海外留学
海外留学の仲介の最大手、ゲートウエイ21が破産宣告で、被害者が怒りの説明会の風景のニュースが出ていました。いつも思うのですが、あの怒りの声、ひょっとしたらあれは、マスコミ関係者のやらせもあるのでしょうか。
留学も最近は簡単に出来るので、長浜の情報誌・みーなでも一度、長浜近辺で海外で活躍する人の特集が記載された事がありました。語学留学がやはり多いようですが、会社から派遣される技術的なものもあります。
私が中学のころ、NHKラジオの基礎英語、続基礎英語を聴くように先生から言われ、それを教材にして授業がありました。そのテキストの中に、AFS(アメリカンフィールドサービス)という、国からの留学派遣のシステムが今でもあるんですかね、紹介されていまして、これに選ばれた人を見て「いいなー、ただでアメリカへ行けて。」と思っていたのを覚えています。
このように、昔はなかなかいけなかったので留学に選ばれた人は本当に一生懸命だったと思います。今ではパンでも日本の技術がトップクラスで日本で十分色々な勉強が出来ますし、国内留学(修行)した方がいいと思います。だから海外へ行くのは技術を学ぶと言うより違う世界を見て新しい感性を導き出すという感じでしょうか。
とにかく、留学の意味を今一度、考え直すときなのでしょうか?留学は自分自身がしっかりした理念を持ってかからないと、意味がないと思います。また留学先を選ぶのも、そういった業者ではなく、自分が学ぼうとすることの関連業界から紹介してもらえるようにした方が間違いは少なく、甘い考えで行く事が出来ないのでそうすべきではないかと思いますね。
AINと先輩後輩
油甚さんのAINの文章、素晴らしいですね。油甚さんは私の中学・高校の1年上の先輩で、非常に優秀な方でした。大学は強面の知事と同じ、H大学。あまり書くと個人情報法にかかりますね。皆さんでもそうでしょうが、先輩のことはよく覚えています。・・さんは何大学行かれたとか、何部に入っておられたとか。逆に後輩はよほど目立つか、噂にならないと殆ど知りません。
学生時代は短い間の先輩後輩ですが、社会人になると大きな年齢差が出来ます。会社内の先輩から商店街やAINのような実行委員会、また青年会議所のように年齢制限のある奉仕活動や勉強の団体。それらではいずれも素晴らしい先輩に出会え、ついていったりすることにより、一生懸命活動した人は人間として大きくなって行きます。そして、組織も変わって行きます。
よく壁を破るとか、殻を破るといわれます。二つのものに共通するのは外敵から守るためのものです。しかし、いずれも一度破らねば大きく成長することは出来ません。よき先輩の行動などを見習っても新しきこと、我々が何かを築いて行く姿勢が絶対に必要になっていきます。
今回のナイトアインは新しい試みでした。AINを作り出した石井さんなどの先輩たちが交流会という大切なものを作ってくれました。そして内容は若干変更があったとはいえ21年間続いてきました。今年「これをただ漫然と行うのではなく交流会の本来の意義を22年目の本年、見直そうではないか。」と、石井さんたち先輩のお手伝いをしてAINをやってきたある先輩がいい、今回のナイトアインの開催となりました。これがどう開いていくのか、本年の検証は大切です。
大相撲八百長裁判
今日、横綱・朝青龍が八百長疑惑で裁判に出廷しました。当然やってないといいました。八百長の証人としてよく出て来る板井は、朝潮(現・高砂親方)らと同じ時代で、実業団出身でスピード出世をした力士です。現役の最後のころは怪我をしないために、さっと負けることが多かったのを覚えています。
先日行われたモンゴル巡業。見られた方は誰もが、「本場所と違うわー。」と思われたはずです。本場所以外に行われる巡業、今度の米原場所やトーナメント戦もそうです。はっきり言っていつも一生懸命では怪我をしてしまいます。それらを見て八百長や無気力相撲が言われているのだと思いますが、興行としての大相撲を考えて見方を変えるのも大切だと思います。
