無責任
今日(5日)の新聞報道によると滋賀県の二つの中学校でまたぞろ「いじめ」と思われる事件が発生したとありました。
一つは高島市のK中学校、一つは彦根市のN中学校です。K中学校は昨年もいじめ事件があり新聞等に大きく報道されました。昨年の事件の反省に基づいた対策があるはずなのですがどうなっているのでしょう?
私から見れば管理職の怠慢以外の何ものでもないように思います。結果、犠牲者は子どもです。これでは余りにも無責任なのではないでしょうか?
聞くところによりますと、昨年のK中学校及び大津市のO中学校の事件を受けて滋賀県の教育委員会では「いじめ」に係わる指導等がなされていないようです。県の校長会においてもなされていないようです。真実であれば大問題だと思います。
長浜市の各小・中学校における「いじめ」に対する指導は、教育委員会は勿論、各学校の管理職の力強い指導の下安心出来る状況で営まれているものと思います。
長浜東中学校勤務時代、「心を耕し命を輝かす教育」を合い言葉に全職員が一致して生徒指導を中心とした教育に取り組んでいたことを思い出します。
熱意
今朝(31日)の産経新聞の1面「政府 尖閣購入額20億円打診」の見出しが目に飛び込んできました。その後に、「地権者拒否『都と交渉』」とあり、当然のことと思いました。
さて、ロンドン五輪待望の金メダル第一号がやっと誕生、おめでとうございます。そんな折しも、今日の新聞に「公立の星 県立和歌山北高」の記事がありました。
内容は、“県立和歌山北高等学校は昭和38年にスポーツ中心の学校運営を目指して創立された。今回の五輪には体操、フェンシング、陸上に5名の選手を送り出している。
私立のスポーツ強豪校のような特別な施設や運動部への優遇予算もない中での成果。学校関係者は「心の底から誇らしく思う」と胸を張っている。
・・・。施設の不十分さは熱意でカバーする。同校ではほとんどのクラブが授業前の午前7時頃から約1時間半の朝練習を行い、担当教諭や生徒400人近くが参加。
今年のインターハイにも9競技に選手を送り込んだ。田村校長は「5人から刺激を受け、在校生もいずれは世界を目指して欲しい」と期待する。”
何れの成就も、目標を持つ生徒とそれに応えようとする指導者があってのことです。どのような学校にも様々な可能性を持つ生徒がいます。可能性を引き出すのは先生方の熱意です。
近年部活動の顧問を避ける先生が多くなったと聞きます。学校教育は教壇から教えるだけではありません。様々な体験を通して、その中から個々の生徒の最高の可能性を引き出してあげていただきたいと念じています。
親育
私のところは御門徒さんの数が少ない小さな真宗寺院ですが、この猛暑の28日(土)29日(日)の両日、三つの法事があり体力のなさをほとほと感じたことでした。法事の席では、いじめ問題を踏まえて「人間の教育」についてお話しをさせていただきました。
過日記しました岡本道雄先生や東井義雄先生等のお話しを思い出し、自分の体験を通しての話をさせていたことです。
学校での「いじめ問題」は、いじめる生徒に問題があるのですがその子の育ちを考えることも大切だと思います。「思いやり・優しさ・慈しみ」を育てられてきたのかと言うことです。
「人間が最初に出会う教師は母親である」と云いますが、その母親が人生の教師として大丈夫だったか?
「人間は人間を浴びて人間になる」と言いますが、大人たちは泥水のシャワーを浴びせることはなかったか?
世の大人一人一人が罪悪甚重の我が身に気付き、許されて生きていることに気付いたならば、日々感謝の暮らしとなりその姿はシャワーとなって子どもに降り注ぐことでしょう。
躾は、「人間は人と一緒でないと生きられないのだ」、「人間は一人ではいられないんだ」ということを教え、だからこそ「人のことを考えることが大事なのだ」と云うことを刷り込むことが一番大事なことなのです(自他の区別と他者を思いやる心)。このことを8歳までに刷り込んできたか?
我々の親の世代は、「人様に迷惑をかけるな」「恥ずかしいことをするな」と常に子どもに言い聞かせていたように思います。何時の頃から日本人が大切にしてきた「心」(思いやりと恥の文化)が失われたのでしょう?
