今日は原爆の日

テーマ:ブログ
 昨日は花火大会。昨年までは当社の支店が花火の会場に近かったのでそこの関係であまり見られなかったのですが、今年はゆっくりと観賞いたしました。昨日のブログ、たくさんの人からコメントいただいてびっくり、だけどそれにどうやって返したらいいか、コメントに対する返信方法をまだ知らないのでごめんなさい。油甚さんがいうようにブログ名は「あんぱんまんのつぶやき」と読みます。
 さて、本日は63回目の原爆の日。これから終戦の日まで戦争にちなんだ番組が放送されると思います。私の両親は戦場こそ行っておりませんが戦争の体験者です。父は生前、よく話してくれたものでした。私が幼い頃、学校の授業で「お父さんお母さんから戦争の話しを聞いてきなさい。」と宿題があり、それで聞くと食べ物がなく本当に弱ったそうです。また父が旧制虎姫中(現虎姫高校)時代には植林や干拓作業で学校の授業などまともになかったそうです。甲津原の杉林や米原の今のエクシブ付近の田んぼの干拓は私の父らが行ったものです。当時の干拓中にアメリカ軍の空襲があり米軍機からの機銃放射で父の体の横を玉が走ったそうです。(よくランボーなどで見る光景)よく生きていましたね。たまにあった学校の授業でも英語は敵国語でしたので教えられませんでした。戦後「何でついこの前まで勉強するなて言ってたのに今するんやい。」と先生をからかって、しかられたと笑って言っていました。だからアルファベットが満足に言えませんでした。戦後、父は旧制虎姫中学を卒業すると、次男でありながら家業に入り、戦争で荒廃していた家業を立て直し、今の私の会社の礎を築きました。(結構、悪い物も残してくれましたが)この時代、戦後の復興を手がけた人たちは本当に逞しく、本当の意味でカッコいいと思います。
 今、40歳以下の人たちの親で戦争を知っている人は、殆どいないでしょう。この「中々味わえないけれど味わってはいけない体験」を戦争を知っておられる経営者もしくは後進に道を譲られた方達に語っていただき、「もったいない、おかげさま、ほどほどに」の精神、一人立つ精神を教えていただきたいものです。
 なんか固くなりましたね。
 

コメント

  1. 2008/08/06 14:24
    私の祖母は未だにサツマイモが大好きで、
    サツマイモの料理を出すと必ず、
    「もう一つ貰お。」といって喜んで食べてくれます。

    きっと、戦時中の食べ物のない中、
    貴重なおやつだった思い出が残っているのでしょう。

記事テーマ一覧

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2015/05      >>
26 27 28 29 30 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6

ブログランキング

総合ランキング
13位 / 1569人中 up
ジャンルランキング
10位 / 816人中 up
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

ぱんやさん

長浜の大手門通りの米嘉席のところで「正しい材料、正しい方法、正しい姿勢」をモットーにパン作りに励むパン屋です。

ホームページ

お気に入りブログ

最近のトラックバック

参加コミュニティ一覧