言語道断
“奈良県橿原市立八木中学校で26日夜、校舎2階の生徒相談室でソファと周囲の床約1平方メートルを焼く火災があった。・・。この日は同校の男性校長(54)ら複数の教員が室内で喫煙しており、県教委は、禁煙の内規違反で校長らを処分する方針。
・・。校長は、読売新聞の取材に対し、「これまで、自分を含め男性職員11人が教室で喫煙していた。生徒らに迷惑をかけて申し訳ない」と話している。同市立小中学校は07年4月から市教委の内規で全面禁煙。”と。この事件は甘え以外の何物でのないでしょう!
これはまったく言語道断です。しかも喫煙していた場所が生徒指導室と云うのがまったく合点がゆきません。滋賀県は05年頃から公立学校のキャンパス内全面禁煙です。
管理職以下、この学校では生徒指導をどのようにしてきたのでしょう?聞くと、この学校は県下屈指のマンモス校とのこと。範を示すべき管理職以下教師がこの状態では・・・⁉
菅官房長官ではないですが、「開いた口がふさがらない」とはこのことです。この学校で学ぶ生徒が本当に可哀想です。生徒はもとより保護者、地域も黙ってはいないと思います。
こうした管理職を任命した県にも大きな責任があると思います。我が滋賀県においてもないとは言えないように思います。私は以前から管理職任命については年功序列をやめるべきだと云ってきました。
いじめ問題
すぐ左には、「自殺の中2暴行の疑い」の見出し。内容は“神奈川県の中学2年生男子生徒が4月に自室で自殺した問題で、県警は10日、同じ中学の2年生男子生徒3人を暴行の非行事実で児童相談所に送致した”とありました。
何時までこうした問題が続くのでしょう?文科省は「いじめはどの子どもにも どの学校にも起こりうる」とし、対策を挙げています。これを受け、「いじめを許さない学校創り」に各学校はどのように取り組んでいるのでしょう?要は管理職の姿勢です。
私の現職の時、年度初めに経営方針を示す中で「学校とは『子どものいのち 子供の将来 保護者・地域の信頼』を預かっているところである」と明言し、「いじめを絶対に許さない学校創り」に取り組んできました。先生方には日々真剣に取組んでいただきました。
「その子が我が子ならどうする」が、学校教育の原点だと思います。どうか管理職を含む先生方はこの視点に立って、「アンテナを高く上げ隙を作らない学校」の在り方を見直していただきたいものです。
最終案
それによると、首長が任命を行う教育長を教育行政の責任者として、教育委員には教育長の諮問機関とチェック機関の役割を持たせるとあります。
教育行政の権限を一元化し責任の所在を明確にするとともに、首長の意向を教育行政に反映させるのが狙いと云います。
大津市のいじめ自死事件において明確になったように、教育委員長と教育長の責任の所在がはっきりとしていません。一元化することにより迅速な意思の決定と指導が期待できます。
一元化については以前に記述しましたが、私も大いに期待する所です。今後「中央教育審議会」で協議され14年の通常国会で法制化を目指すとのことです。
教育委員会制度の抜本的改革に大いに期待をしたいと思います。
近隣諸国条例
“安倍首相は衆院予算委員会で、教科書検定について「改正基本法の精神が生かされていない」と批判し、検定制度見直しの必要性に言及した。下村博文文科相も「現状と課題を整理し、見直しを検討する」と述べた。
第一次安倍内閣の平成18年12月に成立した改正教育基本法は、伝統文化の尊重や国と郷土を愛する態度の育成をうたっている。しかし、肝心の教科書には反映されていないというのが、安倍氏の指摘だ。
このネックになっているのが昭和57年に制定された「近隣諸国条項」だ。これはその年文部省の検定で日本の中国「侵略」が「進出」に書き換えられたと朝日新聞を筆頭に各メディアが一斉に報じ、中国・韓国がこの報道を基に外交ルートを通じて日本政府に抗議してきた。
時の宮沢喜一官房長官が「教科書の記述について近隣諸国との友好・親善に配慮する」と中韓両国に約束する談話を出した。
それ以降、南京事件や慰安婦問題で中韓におもねる記述が目立って増えた。安倍政権は、検定や採択を含めた教科書制度の抜本改善に取り組んでほしい。”とありました。
そもそも、この条項規定が今日の中国や韓国の一方的な歴史観に基づく内政干渉を誘発しているのです。一方、中・韓にはこうした条項はなく、結果、自国民に「反日愛国教育」を刷り込んでいることをどう考えるといいのでしょう?
