吉弔混合の4日間
変な当て字ですみません。コメントいただいていながらほったらかしになって申し訳ありませんでした。曳山祭は17日の御幣返しで無事終了しました。
昨日サンライズさんの山組は後片付けをされたようですが本日は当山組の他にもいくつかの山組が山片付けを行ないました。こうして山組としてのお祭りも終了しました。
それにしても今年のお祭りは本当に寒かったですね。そのせいでもなかったでしょうが、今年は吉事と弔事が入り混じった忘れられないお祭りとなりました。
14日午後、非常に寒い冬のような天候の中で行われた登り山と夕渡り。出番山が八幡さんに登り据付されている頃、十日戎と曳山祭りが大好きだった私の伯父が長い闘病生活の末、亡くなりました。シャギリの音楽が流れる中で伯母、従弟ら家族4人に手を取られながら脳梗塞で麻痺していた左腕も強く握り返して天に召されたそうです。
実は私の祖父は1月9日、つまり十日戎の宵戎の日。祖母は4月15日の曳山祭りの本日(ほんび)の日に亡くなっています。何とお祭り好きな一家なのか(笑)と思ってしまいます。
伯父は平成7年に曳山祭りの総当番委員長を務めました。祭りの終了後、挨拶に廻っている最中に倒れ危険な状態に陥ったことがあります。
何とか助かってからは身体を大切にしながら、弟であり人一倍元気だった私の父よりも長く生きる事が出来ました。ある意味では祭りの最中、それも登り山の日に、あの世にいけたことは本望であったのかなと思います。
15日は今年は合併をお祝いした全山出場の年ですので、例え伯父が亡くなったとはいえ「店を閉めてはいけません。」という伯母の願いもあり、当店も伯父の店も何事もなかったように開けました。そんな中で祭りも最高の祭りとなり伯父も喜んでいることと思います。
15日は祭りの席で、16日は通夜席で、17日は初七日のあとの席でそれぞれ酒を飲みました。喜びと悲しみ、14日から17日まで吉事と弔事が入り混じった不思議な4日間でした。
喪主を務めた従弟が挨拶で「お父さん、天から見たお祭りはどうでしたか?本当は上から見ては行けないんだろうけど・・・。」と言っていました。この4日間、伯父や5年前に先に逝った親父はこの4日間のお祭り中の私達の行動をどう見てくれたかな?
また一つの私の心に残る曳山祭りの歴史が記されました。