高校野球滋賀大会
高校野球の滋賀大会。記事を書きたかったのですが、いつの間にか終わってしまいました。優勝候補の筆頭であった北大津が八幡商業に敗れて2年連続の甲子園はなりませんでした。湖北中出身のキャプテンの山本君。大会前に大変な問題があったのですが、よくチームを纏め上げて頑張ったと思います。
それにしても湖北勢が振るわなかった大会でした。1回戦勝ったのは伊吹と米原の米原市勢だけ。長浜市勢は全て1回戦敗退。特に我が母校の虎姫。石山相手にコールド勝ちのペースでした。しかし雨での中断が明暗を分けたみたいです。
石山が点を入れて追い上げ。それでも8回の裏の石山の攻撃を0点に抑えたら8回コールド勝ちでしたが石山が点を入れてコールド負けを逃れ、9回は5点差あったのに石山に6点を入れられてサヨナラ負け。悪夢でしたね・・・・。
その他では近江兄弟社高校の押谷君(びわ中出身)が滋賀県初の完全試合。今までノーヒットノーランは何人かいました。その中の一人が伊香の藤高投手。長浜商工相手に達成しています。このときは準決勝で当時は準決勝からコールドがなし(今は決勝のみ)。だから14-0ぐらいだったかな。コールドなら参考記録ですからね。ちなみにこの日は膳所が5回コールド勝ちで参考記録ながら完全試合。完全試合が2つもあった歴史的な1日でした。
山本君や押谷君のように湖北出身の球児が他の地域の学校で頑張ってくれた大会でした。
S夕刊に「情けない湖北の高校球児」と時評(コラムと社説みたいなもの)に書いていたため、ある球児が怒りの投書をしておりました。私は一生懸命やって負けたのだから仕方ないとは思いますけど、後輩たちがこの悔しさをバネに(滋賀県が弱かった時代ですが)湖北勢が強かったころを取り戻すために後輩に伝えて欲しいと思いますね。
ちなみに私が仕事を始めた昭和59年は長浜対伊香という湖北勢同士の決勝でした。8-0で勝った長浜が甲子園では1回戦でその年のセンバツベスト4の大船渡(岩手・先日震災で大きな被害を受けた学校です)に湖北勢唯一の1勝を上げたのは忘れられませんね。あの時は号外が長浜で配られたのを覚えています。3年後の昭和62年に伊香が甲子園に行ってから湖北勢は平成6年の長浜が決勝に行った(近江に負けました)のみ、本当にベスト8はたまに見ますけどベスト4もありませんね。
それより虎姫。私が生きているうちに甲子園に行って欲しい。