余談ですが、韓国では事実に反する慰安婦問題を持ち出しますが、ベトナム戦争時に韓国兵がベトナム婦女子に行った蛮行や残虐行為をどう説明するのでしょう?
さらに、ソウル大学女性研究所がまとめた「2010年性売買実態調査」によると、韓国の売春産業の市場規模は日本円で、6639億円、これは韓国GDPの5%を占めています。事実であれば日本人はどう受け止めるといいのでしょう?
中国においても、共産主義国家の礎を作った毛沢東時代、国内における大躍進政策失敗で4000万人以上、文化大革命や天安門事件を含めると1億人に近い犠牲者を出したと云われる事実にどう答えるのでしょう?この事実を中国民は知っているのでしょうか?
中・韓共にいつまでも外に矢印を向けるのではなく、そろそろ我が身に向ける時ではないのでしょうか。日本国内においても、学校教育でこうした事実をしっかりと教えるべきだと思うのですが・・。
入学式
9:30に家を出て南郷里小学校の入学式に参列させていただきました。新入生は男子49名、女子42名計91名でした。
願うことは、6年間でしっかりと聞く態度を身に着けてほしいと云うことです。次いで、楽しい6年間であってほしいと思うことです。
午後は13:00過ぎに家を出て南中学校に向かいました。式は13:30に始まりました。新入生は計126名で、男女の数はありませんでした。
学校にとって最も重要な儀式は入学式と卒業式です。だから、新入生はもとより保護者や来賓も身を整えて参列しそれを祝うのです。
そのような思いで南中の入学式を見ていると気になる姿が目に入りました。学年主任と紹介された一人の先生はダブルの上着とつり合いのとれないジーパンのようなズボン。他にも替えズボンの先生がいたり、スリッパの先生もいました。
このような厳粛な儀式の中でこうした先生の姿を見る事は極めて残念です。校長室には「時を守り・場を浄め・礼を正す」と森信三先生の言葉が記されていました。
教育とは人間としての生き方を教えるところです。場をわきまえることを知らず、礼を知らない先生に子どもを預けることに不安を感じます。明日からは、立場をわきまえしっかりとしていただきたいものです。
卒業式
式次第はどこも同じだと思いますが、国歌、校歌斉唱の後メインの卒業証書授与がありました。緊張の中、卒業生93名に学校長より卒業証書が一人一人に授与されました。
その後、「お別れの言葉」で心配なことが起こりました。ステージ側にセットされた台(集合写真を撮るときの台)の上に卒業生が乗り、在校生の言葉の後卒業生が呼びかけで語ります。
そんな時、一人の男子児童が台上から床に倒れ落ち(貧血だと思います)教員がすぐに対応しました。他にも腰を下ろしている二人の女子児童に教員が対応しました。
緊張の中、狭い台上で数十分間身動きできずにいる児童にとってこうしたことが起こることは予想されることです。
小学校の卒業式で行われる在校生と卒業生の「呼びかけ」は、昔の日教組が仕組んだ手法だったと聞いています。
運動会で一時行われていた、みんなで手をつないでゴールしましょうと同じ仕組みです。これでは現実の競争社会で生きる力が付きません。(市内の中学校ではこうしたことはしていないと思います)
そうした背景を知らない先生方も多くなったと思いますが、学校行事の内容について見直す時期に来ていると思いました。
いじめ防止条例
その意義について、政策検討会議の北村正二座長は「生徒や教職員、保護者、地域全体で解決しなければならないという意識を高めてもらうため」と述べています。
国においてもいじめの早期発見・予防等を盛り込んだ法案作成を自民・民主両党が進めているといいます。両党の重視するのは「外部の目」を生かすことのようです。
「外部の目」や「地域の力」の必要性について私は早くから述べてきました。条例を作れば解決するものではなく、その具体化が必要です。