小泉元首相が表彰式で「傷みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」で有名な貴乃花ー武蔵丸戦。武蔵丸の実力なら、あんな足の状態の貴乃花に負けるわけがありませんが、逆に武道家としての武蔵丸が優しい心、揺れた心で動く事が出来ず、あの結果になったのだと思います。あれを八百長とか武蔵丸がわざと負けたと言うのはもってのほかで、二人に対する侮辱でしょう。
何か汚いとか、体質がおかしいなど言われますが、確かに北の湖前理事長のファンを無視した情けない行動、言動は許せません。ただ、ファンもよく見ればわかりますので、大切なところで八百長まがいの相撲に対してはブーイング。そうでないのには、それなりに見ることが必要だと思います。
最後に野球でのいい審判はクロスプレーでアウト・セーフどちらに上げてもいい判定の時には、「ファンが一番盛り上がる、感動できる判定を下す。」それを瞬時に判定するのが名審判と言われています。
引退から思うこと
昨日の清原、感動的な引退でしたね。毎年、引退の選手が出るのですが、今年はオリンピックもあり、これを機に退く、有名人が多いようです。また、 バレリーナの草刈民代さんが、バレーを引退して女優業に専念とのこと。バレーで鍛え抜かれた美しいプロポーションと美貌ですから、しばらくは続くかな。
今年はプロ野球、王監督、桑田、清原と影響力のある人が退きました。オリンピックでも出られませんでしたが井上康生が引退、陸上の朝原も引退。時代を作ってきた人の引退は寂しいものです。
私の大好きな大相撲の引退は美しいものでした。大鵬が引退したのは貴ノ花に負けたとき、その貴ノ花は千代の富士に千代の富士は貴乃花(当時は貴花田)にと。昨日のブログへの君が代さんのコメントにもありましたがまさしく先人から後人への命のと言えばオーバーかもしれませんが彼らの引退を決めた一番はまさしく魂のバトンタッチでした。だから、私たちはその一番に感動したのだと思います。
私たちの会社でもそうかな、「渡すものがある。」そう言う感じで、お別れした先代との場面は一生忘れることは出来ません。
曳山飾りつけ
まだ、曳山まつりまでは数ヶ月とはいえ、総當番(祭りの実行委員会)の組織も決まり、本格的な準備に入られているようです。さて、S酒店さんから昨日の事を書けと言われたので書きます。
曳山博物館に入っている来年の出番山4基のうち、2基を半年間交替で展示します。昨日、10月から展示する我が大手町・壽山の飾り付けを行いました。見送り幕などは、そのまま付けると傷みますのでレプリカを付けたりしてお客様にわかっていただけるようにします。飾り付けをしているうちに、あれ、「こんなものがあったの!」「ここがひきだせるのか!」など長年まつりをやっていた人でも「知らなかったなー。」といわれるものがありました。
長浜青年会議所(JC)の理事長を務められた事のあるS酒店さん。長浜JCの「おしゃべりスリーS」といわれたこともあり弁舌さわやかで、早口で口下手の私はうらやましいのですが、そのS酒店さんが一度、後輩のために例会に講演に来られました。祭りと町衆の心意気とJC活動について話されました。その中で「祭りに自分の子供が役者で出たが・・・、曳山の花道を若衆と一緒に持ったとき、何百年か前にも、こんなことがあったのかな・・・そのときの顔も知らない親との・・・共有・・などを感じました。」といわれました。当時は「何を言ってるの。」と思いました。しかしその後、私の父が急死しました。その半年後に、祭りの準備が始まります。そうして、約3ヶ月、特に裸参りなどをしていると、親父始め大手町の亡くなった人も健在の人も含めて色々な時代のそのとき(若い時代や年を取ってからの時代)の人との時間と空間の共有を感じる自分がありました。特に裸参りの八幡神社でお祈りをするときなどはどの時代でも変わらない時間と空間であります。つまり古の顔も知らない人々と共有する貴重な機会ではないかなとおもいます。また、若いときの自分との共有でもあります。
さて、本年は壽山の柱の竜の彫金ができて、ちょうど200年だそうです。200年の人々との共有ですね。博物館での作業は最近始まったばかりですが、何年か先には、青い目の人が、その場を共有しているかもしれませんね。