遠方での忘年会
本日仕事の関係での会合が大津であり、終了後その忘年会がありました。帰りの大津駅でギリギリ乗った電車が偶然にも急行きたぐにを除く最終の新快速でした。
かなり飲んでいたためか、彦根の人と一緒だったのですが彦根に着いた時も気がつかず寝ていました。長浜でも危なかったです。これが敦賀行なら恐らく寝過ごして、どこかで飛び起きていたでしょうね(笑)。
良く聞くのは、新潟行の夜行の急行「きたぐに」で乗り過ごして敦賀で気がついたり、すごい人は福井や金沢で目を覚ました人もおられるとか。きたぐには大阪や京都で飲んでいて利用された方も多いと思います。大阪を23時26分だったかな?発で京都を0時過ぎに出ます。大津あたりを過ぎると、車内放送を終了して、あとは各駅に到着してもアナウンスがないのでサッパリわかりません。わたくしも米原で目を覚まし、どこやどこやと慌てた事があります。
それで、私は大阪で飲んだ場合は大阪を急行きたぐにより少し早く出る快速(京都から普通)の米原行に乗り、米原到着後先に抜かして待っている「きたぐに」に乗るようにしています。そのとき大抵、車掌さんが急行券を売りに来ますね。米原到着後、寝ていて車掌に起こされた場合はきたぐには待ってくれませんので、仕方なくタクシーで帰りますが、損害(?)は少なくてすみますからね。
以前、大阪で飲みほうけて、終電に乗り遅れた事があります。そしたら大阪駅でタクシーが寄って来るんですね。長浜までいくらで帰るか交渉です。泊まったほうが安いのは知っているのですが、家に着いていた方が、起きてから、すぐ仕事にかかれますし、身体は楽です。
ちなみに普通に行けばタクシー代は夜間は大阪から長浜は約5万円かかります。ただし、大阪からのタクシーは業者にもよりますが5000円を越える料金は半額です。だから5000円プラス45000円の半分22500円で合計27500円です。それに高速代を足して30000円も出せば喜んで行ってくれます。
そこから交渉してもっと安い金額で行ってくれた事はあります。また、もっといい手もありますが、どちらにしても、2人や3人で乗るのならまだ値打ちですけど、一人ならかなり高い金額で、意味はあまりありません。できたらやらないほうがいいですね。
とにかく終電に乗り遅れないように、そして寝過ごさないように気をつけましょう。「酒は飲んでも飲まれるな」肝に銘じたいものです。
理想の長男
本年4月に義母が亡くなりましたので会社関係は別にして喪中ハガキを先日出しました。振り返りますと親父が亡くなった時も合併による新長浜市が誕生する前の年でした。だから住所の変更など何も考えずに年末年始の挨拶を出す事が出来ました。それにしても私にとって合併は縁起が悪いのかな?(笑)
そしたら今日、私の母の実家の伯父からはがきが届きました。妻が「涙が出てくる。」といって私に渡しました。読んで見ると伯父の本当に温かい人柄を表すはがきでした。
4年前に親父が急死したときも伯父は妹である母を思って葬儀やそのあとの法事でも、色々と気を遣ってくれました。法事の際にはいつも母の実家にある仏具などを持ってきたり、段取りに対するアドバイスなどをして法事が滞りなく行なわれるようにしてくれます。
今日のハガキは義母を偲び冥福を祈る文章が書かれていて「生ある者には誰彼となく無常がやってきます。淋しい迎春となりましたが健康大事に家業の発展を念じています。」と締めくくられていました。
伯父は現役時代はハローワークに勤務していました。定年後も70歳を越えるまで嘱託でいました。公務員の世界では天下りなどでもない限りこんな事は、あまりありません。いかに伯父が人々から慕われ、頼りにされていたかを表すものです。
伯父は7人兄弟、全て勉強が良く出来たので私も高校時代にその時を知る先生からよくかまわれたものでした。(私は成績がいまいちだったもんで(笑)
そんな優秀な伯(叔)父達や伯父の従弟は大手企業などに勤めた人でもかなりの出世をしています。それらを、いつも自分の事のように喜び、また兄弟が苦境のときでも、実家をしっかり守り、温かく迎えてくれていました。伯父が定年を迎えたとき遠方の兄弟みんなが集まって慰労会をしたのを覚えています。
いつも兄弟が仲が良いのは、やはり長男である伯父の力による事が大きいのでしょうね。私なんぞ同じ長男でも人間性が駄目なので(笑)妹たちは、いつも毛嫌いし知らん顔です(笑)。私は、長男の理想の姿を伯父が示してくれている気がします。
紫式部
今年の流行語大賞が決まりました。トップ10の中には「歴女」もノミネートされたそうで、何か歴史に関心が深いようです。そこで先日も載せましたが、毎週火曜日にマンガ日本史が届きます。今週は紫式部です。
平安時代にかな文字が生まれました。それまでは漢字しかなく、しかも女性が漢字を書くのは、はしたないとされていたので女性は読み書きが出来ないのも同然だったそうです。
かな文字が女性向けの文字として生まれたおかげで女性が自分の思いを自由に表現できるようになりました。だからこの時期は紫式部の他に清少納言や和泉式部、藤原道綱の母などの女流文学が生まれます。面白いのは全部本名じゃないんですね。
男でも紀貫之は土佐日記を自分を女性に見せかけてかな文字で書いています。男性はまだ、かな文字を使うことが恥ずかしい時代だったようです。
和泉式部は恋多き女性として知られています。女性には申し訳ないのですが元祖カー***の人物と言われています。牛車の中で何をしていたんでしょうね。肉食女子の元祖でもあります。
この本も創刊号は180円とお値打ちでしたが490円は高いかな、薄いし。それでも、漫画だけ読めばあまり値打ちはありませんが、その他の解説は要点を抑え、内容があると思います。
平安時代はかな文字が生まれ文学が発展した時代です。和歌には掛詞(かけことば)など、油甚さんのブログのように高度なテクニックを使ったものが多いですね。
来週は平清盛。源氏を破って天下をとったものの敵の大将の妻(常盤御前)があまりに美しかったので、子供の命(源頼朝、義経)を助ける代わりに自分のものにしてしまう。さて、どうなるのかはお楽しみに。