今こそ「親育」の必要を強く感じる今日この頃です。
死去
今朝(27日)の報道に、岡本道雄元京大学長死去とありました。先生は中曽根内閣の時に設置された臨時教育審議会の会長をされました。
今から30年以上前、当時私が勤務していた中学校は何時荒れても不思議でない学校でした。そんな時に出会った先生(師)方に、東井義雄先生、田中繁雄先生、石川洋先生、そして岡本道雄先生がおられます。
岡本先生には、「人間は人間をあびて人間になるんだ」「人間は一人では生きられないんだ」ということを学びました。
先生は脳解剖学の専門家として前頭前野について、「この部分は遅く発育してくる総合野です。その時期は3歳から4歳、、7歳から8歳と自分を主張するようなときにします。その時期に躾をすることが大事なんです。
躾というものはどういうものだと云いますと、人間は人と一緒でないと生きられないこと、人間は一人では居られないものだと云うこと、人のことを考えることが大事ですよと言うことを教えてやることが、やっぱり躾の一番最初ですね」と話されています。
あの時代、先の先生方との出会いから学んだことが、「心を耕し、命を輝かす教育」という当時の中学校のメインテーマに結びついたことを懐かしく思い出しました。
さらに、「人間が最初に出会う教師は母親である」の教えを思い出しました。これらは、今日の親育や学校教育にそのまま通じるのではないかと思います。
岡本道雄先生のご冥福を謹んで御念じ申しあげます。
不要論
今日(19日)、大津市立中2年生男子生徒が自殺した問題をめぐり、大津市長が読売新聞のインタビューに応じ、教育委員会不要論が出ました。概略を記します。
“・・。この問題では、全校アンケートの結果の大半を市教委が公表していなかったことが、今月4日に発覚。市長は「非公表のものがあるとの報告を市教委から受けておらず、報道で知った」と弁明した。
・・。市教委から、まとめ資料ではなく、詳細なアンケート回答を取り寄せて読んだ。男子生徒が同級生から受けた被害がいくつも記されており、「いじめが自殺の原因だと確信した」という。
一方、市教委は男子生徒の自殺後、「全校アンケートは不確かな情報が多く、いじめとの因果関係は断定できない」と主張していた。
市長は「市教委の説明を受け入れてきたけれど、前提となる事実の確認がいいかげんで信用できないと分かった。裏切られたような感じだ」。
アンケート結果の全面公開を渋る市教委に対し、「事実はあなた達が言ってきたことと違う。これは出すべきです」と押し切り、10日以降の公表につながったという。
さたに、これまでの市教委の対応のまずさを改めて認めた上で、その遠因に教育委員会制度の矛盾があると指摘。「市民に選ばれたわけでもない教育委員が教育行政を担い、市長さえ教職員人事などに係われない。民意を直接反映しない無責任な制度は要らない」と述べ、国に制度改正を求める意向を示した。”
以前にも述べましたが、学校教育で最も大切は教師の姿勢は、「その子がわが子ならどうする」です。このことが抜け落ちていた大津市立O中学校の学校教育は、何を言っても後の祭りです。
この際、教育行政の長は教育長とし、教育委員長の姿の見えない教育委員会は諮問機関(第三者委員会?)に改めるべきだと思いますが如何でしょ?
私は3月議会で「いじめ防止条例」制定の必要を問いましたが、長浜市では「長浜市人権施策推進基本計画」を策定し、様々な取り組みをしているから必要がないとのことでした。はたして市民にどれほど浸透していることでしょう?
自分の番
最近の報道番組はどこを見ても必ず出てくるのは、昨年10月の大津市立O中学校2年生生徒の自死の問題です。この様な大事件に発展した原因は、O中学校及び教育委員会の初期対応にあります。
この事件で思うことは相田みつをさんの「自分の番」という詩です。
うまれかわり
死にかわり永遠の
過去のいのちを
受けついで
いま自分の番を
生きている
それがあなたの
いのちです
それがわたしの
いのちです
この詩は、30年以上も前から私が学校に在職中教室や廊下に掲示したものです。道徳の時間にも度々活用しました。
地上の総ての人々は、過去無量の「いのち」のバトンを受け継いで今ここにかけがいのない「いのち」を「人」として授かったものです。
その尊さを、親が、先生が、周りの人々が子どもたちに伝えているでしょうか?
さらに、「人」として授かった奇跡の「いのち」を、心豊かな「人間」に高めるために、親も、先生も、周りの人達も本当に係わってきたでしょうか?「自分の番」を立派に生き抜く力を付けてきたでしょうか?
自問自答する昨今です。
それにしても、記者会見にポロシャツ?で出てくる学校長はいただけないですねェ!
