豪雪の思いで
松男さんが雪の思い出について述べられましたが、今日社内で、若い子と私より年上の人とが豪雪の事を話していました。若い子は当然、スキー場みたいな豪雪を知りません。
有名なのが38豪雪、52豪雪、56豪雪、59豪雪でしょうか。日本国全体(とはいえ雪国だけですが)で大雪の年にはこういう名称がつけられていますが、長浜では昭和50年か51年にも豪雪がありました。確かそのときに当時の日本最高積雪を伊吹山山頂が記録(10M以上)したと思います。とにかく昭和50年代は豪雪の年が多かったのですが、60年以降は殆ど積もりません。3年位前に1月が殆ど雪の時がありましたが積雪量はこれらの年に比べたら少ないものでした。
38はさすがに記憶にはないのですが、私が1歳の誕生日に雪の中をてくてく歩いている写真が残っています。
52は中学3年の時。1月4日、京大分科(化)会でしたかね。高校入試のための模擬試験がありました。学校へ行くとN先生が雪かきをしていました。「オーイ、手伝ってくれ。」といわれましたが、重要な試験の日、皆それどころではありません。あかんな人間性が出ますね~。そんな思い出があります。
56は大学1年生。年末年始にすごく積もりまして、1メートルくらいあったでしょうか。冬休みが終わり京都の下宿へ戻らねばなりません。長靴を履いて吹雪の中家を出ました。米原駅から電車に乗ります。彦根は少し減りました。犬上川を渡ると田んぼの土が見え始めます。能登川で完全に消えました。京都駅からバスに乗り換え。私以外は誰も長靴を履いていませんでした。
59は大学4年生。この年の雪はすごかった。京都まで積もりました。大家さんのお子さんに雪だるまと滑り台を作って遊んでやりました。(それくらい積もったのです。)そしたら、大家さんが2000円くれました。「そんなもん受けとれません。」と言ったのですが「孫があんだけ喜んでくれて、あなたには何か普段からしたいと思っていたんや、受け取って。」と。小市民で貧乏学生の私は受け取ってしまいました。あきませんね。
そのあと、卒業するので下宿を引き払ったのですが、前日雪で翌日も雪、わずか1日の晴れ間でした。引越し翌日、たまたま商店街の視察旅行があり、私も親父と一緒に行きました。奈良と松坂へ行きました。大雪に巻き込まれ高速を走る事が出来す、帰宅が夜中の2時になったことを思い出します。
長々と思い出を書きました。思い出している内に気がつきました。豪雪で確かに交通がストップしたことはありました。それでも、「いまよく言われる交通マヒはなかったなー。」「雪かきもしやすかったなー。」と思います。
商店街は当時から除雪をしないため市民が怒っていると新聞に書かれました。当然です。雪かきをしても雪を捨てる場所がありません。また商店街とは違うところにある自宅前にも1M位の溝が流れていましたが今はふたがしてあります。そのため今では除雪が困難です。車の量も多くなり、電車も昔は1時間に1本で5時汽車、6時汽車と言っていたのが2~3本あります。都会なら1時間に10本、そら少しの雪でマヒするはずです。
ある意味、ギリギリの世界で生きていることの証明なのかもしれません。