新川
今日(7日)は七夕さんです。空模様が心配ですが例年この日に良い天気はなかったように思います。
14:30過ぎ新川の様子を見てきました。昨年末の約束通り年2回除草していただく1回目を5日からしていただいたようで、有り難いことです。両斜面は美しく?なっていました。ただし、県は作業終了後のチェックをするのでしょうか?業者任せになっていては困るのですが。
上は谷寺橋から上流(平和堂方面)を見た様子です。下は同じ橋から下流を見た様子です。見ていただくと分かりますように、川の中央はそのままですが、このような状況ではたして良いのでしょうか。
県の方針では、雑草が繁茂しないよう両岸はしっかりと整備するようになっているのです。しかし、県はこれごときにお金を使うことはもったいないのか?、今日まで放置した状況が続いています。結果、市街地中央の景観を極めて害しているわけです。
この状況を知っている住民は、本線計画に決して賛成することはないと思います。それよりも、十一川上流の整備をすることで問題解決(百年に一度の雨対策)は出来ると考えています。
節義
昨日(6日)、6月30日の産経新聞の「正論」を読みました。テーマは「日本人が失ったのは『節義』の心」(都留文化大学教授;新保祐司)です。我が意を得た思いでしたので抜粋して記します。
“鎌倉の鶴岡八幡宮の有名な大銀杏が夜来の強風によって倒れたのは3月10日の未明のことである。・・・。
これは、何か日本という国家、あるいは国民の精神の倒壊の象徴なのではないかという嫌な思いに襲われた。・・・。
日本人の倫理というものは、ある意味で鎌倉時代から生まれたと言われることがあるが、大銀杏は、そういう日本人の節義(節操を守り正道を踏み行うこと)を核とした倫理の象徴として感じられたのである。・・・。
戦後60余年の間に、日本人が「当たり前」のように持っていた「節義」の心と言った倫理観が、「戦後教育」などをだらだらとやっているうちに消え去ってしまった。
今日の日本の政治や社会、あるいは文化の惨状からひしひしと感じられるのは、この喪失感ではないか。・・・。
倒れた大銀杏を再生するための努力がいろいろとなされていて新しい芽がいくつも生えてきているという。・・・。何よりも再生されるべきは、日本人の精神の方であろう。
戦後の経済発展の中で、国家観を失っていった日本は、いわば枝葉だけが繁茂していっただけで、その実、根は腐っていたのである。
国民意識をなくすのを良とし、手当のばらまきによって国民の最も大切な精神である「自立心」を弱らせるだけの政権の政策のせいで、根が腐敗しつつあった日本は、ついに大銀杏のように倒壊したのではないか。
これを再建するには、決して容易ではない。しかし、諦めるのはよくない。若い日本人の中にも、新芽のように伸びてきている人達がいるように感じる。・・・。
私は祈る、「節義というものが、日本人の精神の中にやがて蘇生することを信じよう」と。”
その実現のために大切なことは政治とそれに関わる教育です。従って、今回の知事選ならびに参院選挙は極めて重要だと考えています。今回の選挙は、民度が問われる選挙であるようにも感じています。