安倍晋三
昨日(27日)東京駅で買った「夕刊フジ」を見ていました。そこに、再登場を期待されている元首相安倍晋三氏のコラムが記されていました。見出しは“政治、外交・・・基準がない菅政権”と有りました。抜粋して以下に記します。
“・・。そもそも、震災発生から1ヶ月になるが、菅政権の対応はお粗末というしかない。・・・・・。各国の支援に対する姿勢も疑問だ。今回の震災で、我が国は130を超える国・地域から、さまざまな支援を受けた。本当に有り難いことだ。
菅政権は今月初め、米国や中国、韓国などの有力紙に謝意を表す新聞広告を出したが、100人を超える援助隊を派遣し、100億円を超える最大級の義援金を集めてくれた台湾には出さなかった。中国だけには、同盟国の米国にも出していない首相特使を派遣して、震災の支援に対する謝意を伝えている。これは大きな間違いだ。
震災で急落した日本の存在感を回復させるため、松本剛明外相がGW中に米国や欧州、アフリカを訪問する計画が持ち上がった。野党は「日本のために、是非行ってほしい。国会審議は副大臣でいい」と了解していたが、民主党から「行く必要はない」という意見が出て中止になった。
私はこの話を聞き我が耳を疑った。野党が了解した海外出張を、与党が潰すなど前代未聞だ。「これでは日本の国際的地位はどんどん低下する」と同僚議員と批判していたら、与党は26日、松本氏の出張を急に認めた。一体、菅政権は何を基準にして政治や外交をしているのか。”
今朝の読売新聞には、ゲーツ米国防長官との会談が見送られたことについて、「当初はゲーツ長官とも会談し米軍の震災支援への感謝を伝える意向だった。しかし、民主党が国会での予算審議を優先し直前まで外相の訪米を認めず日程が流動的だったことが影響したと見られる。」とありました。
組織のトップとは、「全ての責任は私がを取るから全力を尽くしてくれ」と云えばいいのです。ところが漏れ聞こえることは、閣僚や官僚、東電幹部を怒鳴り散らしている話ばかり。国民を忘れ己の延命に血眼になっている現左翼政権の姿からは悲しいかな、明日が見えてきません。
祈りの旅
昨日(27日)は両陛下が被災地宮城県南三陸町を訪問されました。その時の様子はテレビや今日の新聞で報道されています。
両陛下が高台から津波で被災し全滅した市街地に向かって黙礼されようとするとき、同列にいた佐藤町長をそっと後ろに引きもどす宮城県知事の姿。私は黙礼される両陛下の御姿と知事の何気ない態度に感動しました。
その後、避難所を訪問され膝をついて一人一人に言葉をおかけになるお姿に心を打たれ熱いものが込み上げてきました。佐藤町長は「被災者のああいう笑顔を見られるのは初めてです」と語っています。
云いたくはないのですが、「もう帰るんですか?」と呼び止められ怒りをぶつけられるパフォーマンスだけの何処かの首相とは、器というのか精神の根底の違いを改めて感じるところです。
両陛下は祈りの旅をこれからも続けられるとのことです。震災がおこるた度に国民の精神的支柱として行動される御姿に感動するのは私だけでしょうか。
気になることは、そうしたときに時々見かけるあぐらをかいたままで応対している国民が居ることです。これはやはり私を含め、戦後教育の大きな問題点の一つだと思っています。