長浜市の状況
今日(5日)の新聞報道にも「08年2月に急性脳症で死亡した4歳男児が司法解剖結果、両親を保護責任者遺棄容疑で逮捕」とありました。
08年、長浜市における児童虐待の相談件数は200件です。内、実母による虐待が144件(72%)を占めています。
相談経路は75件(38%)が保育所・幼稚園・学校です。次いで43件(22%)が市福祉事務所・保健センターです。これらは表に出た数字で、見えない件数がどれ程あるかは不明です。
相談内容で最も多いのはネグレクト(乳幼児に対する育児放棄)で115件(58%)です。次いで心理的虐待が93件を占めています。
特に08年、長浜市企画部生涯学習課と滋賀大学生涯学習教育研究センターと共同で、「長浜市の子育て学習に関する調査」を実施し、調査結果をまとめています。
そこでは、今後の課題として、「少子化、核家族化の進行により、近年子育ての訓練がなされないまま親になる人や乳児の子育てに悩み、翻弄され家に引きこもりがちになる親が増えている。・・・。長浜市の子育て支援の内容を見直し、現在手薄な部分があれば、早急にそれを補うことが必要である。」とまとめています。
こうした実態と調査結果及び改正教育基本法を踏まえて、私は過去5回虐待問題や青少年問題等に関わり、《親育》について行政が積極的に取り組むべきではないかと質問してきました。 つづく
5歳児餓死
今日(4日)の新聞報道1面に、「両親虐待5歳児餓死」とありました。記事の中に“この1週間まったく食事をとっておらず、寝たきりで、紙おむつをしていた。筋肉はほとんど無く、「皮と骨の状態」(捜査関係者)だったという。腕や足にあざがあり、県警は暴行の有無を追及する”と記されていました。
08年度の国内における幼児虐待件数は40,639件。これは統計を始めた02年度比40倍になります。これらは児童相談所等から報告されたもので、国内総ての件数ではありません。
虐待により死に至らなくても、虐待を受けた児童が成長した後の犯罪率が平均より極めて高いことは知られています。
さらに、虐待を受けた児童が将来家庭を設けたとき、自らの子どもに対して虐待行為に及ぶ率が極めて高いことも知られています。
従って、虐待は虐待を受けた児童に留まらず、次世代の子どもにも影響を及ぼすことを知ることが大切なのです。
こうした現状と近年における青少年の様々な問題を踏まえて、06年末教育基本法が改正されました。そこには、《家庭教育》第10条を新設し、第1項・第2項で
保護者が子どもの教育について第一義的責任を有すること、及び、国や地方公共団体が家庭教育支援に努めるべきことを規定しています。
はたして家庭や行政は改正教育基本法の示す方向に向いているのでしょうか? つづく
報道規制
今日(2日)たまたま2月4日の産経新聞を見ていると「南京事件犠牲者数中国当局、報道規制」と云う見出しが目に入りました。
“中国のメディアを管轄する共産党中央宣伝部が国内のメディアに対して、1月末に発表された日中歴史共同研究の報告書について、日本側と見解が食い違った南京事件の犠牲者数を報道しないよう指示をしていたことが3日分かった。
この背景には、中国側が宣伝してきた南京事件の「犠牲者30万人」に対し、日本側から異議が出されたことで、中国内で反日ムードが高まり、共同研究への批判が拡大する事に対する警戒感があると見られる”とありました。
このような事では、両国間の歴史の事実確認は中国に「学問の自由」が確立されない限り到底無理です。
私は、中国は他国との歴史の事実論争の前に、大東亜戦争後の自国の戦後史を国民に明確にすることが最優先事項だと思っています。
まずは1960年前後、毛沢東の指導の下に行われた大躍進政策です。これは大失敗に終わり、国内に4000万人前後の餓死者を出しました。
失脚した後再び毛沢東は文化大革命を引き起こします。そして結果は資本家・知識階級を中心に弾圧をし、5000万人前後の虐殺者を出しました。その他、天安門事件やベトナム侵攻、民族浄化の下数百万の人が虐殺された新彊ウイグル侵攻・チベット弾圧もあります。これらがここ50年の間に中国で行われたことです。
現代中国政治の専門家で東京外大の名誉教授であり元学長でもあった中嶋嶺雄先生は、中華人民共和国が建設後起こした人民への弾圧・迫害・虐殺行為等による犠牲者総数は2億人前後に及ぶだろうと推計しています。
このような中国政府と付き合うにはよほどの準備と覚悟を持って臨まないと、必ずや困難な問題が起こります。こうしたことが現政権党は分かっているのか、はなはだ疑問です。
卒業式
今日(1日)は県内の公立高等学校の卒業式でした。娘も8:00過ぎに家を出て19:00頃かえって来ました。学友と3年間の様々な話をしていたことと思います。
ふと思い出したことは、およそ50年前の自分の卒業式のことです。
当日も何の式練習も無く講堂に入ると、厳粛な式典が始まりました。その時の校長先生の式辞の一節は今も忘れません。
前後の話は忘れましたが、ある飛行士の生き方?を引用した話でした。それは、
君たちのこれからの人生も、「高く、真っ直ぐ、そしてゆっくり飛びなさい」と云う言葉です。すなわち、“志を高く、人の道に背くことなく、決して急ぐことなく人生を歩みなさい”と言う内容だったと理解しています。
この言葉は今日まで自分の人生の大きな支えになったことは間違いありません。
その後私も教職に就いたのですが、子どもたちにこのような人生の道しるべとなる言葉が伝えられたかまことに心もとないしだいです。
教育のすごさを改めて認識した3月1日でした。
ただ、その時の校長先生の名前がどうしても出てきません。前年までの中川哲夫校長先生は覚えているのですが。