二十二日講
昨日(4日)今日2日間、宮司町は二十二日講(まわり仏さん)でした。この講は湖北一円(現長浜市全域)の真宗門徒に過去200年以上営々と続く仏事です。
簡潔にその内容を記してみます。
天明8年(1788)1月30日未明、京都建仁寺門前の団栗の辻子の民家より出火した炎が南東の風あおられて辺り一面が火の海と化し、現在の京都駅近くまで炎に包まれました。
火がご本山にせまる中、午後10時頃、時の御法主乗如上人(東本願寺第19世)はご本尊、御真影のお供をなされて、山科御坊へお成りになりました。
やがて消失した本山の再建に向けて全国の御門徒に働きかけ尽力されました。この長浜の地からも沢山の門徒衆が参加しました。その宿舎が詰め所として今も東本願寺の門前周辺にあります。
両堂は寛政10年(1799)に再建されましたが、尽力された乗如上人は落慶を待たずにお亡くなりになり、その威徳をしのんで湖北一円に講を組織し、その名をご命日(2月22日)にちなんで二十二日講と名付けられたものです。
そこで思いますことは、まず乗如上人とその亡き後を受け継がれた達如上人のご苦労です。次いで私たちのご先祖のご苦労と喜びの姿を偲びつつ、今日まで200有余年営々と営まれる法悦の歴史です。
今日掌を合わす我が身の誇りと幸せを噛み締めつつ、命の引き継ぎをしみじみと感じることです。