試験とカンニング
仙台の予備校生が携帯を使いYAHOOの質問箱に流して入試の答えを聞いた新しい(?)カンニングのニュースが毎日マスコミを賑わしています。それにしても、膝の上から携帯を打ったとか、よく考えたものだと思います。彼と同じ予備校の生徒によると充分に合格できる実力があったとのこと。ただセンター試験が少しできが悪かったようで悩んでいたようです。
これによって各大学は監督を厳しくするとのこと。ただ、あまりやりすぎるのは意味がないと思いますけどね。私の出た大学ぐらいの中堅私立ならまあこんな心配をしなくてもいいのでしょうけれども、油甚さんの母校ならどうなんでしょうね(笑)。
さて私達の頃にもカンニングは、よくいわれていました。青春ドラマの「飛び出せ青春」だったかな水谷豊が役する生徒がカンニングをして太陽学園で一番優秀な中尾だったかな?生徒より上位に行き、あとで自分が白状してめでたしというのがあったと思います。
カンニングの方法もいろいろありましたが、当時は答えなどのメモを消しゴムや下敷き、筆箱(ペンケース)に、上手に隠したりするのが一般的でした。
大学では机に書き込むパターンもありましたね。スチールだと監督からは何が書いてあるかはわからないのです。
それと勉強のできる生徒がうしろの生徒にわざと見せてやるというのもありましたね。
またこれは聞いた話しなのですが、大阪のK大学出身の大相撲の元大関・A(今のT親方、元横綱Aの親方です)。大学の試験の時、彼は堂々と横の学生の答案を覗いて書いていたそうです。次ぎ(大相撲)が決まっているので試験監督の先生は見て見ぬふり。おかげで他の学生も堂々と見ていられたということです(平和ですな~)。
ただ、大学だとノートや教科書持込という試験がけっこうありましたからね。私のゼミの先生は教科書ノート持込OKなのですが、答案を仕上げるのに試験時間一杯必要な問題を作られました。これも面白い手ですね。
私が高校時代に忘れない試験が3年生3学期末テストです。入試などもあるため教科書持込OKや問題を小論文形式などで出されたものがあり、普通の定期試験とは違っていました。おかげで赤点ばかりだった苦手な英語などでも赤点どころか高得点。
生物などでも結構いい点だったような気がします。いくら教科書持ち込みOKでも答えがどこに書いてあるかは、そこそこ理解していないと探し出すことは出来ません。ある意味、ルールを変えた試験方法です。こんな事も面白いですね。
あ、今日はぴったんこカンカン。安住が山路に酔うと新聞に書いてあったからゆうこりんさんが出るんだろうな、はよ見に上がろう。
試験のことはまた今度。
安住アナと教育
昨日、あいにくの雨の中、TBSのぴったんこカンカンでしたかロケが長浜で行なわれたようです。ピン子さんが来られるのかなと思ったら富士真奈美さんと吉行和子さんだったとか。この方たちが交代で安住アナと各地で珍道中されるのでしょうか?
さて、安住アナといえば土曜日の情報7デイズ。一緒にコメンテーターとしているのが北野武。たけしといえばTVタックルというつまらないつながりです。
昨日のテーマは「教育」。前日に加藤登紀子さんのコンサートで長小や西中のPTAや関係者の素晴らしい活動を見せていただいたあとなので余計に興味を持って見る事が出来ました。
ヤンキー先生こと義家さんがゲストで色々と言っておられました。最近のモンスターペアレント(以下モンペ)には本当に困った方がおられるみたいですね。席の配置でも文句を言ってこられるバカな大人がいるとか。義家さんによると席順も大切でモンペが言うからと籤引きで決めるのは絶対駄目だそうです。席決めは野球の監督がスタメンを決める権力があるのと同じで担任教師の大切な権力であるとのこと。それも言っておられました。
当社も関わらせていただいている学校給食。費用の未払いが多いと言われて久しくなりました。確かに費用に関しては「子供手当て」とか「児童手当」などつけるくらいだったらその分を給食に廻してもいいと思いますけど払わない理由を正当化する大人にも参ったものです。
教師にも算数の時間に変な問題を出す人。これこそ冗談と言ってはいけない事の区別がつかない人がおられるようです。ただ公務員は解雇が出来ないのでこういう人が居残ることがあるみたいです。小学校の時不適格な教師が担任で妹が泣いていたことがあります。その方も数年前に退職でした(よういられたな)。
こういう問題を並べていても気がめいり解決しないのでやめます。それに対して加藤登紀子さんのコンサートでのPTA(本当はP)の活躍をみて一つの問題解決の鍵を見たような気がします。
PTAは親と先生が一緒になって教育にかかわって行くことが主旨で戦後始められたことだと思っています。昨日のさんらいずさんのコメントに「PTA合唱団はあくまでも子供たちの引き立て役」とありました。子供たちに教えるというのではなく「子供たちの良さ、力を曳き出し、一緒に成長する。」ということが大切なのだと思います。
これは会社でもいえることで社員教育も社員に教えると言うのではなく社員の良さを曳き出し一緒に成長、共に成長する「共育」が大切なのだと思います。
私は子供がなく育てる苦しみを知りませんので口先だけで申し訳ございません。それでも共に育つということを大切にして教育に取り組んで行きたいものです。何しろテレビでも言っていましたが教育は国家建設の大切な基盤です。国が良くなるのは何年か前の教育に力をいれた成果だと言うことです。