今年の旅のテーマは
テーマ:よもやま話
2014/01/13 03:02
毎年1月。第2週に開催されるフランクフルト・ハイムテキスタイル見本市と第3週に開催されるケルンimm cologne国際家具見本市の間に毎年世界遺産巡りの旅をすることにしている。
一昨年のテーマは「フランドル絵画‐フェルメールを求めて」
昨年のテーマは「イスラムの残照」 で、セビリア・コルドバの旅
そして今年は「塩野七生」
彼女の著作「海の都の物語」「ローマ人の物語」「レパントの海戦」「チェーザレボルジア~」「緋色のヴェネツィア」などがネタになる。
ヴェネツィアの政体、共和国議会・10人委員会・20人委員会など、そのしくみと歴史を見るとパラツィオ・ドュッカーレの見学も10倍ぐらいは面白いというものだ。共和国議会の大広間の隣で団体では飛ばされてしまう、レパントやダルダネスなどヴェネツィア共和国が戦って勝利を収めてきた記念の絵を見ると、彼女の著作の内容が思い出されて実に興味深い。
資源を持たず貿易立国として1000年続いたヴェネツィアの歴史は徹底した情報収集と外交術、効率性を第一とした運営システムによって保たれてきたが、、知れば知るほど現在の日本にとって教師となることは間違いないのだろう。
コルネール、フォスカリ、グリマーニ、コンタリーニ、ダンドロ等々、現在もカナルグランデ(大運河)に残る名家の館の跡を見ながら、その時代時代を一級の国として生き抜いてきたヴェネツィアのすごさを感じることとなる。
なにより、何もなかった干潟に人工的に土地を作り、建物を建ててまちづくりをしたヴェネツィア人のパワーには敬意を表さざるを得ない。今日観光都市として生き残っているこの街は水没のプレッシャーに耐えながらも、ヴェネツィア・ビエンナーレなど新しい取り組みを怠ることがない。角を曲がるごとに新しい情景を見せてくるこの街は、もう少しのんびり滞在したいものである。
今回はそういう思いもあって(本当はダニエリに泊まりたかったのだけど)スキャヴォーニ河岸ぞいのホテル、サボイア・ヨランダを選んだ。サン・ジョルジョ・マジョーレ教会を向かい側に臨み、アドリア海に繋がり、春先には多くの交易船が並んだというこの一帯は、500年前に思いを馳せることができるかと思ったからなのだ。
ほぼ2日間で、かなり歩き回ることができたと思う。通常では行かないようなところまで。ヴェネツィアの旅は終わり、永遠の都ローマへと向かうこととなる。
一昨年のテーマは「フランドル絵画‐フェルメールを求めて」
昨年のテーマは「イスラムの残照」 で、セビリア・コルドバの旅
そして今年は「塩野七生」
彼女の著作「海の都の物語」「ローマ人の物語」「レパントの海戦」「チェーザレボルジア~」「緋色のヴェネツィア」などがネタになる。
ヴェネツィアの政体、共和国議会・10人委員会・20人委員会など、そのしくみと歴史を見るとパラツィオ・ドュッカーレの見学も10倍ぐらいは面白いというものだ。共和国議会の大広間の隣で団体では飛ばされてしまう、レパントやダルダネスなどヴェネツィア共和国が戦って勝利を収めてきた記念の絵を見ると、彼女の著作の内容が思い出されて実に興味深い。
資源を持たず貿易立国として1000年続いたヴェネツィアの歴史は徹底した情報収集と外交術、効率性を第一とした運営システムによって保たれてきたが、、知れば知るほど現在の日本にとって教師となることは間違いないのだろう。
コルネール、フォスカリ、グリマーニ、コンタリーニ、ダンドロ等々、現在もカナルグランデ(大運河)に残る名家の館の跡を見ながら、その時代時代を一級の国として生き抜いてきたヴェネツィアのすごさを感じることとなる。
なにより、何もなかった干潟に人工的に土地を作り、建物を建ててまちづくりをしたヴェネツィア人のパワーには敬意を表さざるを得ない。今日観光都市として生き残っているこの街は水没のプレッシャーに耐えながらも、ヴェネツィア・ビエンナーレなど新しい取り組みを怠ることがない。角を曲がるごとに新しい情景を見せてくるこの街は、もう少しのんびり滞在したいものである。
今回はそういう思いもあって(本当はダニエリに泊まりたかったのだけど)スキャヴォーニ河岸ぞいのホテル、サボイア・ヨランダを選んだ。サン・ジョルジョ・マジョーレ教会を向かい側に臨み、アドリア海に繋がり、春先には多くの交易船が並んだというこの一帯は、500年前に思いを馳せることができるかと思ったからなのだ。
ほぼ2日間で、かなり歩き回ることができたと思う。通常では行かないようなところまで。ヴェネツィアの旅は終わり、永遠の都ローマへと向かうこととなる。