食品風評被害
福島県の原発の被害で放射能が基準値を上回ったとの事。この基準値とはチェルノブイリ原発事故でヨーロッパからの食品の安全の基準のために定められたものが根幹となっています。
実際にこの原乳で作った牛乳を1年間飲み続けても、CTスキャン1回分の放射能の量にも及ばないとか。私も最近肩が痛いとか何とかで、この3ヶ月の間にレントゲン2回、MR撮影1回ありました。またほうれん草を1キロ1年間でも同じこととか、少し騒ぎすぎなんですね。
確かに基準値オーバーとか言われると考えますね。でも真実はどこにあるかを見たいものです。
それにしても怖いのが風評被害。実際当社もM乳業の代理店ですので、先日メーカーからお知らせが来ました。実際に牛乳の宅配をしている販売店ではお客様からの福嶋の原乳に対して問い合わせが多いそうです。それに対しての答えとして「当社(M乳業)では福島県からの原乳は使用しておりません。」と言うことだそうです。実際に使用していないようですね。
それと共に現在東北の牧場では原乳(牛乳になる前の搾った乳)は停電の影響や輸送手段が困難なため集乳(工場へ原乳を集める事)が出来なくて、農家の中には原乳を捨てているところもあるようです。
食糧を粗末に扱ってはいけないと思います。どなたかの記事でも載っていましたが以前、あ菅総理が厚生大臣の時、かいわれ大根を食べたりしていましたね。
マスコミも不安をあおる報道をしないで欲しい。以前、ニュースステーションで今回2億円の義捐金をした久米宏さんがニュースでどこの作物だったかな、危険といったことで農家からの訴訟問題になった事があります。実際、久米さんは、そのあとで一言も謝りませんでしたね。
政府とマスコミは弱い農家や食品業者が危機に陥ることがない様に、慎重に発言、報道していただきたいものです。
油甚さん、よろしくお願いします。
今日の滋賀夕刊を見たらコブログ関係の方の記事が2つ載っていました。1つは義捐金活動の呼びかけをしておられる話しです。今日は連休初日とあってかいくつかの団体が義捐金を募っておられました。その中でも福島大出身のIさんが呼びかけたものが載っていました。長浜市社会福祉協議会では3000万円以上の金額になったそうです。
もう一つは「教育委員に油甚さん」という記事です。
長浜市は「任期満了に伴う新しい教育委員に油甚さんを任命し、18日の議会で承認を得た」と言うことです。任期は31日(不思議ですね)から4年間だそうですが、今の教育をよくするためにも頑張っていただきたいものです。
油甚さんは都知事と同じ大学を出られて、油甚さんの元売の日石に行かれ、国際スクールで経営学修士号を取得、米国の大学院の客員研究員という輝かしい経歴だけでなく、長浜に帰られてからも公私とも色々されているので、幅が広い教育委員としてご活躍が期待されます。
当社も学校給食の仕事があり、ある意味、間接的に教育に関わらせていただいております(私がそう思っているだけで先生方は、ただのパン屋としか見ておられないでしょうけれどね)。
そんな中で油甚さんのような人が教育委員として様々な施策に関わっていただくことは心強く感じます。教育は何といっても国づくりの基盤、昔、越後長岡藩が幕末の戦争で敗れて苦しい時に教育から手をつけたことは有名な話しです。
教育に大切なのは(何でもそうですが)「信」の文字。油甚さんの活躍が楽しみです。
ただビックリしたな、年齢に。考えたら私の一つ上の先輩。ということは五十路マンだもんな。若く見えるけど。
プロ野球、セパ分離開幕
春を告げるプロ野球の開幕が3月25日の予定でしたが、被災地の仙台を本拠地とする楽天が所属するパリーグは4月12日開幕となりました。セリーグは私の大嫌いなナベツネの巨人が強硬に主張し選手会の意向を無視して予定通り25日開幕となりました。
甲子園大会はどうなるのかわかりませんが一応組み合わせ抽選はおこない、被災地の東北(宮城)は1回戦一番最後に廻り大垣日大(岐阜)と対戦することに決まっています。
阪神大震災のときの甲子園大会は被災地での開催ということで出場校数を減らして開催の案も出ていましたが結局、予定通り行いました。もし減らされていたら出場が危なかった観音寺商業(香川)が優勝しました。
被災地開催であっても2ヶ月以上あった阪神大震災に比べ震災発生から2週間足らずでの開催は確かに大変だと思います。
私は甲子園大会は開催すべきだと思います。東北の選手も開催なら出ると言っています。「甲子園大会は心が晴れる。」と永井元文部大臣の昔の挨拶ですが、甲子園大会は教育の場であり、被災地の方たちにも大きな励ましになると思います。それに昼の試合が殆どなので電気(もともと関西だからそんなに関係無いのですが)も使いません。
プロ野球は興行収入のこともありセリーグの球団は強行開催するのでしょうが、高校野球とは意味が違うと思います。それに関東はまだ計画停電の最中。被災地も混乱した状態でテレビが見られない中で、なぜやるのかな、無事にできるのかなと思います。
