長浜の鉄道跡

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 今日、み~なが届きました。今号は黒田官兵衛の特集でした。いよいよ来年の大河ドラマが近づいてきましたね。秀吉には2人の軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛という優れた軍師がいましたからね。秀吉にはこの2人の他に実の弟の秀長が最高のナンバー2としていましたので、彼らを上手に使って天下をとったのですね。半兵衛は早く死にますが、秀長が秀吉より早く亡くなったことが豊臣氏が次で滅ぶ一因にもなったのでしょうか。

 さて、じつはこれよりも、み~なの特集で「湖北は可笑しなことばかり」というものがあります。いつもこれを書いているM君が小学生の頃、北小へ行ったときに馬車道を横切ることを書いていました。この馬車道は、最初の東海道線で7年間で今の東海道線に変わったのですね。鉄道がつく前か後は、馬車が走っていたそうで、その写真が長浜の昔の写真集などによく出てきました。

 何か、鉄道の歴史の街長浜にふさわしいような、歴史上の事実でございます。今のバイパスから東の上阪方面の道は今は広くなっていますが、以前はそれに沿った旧道が今でもありますが細い道でしたね。

 私は覚えがないのですが、東に山東町方面に行く途中には龍ヶ鼻トンネルという、短いトンネルがあったらしいです。道を広げるにあたって、なくしたらしいですけど。

 馬車道の旧線路はどこで今の線路につながっていたかと言いますと、列見のアンダーより南の焼肉ぎおん本店の近くの踏切のところです。そこに酒幸さんという酒屋がありますが、駐車場のところが丸く切ってあります。それが、つながるところの跡らしいですね。

 

 それと木ノ本駅より北は昔は柳ヶ瀬方面に北陸線は走っていたそうです。余呉駅ではなく中之郷に行っていて、現在も旧余呉町役場の前にはホームの跡があるのでしょうか。私が高校の頃はきれいに残っていて、これが中之郷駅だったんだなと言うのがわかりました。

 み~なの次号は、その旧北陸線の特集のようですね。私は鉄ちゃんではありませんが、鉄道は結構好きな方なので、楽しみにしています。

 み~な編集室では何でも北陸線の思い出を集めておられるそうです。それにしても直流化から早22年。あの時に生まれた子供は大学卒業の年齢です。客車を引っ張り、あの薄汚れた車両なんか知らないだろうな。

 敦賀に行けば急行くずりゅうに使っていた車両を見ることができます。

 今日は昔を振り返る、後ろ向きな記事でしたごめんなさい。

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長浜の大手門通りの米嘉席のところで「正しい材料、正しい方法、正しい姿勢」をモットーにパン作りに励むパン屋です。

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