独裁
今日(10日)の産経のコラム「正論」には田久保忠衛氏が「大衆迎合では『激動』乗り切れぬ」の見出しで記されていました。抜粋して記します。
“・・。「アラブの春」からロシアで起きている「モスクワの冬」に至る各国の抗議デモは、それぞれの事情があるものの、「反独裁」は共通しているだろう。
・・・。対照的に指導を忘れて、国民目線を追い求める競争に入った日本政治に対して、強い抗議を申し入れたい。
・・・・。独裁への抗議が強まる世界的な傾向とは逆に、日本では人々のエゴイズムにおもねる民主政治の末期的症状が顕著である。
目は外に向かず、選挙での票目当てに、人々の顔色を見て注文取りに走る政治家は少なくない。外交は事務方のお膳立て通りに、その場を凌ぐのに精一杯のように見受けられる。
外交・防衛の決定力の基礎である国際情勢の流れが分かり、日本の戦後体制がそれに合っているかいないか公言でき、外交と軍事は同じコインの裏表という現実が理解できるー3つの条件に合致する政治家があまりに少ないのに愕然とする。
独裁者の持つ指導力と決断力をむしろ必要とするのは日本の政治家ではないか。”
近くの北朝鮮や中国のような独裁は許されませんが、市民への願いを持った独裁は必要です。石原都知事や橋下市長は市民への熱い願いを持っています。その実現に向けて抵抗勢力と闘っています。それこそが政治家の姿であるはずですが、目につくのは利益誘導を目的とする政治屋ばかりです。
「願いがあればエネルギーが泉の如く湧き出てくる」とは我が師匠の言葉です。今こそ国政を預かる人達はしっかりとした国家観を持って事に臨んでいただきたいものです。