東洋と西洋
テーマ:よもやま話
2010/03/10 00:41
ていくさんのブログに触発されてですが・・・
東洋と西洋の思想の違いを考えると、その差のその典型は二元論でしょうか。
有と無、人間とそれ以外、 白黒はっきりつけさせたいのが西洋的価値観ではないのかなと思います。
どちらかというとキリスト教、あるいはそのベースとなったユダヤ教的な価値観かも知れません。
キリスト教公認以前のローマ帝国は、ありとあらゆる宗教の共存を認めていました。塩野七生の言う寛容(クレメンティア)の思想があったのです。それはエジプトやギリシアの多神教的な背景が強かったと思います。そう、北欧神話も多神教です。ところが、クリスチャンの方には悪いんですが、キリスト教はかなり排他的な要素が強いですね。Chiristian or not がごとく。
一方、東洋思想の根底には仏教でめざすところの「非想非非想処=思うでも思わないでもない」 あるいは「色即是空、空即是色」というように全く対照的な2つの状態を併せ持つという、理論物理のハイデルベルグの不確定性原理の基となった、物体は粒子と波動の両方の状態を同時に兼ね備える、という考えに似たものがあります。
どちらが良いとか悪いとかではなく、これからは単一価値の肥大化を防ぎ、物事の多様性を受容する社会が好ましいのではないかと思います。
「民主主義が一番正しい」とか、わからんでも無いけど自分たちの価値観を押しつける必要はないでしょうに。実際の現状はそんなに割り切ってまとまるわけでもありません。
今社会に閉塞感があるとすれば、そのような価値観の横行にたいする問題意識なのかも知れません。
東洋と西洋の思想の違いを考えると、その差のその典型は二元論でしょうか。
有と無、人間とそれ以外、 白黒はっきりつけさせたいのが西洋的価値観ではないのかなと思います。
どちらかというとキリスト教、あるいはそのベースとなったユダヤ教的な価値観かも知れません。
キリスト教公認以前のローマ帝国は、ありとあらゆる宗教の共存を認めていました。塩野七生の言う寛容(クレメンティア)の思想があったのです。それはエジプトやギリシアの多神教的な背景が強かったと思います。そう、北欧神話も多神教です。ところが、クリスチャンの方には悪いんですが、キリスト教はかなり排他的な要素が強いですね。Chiristian or not がごとく。
一方、東洋思想の根底には仏教でめざすところの「非想非非想処=思うでも思わないでもない」 あるいは「色即是空、空即是色」というように全く対照的な2つの状態を併せ持つという、理論物理のハイデルベルグの不確定性原理の基となった、物体は粒子と波動の両方の状態を同時に兼ね備える、という考えに似たものがあります。
どちらが良いとか悪いとかではなく、これからは単一価値の肥大化を防ぎ、物事の多様性を受容する社会が好ましいのではないかと思います。
「民主主義が一番正しい」とか、わからんでも無いけど自分たちの価値観を押しつける必要はないでしょうに。実際の現状はそんなに割り切ってまとまるわけでもありません。
今社会に閉塞感があるとすれば、そのような価値観の横行にたいする問題意識なのかも知れません。