北陸本線100年
全然知らなかったのですが、今年は北陸本線が全線開通してから丁度100年だそうです。北陸本線は米原と新潟の直江津を結ぶ線路。実は北陸線の長浜ー木ノ本間が一番最初に開通して昨年で130年。つまり本年は131年ということになります。それから7年後に米原ー長浜も開通し、東海道線が関ヶ原ー長浜だったのが、関ヶ原ー米原に変わり、長浜の鉄道の街としての役割はわずか7年で終わりました。
よく小学校の頃、当然当時は蒸気機関車だったため、長浜の人々が「煙が嫌だから、鉄道に対して反対があった。」という長浜伝説がありました。これはそうではないでしょうね。わかりません。
さて、み~なの次号で北陸線の昔を振り返られるそうで、いろんな思い出を編集部にお知らせくださいということです。
あの直角の座席の客車などは思い出しますね。それに国鉄の時代。親方日の丸で赤字を出しても平気な体質でしたから、覚えていますよ。やたら長い車両編成。米原ー長岡という長距離の普通列車がありました。
今は、普通なら遠くても福井ぐらいが終点。それに2両や下手したら1両編成の車両が多いですね。敦賀ー米原は4両で米原でつなぐなど本当に経費を考えた車両編成ダイヤ編成になっています。
北陸線の思い出と言えば、色々ありますが、本日河毛駅前を通過して思い出したのは気動車(汽動車)でした。先ほど述べた普通列車は機関車が引っ張るものが多かったのですが、中には2両か3両編成で木ノ本ー米原もしくは彦根を走る気動車がありました。1日上下2本から3本だったと思います。
JR直流化運動が実り、長浜までの直流化が実ったのは22年前でした。その時に坂田駅と河毛駅が改修されました。坂田駅は現在の駅よりも北にある踏切のとこにありました。
覚えているのはその2つの駅とも気動車しか停まらなかったこと。また、それも最後の1両だけがホームにかからず、その車両の人は前の車両に移る必要があったということです。
北陸線は交流電化されていたので途中で車内が暗くなるデッドセクション通過ということもありました。
結構いろいろ思い出があるとは思いますので、み~な編集部に送ってあげれば面白いかもしれません。