電車の愛称
えべっさんと油甚さんが、北陸新幹線の名称が決まったことについて書いておられます。私が小学校の頃、確か山陽新幹線が岡山まで開通したとは思うのですが、そのころは、ひかりとこだまだけでした。よくクイズで「各駅停車の特急列車の名前は?」という問題があり、答えは「こだま」でした。
東北新幹線と上越新幹線ができてから、東北はやまびことあおば、上越は何とか(忘れました)とときでしたね。ときは上越線を走る特急だったから、在来線の特急をそのまま使うのだなと思いました。よく考えたら、こだまも東海道線の特急と同じ名前でしたね。
鉄道ファンが何でいるのかなと思うとやはり、列車の名称が旅の創造をかきたてるからなんでしょうね。北陸線は名古屋ー金沢・富山でしらさぎが走っています。大阪ー北陸方面は湖西線経由で雷鳥、サンダーバードなど。
少なくなったというか、ほとんどなくなりましたが急行では米原発のくずりゅう、大阪発のゆのくになど懐かしいですね。学生時代、京都から帰るのに米原の接続が悪いので、急行料金をちょっと贅沢して、ゆのくにで帰ったことがありました。残念ながら早く廃止にされてしまいましたが。
修学旅行では高校時代はまだ東北新幹線ができておりませんでした。上野発青森行きの特急・はつかり、学生時代に仙台へ行ったときは特急・やまびこ、帰りに青森から敦賀まで特急・白鳥。寝台特急の日本海は乗ったことがありませんでしたが、乗りたかったですね。
寝台列車と言えば急行・銀河。乗ろうと思ったことはあるのですが、くたびれるので早朝の新幹線にしました(笑)。きたぐにも、寝台には乗ったことがありません。
新幹線ができると、廃止にされる寝台列車や特急・急行列車。残して欲しいけど誰も使わんからね。
確認忘れ、社会人失格!
今日はいい天気でした。着物園遊会もいい天気で本当に良かったですね。朝に曳山を山蔵から出した後、午前中山番の当番だったので、山蔵前におりました。美しい着物を着た子たちが来られるのを楽しみにしておりました。
今年は、参加者が少なかったようで、いつもなら10時過ぎにはもう着物姿の御嬢さんたちが来られるのですが、一向に現れません。しばらくしてからポツポツと来られ始めました。それでも少なかったですね。コースが変わったのかな?それよりもカメラマンが多かったですね。へたしたら着物の女性1人に対して10人くらいのカメラマンがシャッターを切っておりました。
それだけでは足りないのか曳山を撮影、それにビールを飲みながら番をしている私たち(私は今飲めませんので飲みませんが)まで、カメラに収めていられました(笑)。
そして、夕方4時に後片付け。後片付けを終えたのち、本日、修理に出しておいた車を受け取りに行きました。そこで、へまをやりました。
修理代金を払って、領収書が入った封筒を受け取って帰りました。私は恥ずかしい、領収書も確認せずに帰りました。封筒を開けたら納品請求書のみ。これはアカンと思って、すぐ修理工場に電話しました。よく見たら領収証も封筒に引っ付いてありました。また電話して「ごめんなさい。お騒がせしました。」
それでも、領収証を確認していれば、すぐにこれもわかったのにと思うと「いけないな、社会人失格だな。」と反省しました。もう少しお金の扱いに注意したいものです。
明日は着物園遊会
明日は着物園遊会。毎年恒例ですが、山組の町内では曳山を出して一般公開いたします。ちょうど虫干しも兼ねております。
山番をしているといろんな地域からのお客様が来られ、中には非常に詳しい方がおられ、長浜の曳山の素晴らしさを教えていただく方もおられます。ちょうど明日から米原曳山祭りが始まりますが、「山は長浜、芸は米原」と米原祭りの関係者が言われるように、やはり長浜の曳山は素晴らしいものがございます。
美しい人はより美しく、そうでない人もそれなりに豪華で綺麗な着物を着た人が市内を練り歩く園遊会。今年は集まりが少し少ないようですが、やはりこのイベントは続けて欲しいですね。
曳山に美しい着物姿の女性は本当に似合います。明日は楽しみですね。
とにかく行楽の秋に入りました。明日は、長浜市内は華やかになるでしょうね。13日は豊公祭り、市長が年に1回秀吉になれるという、長浜市長は値打ちな役ですな(笑)。
