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ローマ人(びと)の物語(1)

テーマ:よもやま話
Facebookを見ない知り合いから、ヴェネツィアの後はどうなった?といわれたので、遅まきながら続編。

ヴェネツィアの最終日、娘が「海鮮食べたい」というのでリアルト橋とカナル・グランデを望むレストランへ。
確かにうまかったんだけど、景色もいいんだけど、二人で昼食120ユーロ。しかもチップよこせとしつこい。
ヴェネツィア

サンタルチア駅から、特急フレッチェアルジェントでローマへ。4時間近い「ちょっと贅沢欧州列車紀行」はなかなか快適。早期割引だと1等車に二人で98ユーロと格安。夜にローマ・テルミニ駅へ到着。ホテルは駅から100mなので楽勝。市街地を歩く旅行の場合ホテルの場所は重要。

永遠の都、ローマは実に30年ぶりだ、が何も知らずに来るのと、学んで来るのではその差が一番大きい都市かもしれない。前回は無知を晒したので、今回は挽回する番である。

1日目は朝ホテルをスタートしてクイリナーレからナヴォーナ、カンピドーリオ~フォロ・ロマーノ~コロッセオ~テルミニ駅とずっと歩き。カエサル・アウグストゥス・トラヤヌス・ヴァスパシアヌスなどなど歴代の皇帝の名前が次々と出てきて飽きない。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂は屋上へ上がってローマ市内を一望できる。

ローマ

正面から伸びるコルソ通りはポポロ門を通ってフラミニア街道へ出るわけだが、それだけ見ていても飽きない。南のアッピア街道も行きたかったが、正味3日間ではとても手が、いや足が回らない・・もとい動かない。

コロッセオ

この辺りで足は完全に棒になる。7つの丘からできているだけあってローマはアップダウンが大きい。
地下鉄に乗る誘惑を断ち切り、ジェラートで娘をなだめて、サンタ・マリア・マッジョーレ教会へ。やたらに教会が多く、しかも中身が良すぎるので正直取捨選択に困るのがローマだ。ここまできたらテルミニ駅はすぐそばだ。

今年の旅のテーマは

テーマ:よもやま話
毎年1月。第2週に開催されるフランクフルト・ハイムテキスタイル見本市と第3週に開催されるケルンimm cologne国際家具見本市の間に毎年世界遺産巡りの旅をすることにしている。

一昨年のテーマは「フランドル絵画‐フェルメールを求めて」
昨年のテーマは「イスラムの残照」 で、セビリア・コルドバの旅

そして今年は「塩野七生」
彼女の著作「海の都の物語」「ローマ人の物語」「レパントの海戦」「チェーザレボルジア~」「緋色のヴェネツィア」などがネタになる。

venezia

ヴェネツィアの政体、共和国議会・10人委員会・20人委員会など、そのしくみと歴史を見るとパラツィオ・ドュッカーレの見学も10倍ぐらいは面白いというものだ。共和国議会の大広間の隣で団体では飛ばされてしまう、レパントやダルダネスなどヴェネツィア共和国が戦って勝利を収めてきた記念の絵を見ると、彼女の著作の内容が思い出されて実に興味深い。

資源を持たず貿易立国として1000年続いたヴェネツィアの歴史は徹底した情報収集と外交術、効率性を第一とした運営システムによって保たれてきたが、、知れば知るほど現在の日本にとって教師となることは間違いないのだろう。

コルネール、フォスカリ、グリマーニ、コンタリーニ、ダンドロ等々、現在もカナルグランデ(大運河)に残る名家の館の跡を見ながら、その時代時代を一級の国として生き抜いてきたヴェネツィアのすごさを感じることとなる。

なにより、何もなかった干潟に人工的に土地を作り、建物を建ててまちづくりをしたヴェネツィア人のパワーには敬意を表さざるを得ない。今日観光都市として生き残っているこの街は水没のプレッシャーに耐えながらも、ヴェネツィア・ビエンナーレなど新しい取り組みを怠ることがない。角を曲がるごとに新しい情景を見せてくるこの街は、もう少しのんびり滞在したいものである。

今回はそういう思いもあって(本当はダニエリに泊まりたかったのだけど)スキャヴォーニ河岸ぞいのホテル、サボイア・ヨランダを選んだ。サン・ジョルジョ・マジョーレ教会を向かい側に臨み、アドリア海に繋がり、春先には多くの交易船が並んだというこの一帯は、500年前に思いを馳せることができるかと思ったからなのだ。

ほぼ2日間で、かなり歩き回ることができたと思う。通常では行かないようなところまで。ヴェネツィアの旅は終わり、永遠の都ローマへと向かうこととなる。


リトアニアでMIGに出会う

テーマ:よもやま話
それは、リネン生地メーカー・シウラス社のあるビルザイまで、リトアニアの首都ヴィリニュスから2号線で向かっていた時のこと。パネヴェジーズの街をすぎてしばらくするとその場所はあった。

通過した時は、「あれっ?MIG戦闘機じゃないの?」とちらっと思っただけだったが、そういえば19889年の独立までリトアニアはソ連の一部だったのだ。話を聞くと航空オタクの人が作ったらしい。

