NHK大河ドラマ終了
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2009/11/23 22:10
昨日で今年のNHK大河ドラマの「天地人」が終了しました。最初は面白くて見ていたんですが、途中で色々と見損ねる事があり、時々は見ていましたが通しては見られなかった事が残念です。
昨夜が最終回ということで、以前は12月中旬ぐらいまでありましたので、こんなに早く終わるとは思っていませんでした。BSで、見ましたが、振り返る場面が多かったですね。
「わしはこんなとこ来とうはなかったのじゃ。」のセリフの子役・加藤清史郎君でしたか、最近のCMと比べて、大きくなったんだなと思いました。
江戸城で武士たちから「戦国時代の話しをして欲しい。」といわれ、信長、秀吉などについて語りだす場面がありました。実際は、こんな事はなかったと思いますが、やはりドラマですね。
とともに気がついたのは、この場面は1620年ごろの設定だったと思います。本能寺が1582年、天下統一が1589年ごろ?、関ヶ原が1600年、江戸幕府が出来たのは1602か1603年(忘れました)。
長浜のまちづくりの年月が、この時代の変遷と時間軸がよく似ております。草創期を知らない、その前を知らないという世代。これらにいかに、まちづくりの理念を正しくつないで行くか、同じように問われているのでしょうね。
ちなみに、ドラマでは「関ヶ原の合戦随一の武将は。」と聞かれ「石田三成」と答え、侍たちから避難されていました。そこで、直江兼次は正しい事を伝えていました。
来年はまた幕末で、2年後はお江です。やりましょう。
コメント
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2009/11/23 22:29確かに尻すぼみドラマでしたな。悪いけどブッキーは時代劇には向いてませんでしたな。私は「坂の上の雲」の方が大いに楽しみです。
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2009/11/23 23:25「これで三成との約束は果たせたようじゃな」と言って、兼続はほっと安心し、緊張感が緩んでしまったようでしたね。ま、そこが戦国の世と江戸時代の違いでもあるわけですが。
長浜の戦国時代を若い人たちに伝えていくこと。受け継ぐ立場だと思っていたわたしたちが、もう反対の立場に立とうとしているわけですね。複雑な思いであります。 -
2009/11/25 21:22↑三成がらみでは嶋左近に魅かれておりますが、司馬遼太郎の”関が原”によるものです。
”坂の上の雲”を一気に読んだのは30歳前後。29日からの放映、楽しみです。
下駄やのおじさん -
曳山学芸員2009/11/26 18:19うーん、史実とは違ったドラマの展開だったので少し残念です。登場しなかった人物や、信長、秀吉、家康のキャラクターの設定にも疑問があります。
また、皆さんが話題にされる「坂の上の雲」ですが、正岡子規を美化する展開になるのではないかと、心配になります。史実の子規は、反戦的思想はなく「あしも行きたい」という言葉が残っているように、病気をおして日清戦争の取材に出ますが「チャンチャン坊主」と言って弁髪をした中国の人々を差別したりしています。
また、歴史小説を鵜呑みにして苦情を申し立てる方々も少なくありません。とある有名小説家が上坂城を荘厳に表現してくれたおかげで「上坂城跡になんで天守閣がないんじゃ。」と怒鳴りこまれたこともありました。 -
曳山学芸員2009/11/26 18:27追加コメントですいません。今日も、夜食のパンと明日の朝食のパンを買わせていただきました。ありがとうございました。
天下の統一は、小田原合戦における北条家滅亡(完全な滅亡でなく、一万四千石の大名として残ります)と奥州平定により1590年です。江戸開幕は、1603年でした。 -
2009/11/26 20:262~3日お休みして申し訳ありません。
油甚さんへ
私も29日から楽しみにしています。3年にわたって放送されるらしいですね。
メイさんへ
確かに、私もアラフィフになり、そのことを感じています。今の青年会議所やYEGのメンバーは黒壁や楽市のオープニングを殆どのメンバーは知らないでしょうね。
下駄やのおじさんへ
三成に過ぎたるものの一つですね。こういうことを考えるから三成と言う武将は優れた者だったんですね。
曳山学芸員さんへ
ありがとうございます。書き始めたら確認が難しいもんで。大河ドラマも内容をアレンジしないと見てくれませんからね。
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2009/11/26 20:29曳山学芸員さんへ
それと少し憂うことがあります。歴史を語る上でどうしても必要になるのが合戦、いわゆる戦争であります。少し、ゲームなどで美化しすぎではないかと思うのです。いわゆる殺し合いですから、先祖の貴重な犠牲の元に今の我々があるということをもっと教育する必要があると思います。 -
曳山学芸員2009/11/26 21:02ごもっともな見解だと思います。現代ほど平和の時代が続いているのは、他の時代からみて大変めずらしいことであり、かつまた素晴らしいことでもあります。戦争の歴史をひもとけば、弥生時代以来、戦争が続いたわけですが、先祖たちの苦しみを考えますと、どれだけ平和の道を渇望したのかと。矢張り、ドラマはフィクションであり、現代人の解釈で制作されているため、とらえ方が変わってしまいます。本当に、先祖が伝えたかったメッセージを脚色なく作ると、数字(視聴率)に反映されないと送り手(テレビ局)は考えてしまうのでしょうか。
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2009/11/26 21:19曳山学芸員さんへ
ありがとうございます。戦争の犠牲から生み出された兵法はいろんなことに生かせますからそういうことはいいのですが、やはり多くの犠牲の元と言うのは絶対に忘れてはならぬ事で、戦争への道を歩ませてはなりませんね。