入れ替え戦
昨日サッカーのJリーグの入れ替え戦があり、ジュピロ磐田が仙台(なんだったかな)を下してJ1残留を決めました。J1とJ2では天と地ほどの差があるため、必死になります。だから、ある意味見ごたえのある真剣勝負になります。プロとは違い学生スポーツもラグビーの他、リーグ戦が終わると、最下位と下部リーグの優勝者との入れ替え戦が待っています。
2年前、久しぶりに全国大学ラグビーでベスト4で正月の国立競技場で試合をした我が母校・京都産業大学が今年は悪夢の関西リーグ最下位。23シーズン振りに大学選手権へ進めなくなり、龍谷大学との入れ替え戦を昨日行いました。幸いに勝利し残留を決めましたが、京産大の大西監督は試合前に今年の責任をとって36年間の監督生活に別れを告げる事(辞任)を行いました。
最近の母校のスポーツの凋落は著しいものがあります。関西で20年以上トップだった駅伝は関西で2位か3位、西日本1だったバスケットも3位くらいがやっと。関西大会決勝でいつも天理に苦杯を喫していましたが2位があたりまえだった柔道は今年全国体重別団体戦大会も出られなくなりました。
ラグビーは82年に初めて全国大会に出場。83年は1回戦で日大を破り、同志社以外で初めて国立に進みました。正月の国立では大八木、平尾の同志社に終了10分前までは素晴らしい試合でした。その後、90年には同志社に初めて勝利。そのときは終了間際、テレビをつけて見ましたがはっきり覚えています。7-9で同志社リード、終了直前に京産大がペナルティゴールを決めすごい歓声。試合再開も時間が少なくノーサイド。大西監督と選手が大泣きしていました。私も感激しました。
大畑や広瀬など後にオールジャパンの中心になる選手が出たときは早稲田を粉砕、早稲田の強さが復活したのは98年に京産大に大敗したのがきっかけだそうです。しかし、そのときに関東学院に敗れて優勝できなかったのが、凋落の始まりでした。1昨年久しぶりに国立へ行きましたが、消える前のろうそくみたいなものだったのかもしれません。
考えれば、我が母校の各種目の監督は私の在学時からの先生ばかりであります。それがいけないのかもしれません。早稲田のラグビーなどは以前は、毎年監督が交替していました。それではということで2~3年するようになりましたが、2年前まで強いチームを作った清宮監督でも変わっています。
学生が少なくなり、ネームバリューのある東京の大学へ有望選手は行ってしまうため、早稲田のようにV字回復は難しいとは思いますが、大西先生が退かれたということ、これを機に立て直して、強い京都産業大学を復活してほしいものです。