阪神は甲子園を貸してもよいと言っているようですが、そのあたりの事も決め、選手の体制も整ってからやるべきでしょう。事実YAHOOのコメントで「このままなら大相撲より悪くなる。」と言う人がいました。
ファンだからかばうつもりはありませんが広島と阪神は強行開催するなら、その問題点のカバーも考えているのに対し巨人(ナベツネ)は思い上がりそのものですね。
私は阪神大震災の時に青年会議所からボランティアに1回行ったことがあります。その日は確か震災から約1ヶ月経った頃でした。復興どころかようやく落ち着いて物資などが避難所で行き渡るようになった頃でした。コンビニなどにも品物が行くようになっていました。今回は阪神大震災に比べ被災地が広範囲ですし、もともと交通の便が悪い地域が多く、おまけに原発がやられて電気も計画停電状態。回復には当然時間がかかると思います。
何でも自粛というのはいけませんが、開幕を強行するよりも、もっとしなければならないことがあるような気がします。
もし原発がなくなったら
大地震で原子力発電所は本当に大変なことになりましたね。
本日、ある会合で千葉の大きなベーカリーチェーンからの連絡がありました。かなりひどくやられたそうですが、パンは何とか工場が動かせるようになったそうです。しかし、計画停電がまだ落ち着いていないため仕事にならないそうです。まだまだ困難が続きそうです。
さて、原子力発電所の放射能漏れなどはスリーマイル島の事故よりもひどく、チェルノブイリに次ぐ危険度だそうです。原子力発電は火力発電に比べ発電効率はものすごくいいのですが危険と背中合わせであることは否めません。
先日の記事で1999年に東海村の臨界事故でしたかね、原子力発電所の是非が問われたことがある事を書きました。マルセンちゃんさんが「渚のバルコニーとどういう関係かわからん?」とコメントいただきました。
実は当時のTBSの報道番組ブロードキャスターで原子力が30%近くを占めているが、もし原発なしでの発電量と同じ消費量はいつのことかと振り返りますと昭和50年代後半(西暦1980年代前半)でちょうど、たのきんトリオや松田聖子が絶頂期の頃でした、ということです。
日本経済が絶頂期で「ジャパンアズナンバーワン」という本が売れ、21世紀は日本の世紀といった経済学者ハーマンカーンの予言どおりになろうとしていたときでした。
そんなころですから、ものすごく豊かで電気もたくさん使っていただろうし、電化製品も今ほど省エネタイプではなかったかなと思うのですが。意外と電気は使っていなかったのですね。
当時の長浜市(旧市内に限ります)を今と比べて見ますと
わかりやすい、ショッピングセンターを見て見ましょう。
当時は平和堂長浜店(いわゆる駅平)、西友(今の曳山博物館)、フタバヤ、長浜ストアーがいくつか、橋本や(遅くまでやっている店でした)、そしてパウワース。いわゆるコンビニなどは1件もありません。私が成人した時の記念にもらったアルバムには市役所から東をのぞんだ写真がついていますが、バイパス(今の8号線)は田んぼ、当然楽市などはありません。唯一、ニュー湖岸(今は取り壊されています)が写っているくらいでした。
8号線バイパスを見れば、長浜の経済が大きくなっているのがわかります。
電車でもそのころは「5時汽車、6時汽車」と言う言葉があり、1時間に1本でした。今では1時間に2~3本です。都会なら次々に電車が来ます。だから発車ベルではうるさく、耳ざわりで仕方ありませんので今では発車の合図は音楽が当たり前です。
冷蔵庫はますます大きくなるし、オール電化になるし、気がつかないうちに電気を使う量が多くなっているんだなと気づかされた気がします。
トップの発言
東京都の知事さんが、いつもの癖で思いやりのない発言をされたようです。以前から偉そうな態度をとられるこの方。確かに「NOと言える日本」など、おっしゃる言葉には非常に見識の高い素晴らしいこともございます。しかし、そこに市民に対する思いやりがなく、典型的な上から目線で、市民と共に社会をよくして行こうという意志が欠けているような気がしてなりません。
今は非常時。いつものように政治家の発言にいちいちメクジラ立てているようなときではなく、人々の目や耳がそんな方にに行っていないから話題に(というか、みんなもうあきれているのでしょうけれど)なりませんが、少しは反省して欲しいものです。
この人の発言で腹が立つことはたくさんありますが、自分の値打ちが下がるだけですので、これ以上はやめましょう。
それより「人の振り見て我が振り直せ。」トップに立つ人は、共に成長するために、共によくなるために、人々の気持ちが奮い立つような発言をして行きたいものです。被災された中で、家族の行方がわからないのに先頭に立って復興に歩み始めようとしている人がおられました。
私も、その方に負けてはいられません。頑張るぞ!