ほとんどの学校は先生と生徒と云う特殊な環境社会であると共に、先生方は日々雑務に追われ忙殺される状況です。
今学校に必要な体制は、先生が個々の子どもに向き合う時間が増える仕組みと、多くの目が子どもに向く仕組みつくりです。
その解決の一つの方法は、保護者や地域住民が学校運営に参加する「コミュニティスクール」の一刻も早い実施だと考えています。
このことについては3月議会の一般質問の中で触れたいと思っていますが、今こそ、旧来の学校教育形態の抜本的改革が求められる時ではないかと思います。
自負心
それに伴い各地方自治体においてはその実施に向けて検討?しています。すでに2月から実施と議会決議した県も幾つかあるようです。
その実施に当たって、3月末退職予定の公務員が1月末で退職するケースが多数みられるとのことです。
3月末退職との差額は150万円ほどのようですが、2月3月の給与との差を考えると実質70万円ほどの差額ではないかと思います。そのために・・・・、と思うとなんだか悲しくなります。
特に教員は子どもたちにどのように説明し離任の挨拶をするのでしょう?今まで子供の前で何を語ってこられたのでしょう?自負心がないのだろうか?等々、様々な疑問がわいてきます。
一方では、混乱を招かぬよう何故次年度(4月1日以降)の実施にしなかったのかと、時の政府への疑問も残ります。
同時に、国会議員の定数や報酬削減が先になされるべきではないかと思うのは私だけでしょうか?
桜宮高校
入試について中身を見ると従来体育科で行っていた受験内容と何ら変わるものではないようです。看板が変わっただけのようです。
今回の事件は桜宮高校の生徒や受験生に問題があるわけではなく管理職を含む教職員の問題です。喪に服した後はクラブ活動の再開をしてあげるべきだと思います。さらに、すべての教職員を移動させば後日必ず問題が生じるように思います。
聞いてみると大阪市立高等学校の数は21校あるとのことです。であるならば何故適正な人事異動をしてこなかったのかという問題も残ります。大阪市の教育委員会及び学校長の指導力が問われるところです。
時間がなかったこともあると思いますが、教育委員会は子どもを守ることから離れて市長の顔色を窺って結論を急いだように思われてなりません。教育委員会の独立性はどこに行ったのでしょう?
桜宮高校の生徒諸君には、悲しみと困難を乗り越え目標を持って力強く歩んでくれることを念じています。
公表
今朝(24日)の新聞報道で、大阪府泉佐野市の市長は6月に実施した大阪府の学力テストの学校別成績を開示したのに続いて、文科省が来年4月に実施する全国学力調査結果も市内小中学校の学校別平均正答率を公表する意向を示したとありました。私は大賛成です。
文科省は序列化の懸念から学校別成績の公表を控えるよう求めているようですが、それはまったくナンセンスだと思います。
なぜなら、各校とも調査結果を基に分析しその後の学習指導に生かしているわけです。それを受けて学校では授業内容や指導法の改善に努めているのです。先生方が子どもたちと共育(ともそだち)ちをした結果を公表することや序列化が悪いことなのでしょうか?大いに励みになると思うのですが?
教師の力量とよく言われますがそれは一体何でしょう?私は学級指導、生徒指導、そして学習指導力の三つだと考えています。教師に先のどの一つが欠けても児童生徒の成長の妨げとなり様々な問題が生じます。
今日の学級崩壊やいじめ問題の原因の多くはこのいずれかの欠落にあるのです。教師がいずれの領域においても力量を付けるには児童生徒との共育が大切です。その苦悶の中から本当の力量が付き子どもは育つのです。
特に、預かった児童生徒全てに個々の力に応じた確かな学力を付けることはプロの教師としての責任です。
こうしたことを踏まえて、調査結果の公表は必要なことだと考えます。鳥取県も開示に取り組んでいるようですが、長浜市はもとより全国各地で開示に取り組んでいいのではないでしょうか。