシルクレディの生地にカスタークリームを入れてチョコで描き上げています。中身は、また変えて行きたいと思っています。み~なにふさわしい中身は何かな?
なお、写真は包装したものですが、実際は包装していません。
明日着物園遊会
今日、これを書こうとしていたら、以前イタリアの大聖堂に落書きした我が母校の学生3人が大聖堂に夏休みにあるバイトしたお金15万円をお詫びの気持ちで寄付したというニュースを拝見しました。3人で15万円は少ないかなーと思いますけど、学生たちは始め「落書きを消す作業をしたい。」と申し出ましたが「素人には無理。」と断られ、それではせめてものということで今回の行動に出たらしいです。大聖堂は彼らの気持ちを汲んで受け取ったそうです。何でも大聖堂の落書きはかなりひどいそうで学生たちも逆に落書きが当たり前に思ってやってしまったのでしょうか?とにかく学生たちが廻りに左右されず信念と正しい道を貫く大切さを今回の事で肝に銘じ、立派な社会人になってくれたらいいと思います。
ただ、マスコミは見つけたら鬼の首を取ったように自分たちが「あるある」で悪いことをしたのは棚に上げてお祭り騒動、彼らの性根は直らないのでしょうか?
すっかり、話しはそれてしまいました。明日は着物園遊会。たしか私が仕事を始めた年に第1回が開催されました。当時は参加者が集まるだろうか心配されていましたが、ふたを開ければあっと言う間に集まりました。当日は、好天に恵まれ、非常に晴れやかで大盛況に終わったと覚えております。ある年はアートインナガハマと同じ日に開催され、NHKで「ふるさとの文化祭」だったと思いますが、特集で放送され、私の妹が大通寺のステージに上ってテレビに映っていたのを家族で気が付いた事もありました。(妹は当時大学生、その事は黙っていて、放送されたときは下宿へ帰っていました。)そのビデオは6人くらいにダビングして配ったかな。
当時は景品に海外旅行や車が当たるということと成人式以外に着物を着る機会がもてるということで参加者はすぐいっぱいになり、実際1000人以上の晴れ着を着た女性が歩き回るのは非常に晴れやかで愉しいイベントでした。ただ、参加者のマナーは悪く、最後の集まりが終わったあとの会場はゴミだらけ、「身なりは綺麗にしてもアカンなー。」といっていたのを思い出します。景品も最近は車など当選した参加者が「要らん。」といって換金してしまうので工業会も景品を変えたり、旅行券も換金不可のものにするとか。時代は変わりました。
落書きの学生とゴミを平気でポイ捨てしていく参加者。どちらも、自分の物差しで判断している姿は変わらないですね。ただ着物園遊会は素晴らしいし、浜ちりめんの長浜として大切なイベントだと思いますので、改良してこれからも続けて欲しいものです。
平和堂周年祭
本日広告を見ていると、平和堂長浜店の周年祭売り出しのチラシが入っていました。毎年、同じくらいの月にオープンしたお店で周年祭企画をされるのですが、その期間と特紹会の日はいつにも増してお客さんが来られます。私も昨年まで関わっていましたのでちょっと興味を持ちました。
平和堂長浜店、駅前店と思っておられるでしょうけれど正式名は長浜店です。今でこそ一部上場の大きな会社ですが、長浜店は私が小学校2年生くらいのときにオープンしたと思います。平和堂全体では彦根銀座店、くさつ平和堂に次ぐ3号店でありまして、これを気に大きく伸びる礎となりました。ですから、創業者の夏原平次郎さんは本年5月を持って会長職からも正式に退かれましたが、在任中はかなりの思い入れがあり、先述の3店はどんなに赤字でも原点だから消さないとおっしゃってたようです。
小学校から高校までは長浜で一番大きなショッピングセンターでしたので、イベントもたくさんありました。ウルトラマンのサイン会並びにショーなどは覚えています。そうは言っても今ではとても現代ニーズには応える事が出来ません。商圏としては旧八号線より西で南北は徒歩圏内でしょうか?ただ、旧市街地でもしなくなったら地元の人が一番困る店の一つであると思います。
企業の存在価値が問われていますが、少し消極的な意味で今の長浜店の存在価値はあります。商店街はどういう存在価値か?先日も北近江のええモンとして残って生きたいと書きましたが、各店の存在価値がうたえない店は存続が困難になっていくでしょうし、商店街などがいくらまちづくりとかコンセプトを作っても、肝心の個店がしっかりしなくてはなにもなりません。自社の存在価値は他人の協力や力添えを得ても最後は自社でしか構築する事が出来ませんので、まちなかでもそういうことを考えながら語って行きたいと思います。
ちょっと考えがうまく言えなくてすみません。