ビルザイからの帰り道に、陽気な運転手がそこに立ち寄ってくれた。

モーテル


ソ連の戦闘機が並んでいる。もちろん飛ぶことは無いらしい。
一番手前はMIG21 フィッシュベッド。
MIG21


その奥は可変後退翼を持つMIG23 フロッガーにつづいて スホーイ15 フラゴン

MIG23

スホーイ15

写真に撮りそこねたが、管制塔やハンガーらしきものまであって、ミリタリーオタクにはたまらないだろうね。
モーテルなのでちゃんと泊まれるそうだ。中がどんなのか興味があるが。航空服ぐらいはあるのだろう。

独立して25年ぐらいだから、結構このようなソ連時代の遺物がある。
ヴィルニュスにあった戦争博物館にもT型戦車や装甲車などが展示されていた

T型タンク

「人を殺す道具でしょ」といわれてしまえばそうなのだが、メカニックに弱いのが男の性か・・・


教育委員会のお仕事チェック

テーマ:よもやま話
先週6,7日と長浜市教育委員会の事務評価委員として、教育委員会のお仕事チェックを行ってきた。

じんとにっく氏は長浜市の教育委員であるが、今回はその状況も踏まえて外部委員のご意見を承るという会議である。もっと多いのかと思ったら委員は私を入れて3名。

もっともチェック項目は130項目におよび、それぞれについて担当課長さんから説明がある。ところが・・・知り合いとか同級生がぞろぞろ出てくるので、困ったもんだが、私の役割はズバズバ言うことだろうと理解して、最初は遠慮がちに、2日目は遠慮なしに・・

教育現場でいろいろ問題が起きているのは、ずっと保・小・中・高とPTAをやってきたから痛感するわけだが、それを解決していく現場の大変さはよく理解ができる。ところが、行政の宿命ともいえるが、視点が単年度的、よくあって2~3年。

会社経営で最近重要視されるのは、理念とミッション。ところが、こういう視点は行政においてはついつい失われがちだ。(市長部局の場合はこれは市長の仕事) 教育委員会の場合、この仕事は5名の教育委員にあるわけだが、委員会も追認型になってしまっていて、その役割を十分に果たせてないということだろう。もっとも、それをちゃんとしようと思えば、それなりのフィーも支払わねばならない。それゆえ、大阪の橋本市長のように行政が介入しないとだめではないか、という議論になるのもわからないではない。 どう思う?>じんとにっく氏

人づくりの理念とミッションの構築は急務ではないか?

虎高のPTAやっていて、つくづく思うのだけど、個人の最適化と学校の最適化が、地域にとって最適にならないというジレンマである。
高いコストを投入して良い大学へやって、優秀な人材ほど地域に帰ってこない。田舎では老夫婦が二人暮らし・・・ということであれば、地域における教育の目的はどこにあるのかと問いたくなる。
明治維新以降の中央集権国家づくりなら、それでよかったのだけれど、これは永久のジレンマでもあるけどね。東大卒の連中が取り組みたいと思う地域にすることも大事だから。

今回言及はしなかったが実行組織としての教育委員会の最大の問題は人事ではないかと思う。市長部局や民間との人事交流がもっと増えると、視点が大きく変わってくるだろう。

結構脳を使った2日間だった。

負担人というお仕事

テーマ:よもやま話
今年の曳山祭に与えられた役割は副負担人。

正負担人とともに山組運営の責任者ということになる。なぜ、「負担」人なのか?山組の全責任を負担するからなのか、はたまた昔は費用を全て負担したのかはわからない。が、若衆筆頭とともに祭り運営の責任を負う。

大きい町だと、中老や若衆も人数があって分業もできるのだが、孔雀山は中老も若衆も一緒になって祭りを遂行する総まつり。人数が少ないので、何でもしなければならない。

そうして迎えた祭の本日、負担人の第一の仕事は「挨拶」である。
例えば、登り山は次山に「登り山を始めます」、すじかい橋に到着すると総当番に正装確認して、「到着しました、正装確認しましたので、山を曳きいれます」と挨拶、前の山にも同様。着座したら総当番と前山に挨拶。
と、事あるごとに「人行事」(金棒引き)を露払いに挨拶をする。じゃらじゃらと音がする金棒は、負担人が挨拶のために近づいてきたことを知らせるためだ。

このように、祭は挨拶に始まって、挨拶に終わるといっても過言ではない。当然、いつ挨拶に来られても良いように、人行事と一緒に山の傍に常に一人はいなければならないから・・・立ちっぱなしとなる。特に一番山だと、最後の戻り山までほぼ立ちづめだから、足が棒のようになる。

これは、12山すべてが出ていた時代に、総当番が全体の運行状態を確認するために報告・連絡を徹底したためではないかと思うのだけれど、これを抜かしたりすると運行がストップするので、細心の注意が必要だ。
近年は人行事さんは学生さんがボランティアをしてくれていて、非常にありがたいのだけれど、十分レクチャーしておかないと、負担人が挨拶に来られて人行事を探しに回ることも少なくない。人行事とセットで挨拶は行われるからである。

ということで、「やせがまんの美学」の典型が、座りっぱなしの舞台後見と、立ちっぱなしの負担人なのである。



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