41特集 新型ベッド「ブルートレイン」新発売
テーマ:よもやま話
2010/04/01 10:35
眠りのプロショップSawadaはJR鉄道研究所と共同開発した新型ベッド、「ブルートレイン」シリーズを販売することになった。
最近は夜行寝台が減ってきているが、このベッドは昔ながらの郷愁を呼び起こさせる音と揺れを寝台列車に乗っているかのように実際に再現するものである。鉄道の音と揺れが睡眠を誘発することは知られているが、このベッドにはローリング機能とバイブレータ、スピーカーを備え、最新の睡眠理論を駆使している。
「ブルートレイン」シリーズには、それぞれの列車と運行やプラットホームのアナウンスまで再現されるを記録したプログラムが組み込まれている。「カシオペア」「トワイライト」「北斗星」などが組み込まれているが、オプションとして「あさかぜ」「彗星」といった、もう乗ることができないマニア垂涎のプログラムを別売りしている。
「ブルートレイン」シリーズは1等と2等のグレードがあるが、それ以外にセレブ向き豪華デザインの「オリエントエクスプレス」、ソウルファン向けアメリカンスタイルの「ジョージア」、SF・アニメファン向け「999」などのラインナップが用意されている。
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毎年恒例 エイプリルフールスペシャル
最近は夜行寝台が減ってきているが、このベッドは昔ながらの郷愁を呼び起こさせる音と揺れを寝台列車に乗っているかのように実際に再現するものである。鉄道の音と揺れが睡眠を誘発することは知られているが、このベッドにはローリング機能とバイブレータ、スピーカーを備え、最新の睡眠理論を駆使している。
「ブルートレイン」シリーズには、それぞれの列車と運行やプラットホームのアナウンスまで再現されるを記録したプログラムが組み込まれている。「カシオペア」「トワイライト」「北斗星」などが組み込まれているが、オプションとして「あさかぜ」「彗星」といった、もう乗ることができないマニア垂涎のプログラムを別売りしている。
「ブルートレイン」シリーズは1等と2等のグレードがあるが、それ以外にセレブ向き豪華デザインの「オリエントエクスプレス」、ソウルファン向けアメリカンスタイルの「ジョージア」、SF・アニメファン向け「999」などのラインナップが用意されている。
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毎年恒例 エイプリルフールスペシャル
なぜイベントをするのだろうか?
テーマ:まちづくり
2010/04/01 01:13
今日は浅井三姉妹博覧会の事務局のうち未定だったセクションのスタッフを集めての会議。
改めて自らに問う。なぜイベントを行なうのか?
言うまでもないことだが、イベントは目的を達成するための手段に過ぎない。往々にしてあるのが、手段としてのイベントが目的化してしまうことだ。
イベントは神の無いマツリである。それゆえに、常に主題(テーマ)が何であるかを問われてしまう。
これは私の仕事でもそうだ。布団を売ることが主題ではなく、お客様に良い睡眠をしていただくことが主題だ。
一方曳山祭に代表されるマツリは神のあるマツリだ。この場合は続けていくことが目的ともいえる。
大河ドラマの舞台となる→イベントを行なう→人が来る だけでは意味を成さない。いいかえれば
大河ドラマの舞台が終わる→来る理由が無い→誰も来ない、ということと同じなのだから。
出島二郎先生が秀吉博の際に投げかけた「フィナーレからプロローグ」という言葉。
終わったときに何が始まるのか? 今回ほど、その重要性を痛感することはない。
それぞれの地域の良さを最大限に生かしながら、全体としての連携性をどのように生み出すのか。
イベントを通じて、どれだけ多くの地域に寄せる想いを持つ人々を掘り起こし、賦活できるのか。
超広域化した長浜市において、今度のイベントはそれが問われる試金石でもある。
本物を掘り起こし、理解をしていただくプロセスの醸成が問われる場でもある。
オープニングは平成22年12月25日。 時間はあるようで無いのだ。
改めて自らに問う。なぜイベントを行なうのか?
言うまでもないことだが、イベントは目的を達成するための手段に過ぎない。往々にしてあるのが、手段としてのイベントが目的化してしまうことだ。
イベントは神の無いマツリである。それゆえに、常に主題(テーマ)が何であるかを問われてしまう。
これは私の仕事でもそうだ。布団を売ることが主題ではなく、お客様に良い睡眠をしていただくことが主題だ。
一方曳山祭に代表されるマツリは神のあるマツリだ。この場合は続けていくことが目的ともいえる。
大河ドラマの舞台となる→イベントを行なう→人が来る だけでは意味を成さない。いいかえれば
大河ドラマの舞台が終わる→来る理由が無い→誰も来ない、ということと同じなのだから。
出島二郎先生が秀吉博の際に投げかけた「フィナーレからプロローグ」という言葉。
終わったときに何が始まるのか? 今回ほど、その重要性を痛感することはない。
それぞれの地域の良さを最大限に生かしながら、全体としての連携性をどのように生み出すのか。
イベントを通じて、どれだけ多くの地域に寄せる想いを持つ人々を掘り起こし、賦活できるのか。
超広域化した長浜市において、今度のイベントはそれが問われる試金石でもある。
本物を掘り起こし、理解をしていただくプロセスの醸成が問われる場でもある。
オープニングは平成22年12月25日。 時間はあるようで無いのだ。