演説と朗読
本日、麻生首相の施政方針演説があったそうです。と言うのは、本日バタバタしておりましてまだニュースを見ておりません。というか、先ほど夕方ちょっとニュース番組を見たのですが放送しておりませんでした。何もなかったのですかね。
毎年新年になると通常国会の冒頭で首相の施政方針演説が行われます。アメリカでは大統領が年頭教書を読みあげます。但し、今年は就任演説でした。話しの下手な私が言うのはおこがましいのですが、なぜこんなにも違うのかと思ってしまいます。史上最低の大統領と言われるブッシュ前大統領でも日本の首相よりよく思えます。あれは、英語と日本語で英語のリズムが演説むきなのでしょうかね。オバマ大統領の演説で私は英語は全くわからないのですが、聞いていて意味がわからなくても何か引きずり込まれます。歴史上のヒトラーなども非常にダイナミックな感じがしました。
私が高校のころカーター大統領がソ連のアフガン侵攻にたいして非常に強い表情で聴衆を見据えて年頭教書を演説しました。日本の大平首相は原稿を読みながら施政方針演説をのべました。新聞のコラムに「カーター大統領は演説、大平首相のは朗読」と記されていました。まさしくそんな感じがします。アメリカでも官僚が原稿を書くみたいですが、演説の段階で変わります。日本のように、原稿を飛ばした、順番間違えた、漢字を読み間違えた。というようなことはあまりないようです。
会議で自分が出した案件は、資料を見なくても説明できるぐらいでなくてはいけないと誰かに言われたことがあります。確かにそれくらい真剣であるべきでしょう。万が一忘れたり、間違えたりすることがないように原稿や資料があるわけで、朗読のものではないと思います。
恐らく、今日の演説について野党はくだらない揚げ足取りか、「中身がない。」とか「国民とはなれている。」などいうでしょうが、真剣な施政方針演説に真剣な質問、意見で実のある国会にしていただきたいものです。