もし原発がなくなったら

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 大地震で原子力発電所は本当に大変なことになりましたね。

 本日、ある会合で千葉の大きなベーカリーチェーンからの連絡がありました。かなりひどくやられたそうですが、パンは何とか工場が動かせるようになったそうです。しかし、計画停電がまだ落ち着いていないため仕事にならないそうです。まだまだ困難が続きそうです。

 

 

 さて、原子力発電所の放射能漏れなどはスリーマイル島の事故よりもひどく、チェルノブイリに次ぐ危険度だそうです。原子力発電は火力発電に比べ発電効率はものすごくいいのですが危険と背中合わせであることは否めません。

 

 先日の記事で1999年に東海村の臨界事故でしたかね、原子力発電所の是非が問われたことがある事を書きました。マルセンちゃんさんが「渚のバルコニーとどういう関係かわからん?」とコメントいただきました。

 

 実は当時のTBSの報道番組ブロードキャスターで原子力が30%近くを占めているが、もし原発なしでの発電量と同じ消費量はいつのことかと振り返りますと昭和50年代後半(西暦1980年代前半)でちょうど、たのきんトリオや松田聖子が絶頂期の頃でした、ということです。

 

 日本経済が絶頂期で「ジャパンアズナンバーワン」という本が売れ、21世紀は日本の世紀といった経済学者ハーマンカーンの予言どおりになろうとしていたときでした。

 

 そんなころですから、ものすごく豊かで電気もたくさん使っていただろうし、電化製品も今ほど省エネタイプではなかったかなと思うのですが。意外と電気は使っていなかったのですね。

 

 当時の長浜市(旧市内に限ります)を今と比べて見ますと

 わかりやすい、ショッピングセンターを見て見ましょう。

 当時は平和堂長浜店(いわゆる駅平)、西友(今の曳山博物館)、フタバヤ、長浜ストアーがいくつか、橋本や(遅くまでやっている店でした)、そしてパウワース。いわゆるコンビニなどは1件もありません。私が成人した時の記念にもらったアルバムには市役所から東をのぞんだ写真がついていますが、バイパス(今の8号線)は田んぼ、当然楽市などはありません。唯一、ニュー湖岸(今は取り壊されています)が写っているくらいでした。

 

 8号線バイパスを見れば、長浜の経済が大きくなっているのがわかります。

 

 電車でもそのころは「5時汽車、6時汽車」と言う言葉があり、1時間に1本でした。今では1時間に2~3本です。都会なら次々に電車が来ます。だから発車ベルではうるさく、耳ざわりで仕方ありませんので今では発車の合図は音楽が当たり前です。

 

 冷蔵庫はますます大きくなるし、オール電化になるし、気がつかないうちに電気を使う量が多くなっているんだなと気づかされた気がします。

 

 

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長浜の大手門通りの米嘉席のところで「正しい材料、正しい方法、正しい姿勢」をモットーにパン作りに励むパン屋です。

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