長浜市の対応
今日(13日)は東京と川崎のバレー関係の先生から電話が掛かってきました。昨日から大津市のいじめによる自殺問題の中学校名が出たことで驚いてのことです。
さて、昨日(12日)の滋賀夕刊のトップ記事は「長浜のいじめ対策は?」の見出しでした。そこには私の考えるところも記されていました。
そこで、長浜市教委から「いじめ」と報告された件数を記します。
平成22年度;小学校3件、中学校4件
平成23年度;小学校9件、中学校4件
23年度の内訳は、からかいや悪口6件、無視や仲間はずれ5件、メール等での誹謗中傷2件です。これらは教師の目にはなかなか見えない問題です。暴力はないようですが実態は分かりません。
長浜市の学校では、授業中や休み時間に廊下巡視や校内パトロールを通して子どもたちから目を離すことなく、子どもの側に寄り添いアンテナを高く上げて児童生徒の変容にいち早く気づけるよう先生方は頑張っています。
さらに、年3回から6回各学校の実態に応じていじめのアンケート調査を実施していると聞いています。勿論学期に一度は教育相談を通して子どもの思いを聞き出しています。
ネット上の問題については、専門のプロバイダー業者に実態調査を委託して早期対応に効果を上げていると聞きます。
この様に、生徒指導で最も大切な「先手必勝」に向けしっかりと対策を立てていただいています。学校教育を預かる者にとって最も大切なことは、「その子がわが子ならどうする?」です。
この二点を踏まえてしっかりと取り組んでいただいている長浜市教育委員会には敬意を表したいと思います。ただ、市内のすべての幼・小・中学校に徹底されているかというと?が付くように感じています。是非とも徹底していただきたいものです。
子どもたちも保護者も学校と先生を信頼し、何時も安心と安全な長浜市立の幼・小・中学校であっていただきたいと念じています。
教育不信Ⅱ
連日大津市立O中学校の「中2いじめ自殺」が報道されています。過日は、昨年10月の事件後、O中学校が行った第1回調査の重要部分の隠蔽が明るみに出ました。
今日(11日)は、遺族の要望を受け11月に再調査した追加アンケートの回答に、加害者とされる同級生らが「『自殺の練習』と言って首を絞めた」「葬式ごっこをしていた」等の内容が含まれていたことが記されていました。(私の体験では、アンケート調査では生徒は必ず真実を書きます)
問題は、当時学校側がこうした重要な記述を見落としたうえ、市教委に「新たな情報は確認できなかった」と報告していたことです。はたしてこの様な内容を見落とすことなどあるでしょうか、考えられないことです。
耐えられずに命を懸けて訴えた生徒、そしてその保護者の思いはどうなるのでしょう。大津市教委とO中学校では余りにもいのちが軽んじられているようにしか思えません。そこでは、学校教育の原点「その子がわが子ならどうする」が確実に抜け落ちています。
文科省も県も大津市も、さらに県警も生活安全部が20人体制で調査に乗り出すようです。徹底調査の上、原因を明らかにし学校教育の根本 からやり直さないと再生はないように思います。その後、関係者は責任を取ることです。
我が長浜市においては以前から「いのちの教育」を最重点に心の教育を推進しています。したがいまして、大津市のような教育状況でないことを信じています。
教育不信
昨日(4日)今日(5日)と連日、大津市立O中学校2年生男子生徒自殺に係わるいじめ放置問題がテレビ、新聞をにぎわしています。
この事件は昨年10月に起こったのですが、しばらくして「自殺といじめの因果関係は無い」として市教委は調査を打ちきりました。その後、調査内容を隠蔽していたことが明らかになり今回の報道に至りました。(同年12月に高島市立K中学校でも陰湿ないじめが発覚しました)
隠蔽されていた内容は、教諭が「見て見ぬふりをしていた」「一緒になって笑っていた」等々と、いじめを放置していた状況を伺わせるものです。他にも気になることが幾つかあります。
私は、この問題は明確な指導方法を示してこなかった市教委と学校の管理職に責任があると考えています。今日、全国の中学校の最大の課題は生徒指導です。その中でもいじめ問題は日々目を離すことの出来ない課題です。
学校内における「いじめ」は、教師の目が離れている時と場所で起こっています。従って、常に教師の目が行き届く方法を考えれば良いことです。これが具体的指導方法です。
生徒指導とは、「その子がわが子ならどうする」が基本であり、次いで、「如何に情報を集めて先手を打ち後手に回らないか」です。後手に回ればそこにあるのは泥沼です。
今回の問題は、まず生徒指導の基本が抜け落ちていたことと、いじめと自殺をの関係を裏付ける証拠があったのに丁寧な調査を怠ったところにあると思います。今回の事件で明確になったことは、大津市の教育不信ではないでしょうか?
刺青調査
大阪市は職員の刺青調査をしました。100人を超える職員が刺青をしているとのことです。そうした職員の配置換えをするとのことですが当然のことだと思っています。
教職員にも調査をするとの発表がありました。当初「人権上問題だ」として調査を実施しないと云っていました。しかし、市民の「刺青を容認するのか」との抗議が相次ぎ一転して調査を行う方向で調整するとのことです。
一部ではファッション感覚で刺青をする人もいるようですが、日本の文化にはとてもなじむものではないと考えています。何処の温泉やサウナにも「刺青の方はお断りします」と入り口に記されています。
市役所の職員は市民のお役に立つ仕事をする僕であって、市民に脅威を与えたり脅したりする人であってはなりません。
教職員は、子どもたちに様々な教育場面を通して人としての生き方を教える立場であって、総ての面で子どもたちに範を示さなくてはなりません。大阪市の教職員に刺青をしている者がいるとは思いませんが、是非とも調査をするべきだと思います。
数年前日本でサッカーのワールドカップが行われました。楽しみにしてテレビを見ようと思っていたのですが、ニュースを見て見ることを止めました。それは日本を代表する選手が髪を金色や銀色・赤に染めていたからです。
日本民族の誇りは黒髪と黒い瞳ではないでしょうか?その誇りを失ってはお終いだと思うのです。特にナショナルチームの選手は青少年の憧れであり、影響が大きいのです。以来私はサッカーを見ることがありません。
親は勿論、大人や人前に立つ者は常にそれを見ている子どもたちが居ることを忘れてはならないと思います。総ての子どもは大人の後ろ姿(背中)を見て育つのですから。