またプロ野球はクライマックスシリーズが始まります。いい天気になるといいですね。
長浜の鉄道跡
今日、み~なが届きました。今号は黒田官兵衛の特集でした。いよいよ来年の大河ドラマが近づいてきましたね。秀吉には2人の軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛という優れた軍師がいましたからね。秀吉にはこの2人の他に実の弟の秀長が最高のナンバー2としていましたので、彼らを上手に使って天下をとったのですね。半兵衛は早く死にますが、秀長が秀吉より早く亡くなったことが豊臣氏が次で滅ぶ一因にもなったのでしょうか。
さて、じつはこれよりも、み~なの特集で「湖北は可笑しなことばかり」というものがあります。いつもこれを書いているM君が小学生の頃、北小へ行ったときに馬車道を横切ることを書いていました。この馬車道は、最初の東海道線で7年間で今の東海道線に変わったのですね。鉄道がつく前か後は、馬車が走っていたそうで、その写真が長浜の昔の写真集などによく出てきました。
何か、鉄道の歴史の街長浜にふさわしいような、歴史上の事実でございます。今のバイパスから東の上阪方面の道は今は広くなっていますが、以前はそれに沿った旧道が今でもありますが細い道でしたね。
私は覚えがないのですが、東に山東町方面に行く途中には龍ヶ鼻トンネルという、短いトンネルがあったらしいです。道を広げるにあたって、なくしたらしいですけど。
馬車道の旧線路はどこで今の線路につながっていたかと言いますと、列見のアンダーより南の焼肉ぎおん本店の近くの踏切のところです。そこに酒幸さんという酒屋がありますが、駐車場のところが丸く切ってあります。それが、つながるところの跡らしいですね。
それと木ノ本駅より北は昔は柳ヶ瀬方面に北陸線は走っていたそうです。余呉駅ではなく中之郷に行っていて、現在も旧余呉町役場の前にはホームの跡があるのでしょうか。私が高校の頃はきれいに残っていて、これが中之郷駅だったんだなと言うのがわかりました。
み~なの次号は、その旧北陸線の特集のようですね。私は鉄ちゃんではありませんが、鉄道は結構好きな方なので、楽しみにしています。
み~な編集室では何でも北陸線の思い出を集めておられるそうです。それにしても直流化から早22年。あの時に生まれた子供は大学卒業の年齢です。客車を引っ張り、あの薄汚れた車両なんか知らないだろうな。
敦賀に行けば急行くずりゅうに使っていた車両を見ることができます。
今日は昔を振り返る、後ろ向きな記事でしたごめんなさい。
土下座
札幌のしまむらでクレーマーの女性が店員とその責任者に土下座させ、また家に謝罪に来ることを要求するというようなことをし逮捕されました。ツイッターに悪ふざけやしてはならないことの写真を投稿するなど、本当にこの世も末だと思わせることがありますね。
マスゴミも、また面白おかしく書くものですから余計に調子に乗るようです。土下座は最近好評のうちに終えた半沢直樹で主人公が父親の仇(かたき)の上司にさせたことで、その場面を2人の俳優が素晴らしい演技をしたことが、どうも勘違いした人が多く出たようです。その一人が、この青木容疑者なんでしょうね。
私は幼い頃、いじめられっこで、本当に悔しい思い出ですが、小学校の5年の時だったかな3人の同級生に土下座したことがあります。その土下座を提案した、O君は近所にいまして何年か前の曳山祭りで広告を取りに来て「ぱんやさんと同級生なんです。」とバタコに言ったそうです。土下座させてから広告費を払おうかな、それも一番少額で(笑)。
おかげさまで強くなりました。この3人には入っていませんが、O君と同じ町内の同級生には同窓会で一回、シバいてやりました(笑)。
本当にあの屈辱と言うのは忘れることができません。その3人はおそらく忘れていると思いますが(笑)。
その原因はどちらにあるのかって、わかりませんが、3人対1人ですから、おそらく私がアホをしたんでしょうね。バカなところは少しも治っていない私です(笑)。
何年か前に、ある行事で、手伝っている人に何か気に障るようなことを言ったとかで、責任者が土下座をしたことがありました。こういう人を見下げて辱める行為は絶対にやめて欲しいものですね。