七帝柔道記の虎高OB
テーマ:ブログ
2014/08/18 21:05
5月20日に偉大なる先輩くんさんが書かれました「ぱんやさんが漫画に」で作者の北海道大学時代の話をもとに書かれた七帝柔道記の漫画で、出てきました虎姫高校OBの松井隆君。
偉大なる先輩くんさんは、私がモデルではないか?と(笑)。でも、よう考えんでも私達(くんさんと私)は七帝大には無縁でございまして、私どもは、つるべい先輩が中退した大学でございました。
これ、先日虎高の卒業生名簿が来まして見ておりましたら、確かに松井隆君は私より5つ下にいました。どうでもいいことを覚えている私、浮かびました。私の知り合いの親戚に、松井君がいました。私が学生時代、夏休みに柔道を教えに(遊びに)母校へ行った際に、2人、結構強い者がいました。ただ虎高は練習をしません。当時の滋賀県柔道界は比叡山が圧倒的に強く、長浜商工(現・長浜北星)が2位でした。彼は市民大会でその商工の選手としたらあっさり負けているのですが、その後、違う後輩から聞くところによると高校在校中に弐段(二段)を取ったそうです。要領のいい虎高生ですな。
あとで、彼が私の知り合いの従兄と知りまして、それが長い間かすかに記憶の中にありました。それが出てきまして、昨日、本当に久しぶりに知り合いに電話しました。親父の葬儀以来の会話でした。その人は親父と親しく今の私を心配してくれて、「しっかりせい。」と言ってくださいました。
改めて、七帝柔道とは何かと申しますと、何年か前のNHKのニュースで紹介されたのですが、現在旧7帝大(東京大、京都大、北海道大、東北大、名古屋大、大阪大、九州大)で行われている、現在の講道館や国際試合審判規定(ルール)とは少し違った、旧高専柔道の流れである寝技主体のルールの柔道です。だから寝技への引き込みが許されています。普通の柔道では寝技へは試合の流れの中での寝技への移行はいいのですが、自ら寝技に引き込むのは禁止されています。だから寝技のうまい選手は巴投げなどから寝技へ匠に移行しますが、うまくいかないときは、引き込み注意を取られ、相手に有効と同じポイントを与えてしまうことになります。
私が学生時代、京大はそんなに強い大学ではなかったのですが、寝技をすぐやることで有名でした。「頭がいい大学なので何をするかわからん。」ということで、関西学生で1回戦当たったとき、7人戦で5-0(2人引き分け)で勝った時に監督の先生が烈火のごとく怒られました。「何をしている!逃げてどうする。」と。本当に強い先輩方が、信じられない試合をしておられたのが印象的でした。なお、1年後同じ七帝柔道の大阪大学が関西で敵なしの天理大学と当りまして、その試合私が記録員をしていましたが、本当によそ見ができないくらいでした。天理がどの試合も30秒くらいで片づけてあっという間に7-0で勝ってしまいました。
柔道界では「立ち技3年寝技3か月」という言葉があるくらい寝技は努力で早く伸びるものです。まあ私は怠け者ですからいけませんが、強い選手は耳がつぶれていますね。わたくしは、これだけは避けようと耳を守りましたので強くなるはずもありません(笑)。
ちなみに、YOUTUBEで松井君の試合を発見しました。ひげを生やしていましたが、私の記憶の中にある松井君でした。残念ながら負けてしまった試合でした。
またどうでもいいことを調べて喜んでいる私です。ちなみに虎高の柔道部は部員不足で廃部になってしまっているそうです。柔道は団体だけでなく個人もある競技。誰か強い男でも女でもいいから同好会を作って、よそに出稽古に行って高体連に出てくれないかな。なんて思っている私です。
偉大なる先輩くんさんは、私がモデルではないか?と(笑)。でも、よう考えんでも私達(くんさんと私)は七帝大には無縁でございまして、私どもは、つるべい先輩が中退した大学でございました。
これ、先日虎高の卒業生名簿が来まして見ておりましたら、確かに松井隆君は私より5つ下にいました。どうでもいいことを覚えている私、浮かびました。私の知り合いの親戚に、松井君がいました。私が学生時代、夏休みに柔道を教えに(遊びに)母校へ行った際に、2人、結構強い者がいました。ただ虎高は練習をしません。当時の滋賀県柔道界は比叡山が圧倒的に強く、長浜商工(現・長浜北星)が2位でした。彼は市民大会でその商工の選手としたらあっさり負けているのですが、その後、違う後輩から聞くところによると高校在校中に弐段(二段)を取ったそうです。要領のいい虎高生ですな。
あとで、彼が私の知り合いの従兄と知りまして、それが長い間かすかに記憶の中にありました。それが出てきまして、昨日、本当に久しぶりに知り合いに電話しました。親父の葬儀以来の会話でした。その人は親父と親しく今の私を心配してくれて、「しっかりせい。」と言ってくださいました。
改めて、七帝柔道とは何かと申しますと、何年か前のNHKのニュースで紹介されたのですが、現在旧7帝大(東京大、京都大、北海道大、東北大、名古屋大、大阪大、九州大)で行われている、現在の講道館や国際試合審判規定(ルール)とは少し違った、旧高専柔道の流れである寝技主体のルールの柔道です。だから寝技への引き込みが許されています。普通の柔道では寝技へは試合の流れの中での寝技への移行はいいのですが、自ら寝技に引き込むのは禁止されています。だから寝技のうまい選手は巴投げなどから寝技へ匠に移行しますが、うまくいかないときは、引き込み注意を取られ、相手に有効と同じポイントを与えてしまうことになります。
私が学生時代、京大はそんなに強い大学ではなかったのですが、寝技をすぐやることで有名でした。「頭がいい大学なので何をするかわからん。」ということで、関西学生で1回戦当たったとき、7人戦で5-0(2人引き分け)で勝った時に監督の先生が烈火のごとく怒られました。「何をしている!逃げてどうする。」と。本当に強い先輩方が、信じられない試合をしておられたのが印象的でした。なお、1年後同じ七帝柔道の大阪大学が関西で敵なしの天理大学と当りまして、その試合私が記録員をしていましたが、本当によそ見ができないくらいでした。天理がどの試合も30秒くらいで片づけてあっという間に7-0で勝ってしまいました。
柔道界では「立ち技3年寝技3か月」という言葉があるくらい寝技は努力で早く伸びるものです。まあ私は怠け者ですからいけませんが、強い選手は耳がつぶれていますね。わたくしは、これだけは避けようと耳を守りましたので強くなるはずもありません(笑)。
ちなみに、YOUTUBEで松井君の試合を発見しました。ひげを生やしていましたが、私の記憶の中にある松井君でした。残念ながら負けてしまった試合でした。
またどうでもいいことを調べて喜んでいる私です。ちなみに虎高の柔道部は部員不足で廃部になってしまっているそうです。柔道は団体だけでなく個人もある競技。誰か強い男でも女でもいいから同好会を作って、よそに出稽古に行って高体連に出てくれないかな。なんて思っている私です。