お坊さんのありがたい御話し
朝から少し暗い話しですがお許し下さい。
浄土真宗では法事や葬儀のお通夜などでごえんさん(住職)がお経を上げたあと、仏教の教典などを引用して講話をされます。講話をお聞きして「ありがたいおはなし。」と皆さんおっしゃるのですが、中には「大した話しでないわ。」と陰口を叩かれる方もおられます。
油甚さんが過日、パウワース関係者の追善法要のときのことを書いておかれました。私も同席しておりましたが、素晴らしい講話でした。また、私どもが親父の死を機会に門徒となりました安浄寺のF住職。まだ30歳弱ですが、非常に素晴らしい講話をされますので、当家の親族は法事のたびに喜んでおります。
講話(法話が正しいのでしょうか)をお聞きすると、大抵人間の死というものが題材に上がります。それをいいお話しされる方は、参列者の立場やそのとき(中陰か、何回忌か)をしっかり踏まえて、参列者が未来に向かって、どう生きるべきかを仏の道に基づいてお話しされます。つまり、参列者を中心にお話しされます。
逆に今ひとつのお話しの方は、死に関する仏教経典をやたらと並べたりして難しく語り、ご自身のことばで述べられません。それか、亡くなられた方と住職のエピソードでしょうか。つまり、自分中心で教えてたるという話し方です。
中学時代の社会の授業でH岡先生がおっしゃってました。江戸時代にキリスト教を禁止、そのために幕府は檀家制度を作り、国民は必ずどこかのお寺の所属となりました。そのとき、仏教は堕落が始まり、これ以降有名な僧が現れなくなった。と。葬式仏教や坊主丸儲けのことばが出てきたのもこのころからでしょう。
私は檀家制度は別に問題はないと思いますが、檀家に寄付を強要したり、葬式の時に法外なお布施をそれとなく要求するのはだめだと思います。
「お寺はみんなの財産なの。」と清水寺の故・大西良慶さんがおっしゃいましたが、お寺は檀家を守り、心の指導をして、それに対して檀家はお寺を守る。これが大切なことだと思います。つまり、お互いが思いあい感謝しあうということでしょうか?
草彅くんの大虎
昨日、メールマガジンの号外で草彅容疑者を逮捕とあり、「誰やいな?」と思いました。内容をよく見ると、酔っ払って裸になって騒いだからということ。厳密に言えば公然わいせつ罪ですね。また、オーバーなと言うか、家宅捜査をしたのは恐らく最近、大麻所持の芸能人が多いからでしょうか。
都会の歓楽街や下町へ行けば確かにすごい酔っ払いが多いです。数年前、大阪の新世界やジャンジャン横丁へ行って串カツを食べたのですが、昼間から酒に酔っ払って路上に座りこんで騒いでいる人がいました。
考えたら、草彅くんもそれと同じ状態だったんでしょうか。近所からやかましいと苦情があったという事ですが、赤坂は高級で静かなので、そうなったのでしょうね。新宿なら、1日中ざわついていますから、そんなことにはならなかったでしょう。
それにしても思うのが、少し過剰に反応しすぎの総務省やマスゴミ。今日なんぞ容疑者からさん付けに変わっていましたから、あきれるものです。
「最低の人間」と鳩山総務大臣は言っていましたが、過日のG7でのN元大臣はどうなんでしょうか?「畜生にも劣る」でしょうか。
草彅君は地デジのポスターやCMから、はずされるそうですが、N元大臣は、大臣を降りただけで国会議員のままです。どういいわけするのでしょう。
草彅君も騒いだタイミングが悪かったのかもしれません。悪かったことは悪かったとして反省をして、また活躍してファンに今までのように夢と希望を与えていただきたいとおもいます。またSMAPの他のメンバーもあたたかく支えてあげて欲しいですね。
それにしても国民を守る政治家や信頼関係を構築するマスコミがこんなことでは日本は厳しい。
清水由貴子さんと林真須美被告
昨日は2つの記事が考えさせられました。私達が少年時代にスター誕生からアイドルとして活躍した清水由貴子さんがお母さんの介護の疲れからか自殺しました。2006年に介護をしながらの芸能活動は無理と引退。今ではパートづとめをしながらお母さんの介護をしていたそうです。
高齢化というか老齢化社会になりました。先日の曳山祭りでも親子で中老をしている人が何人かいましたが、70歳を超えて「もう次回はこらえて欲しい。」と言う人もおられるなど、結構深刻な問題となりつつあります。
今日のワイドショーやニュースで評論家が「事情がわからないので、こんな事を言うのは失礼だがなぜ、他の人に相談などができなかったのか?」と言っていました。
実際に身内の介護を他人に任せるのはよくない事と思っている人が多いようで、介護を受ける人も赤の他人からの世話は御法度と思っている人が多いようです。
しかし、人は一人では生きていけないもの、お互いに助け合い、気軽に介護施設が利用できて、明るい老後が送れるような社会を作って行きたいものです。
それに対して、人々の信頼関係をぶち壊すことをして来た林被告。和歌山の被害地域の人達は、なんとか暖かい地域社会を再び作り出そうと懸命です。それに対して1審で黙秘をして2審から否認して裁判をおかしくする。
こんなものに再審を許す必要があるのでしょうか?松本サリンの冤罪被害者の河野さんが林被告の味方をしてるのは意外でしたが、カレー事件に限らず詐欺と殺人未遂を犯し、人々の信頼関係を無くすようにしてしまった彼女には早く消えて欲しい気がします。
曳山祭りにおける挨拶
昨日の曳山後片付けの日の夜に負担人のお店で中老の後宴が行われました。いくつかの課題はありましたが、本年の祭りが無事終えられて、みんな、喜びに満ちた席となりました。
その席で祭りのエピソードが色々と出たのですが、先日のブログの中に書いていましたようにある中学の社会見学の際に先生でもキチット挨拶される方とそうでない方がおられた話しをしました。
そしたら、「祭りは挨拶がなしでは見てもらえんと拒否せー(笑い)。」と言われた歴代負担人がいました。
あまり知られていませんが「曳山祭りは挨拶のまつり」と言っても差し支えないくらい厳格に挨拶をします。例えば1番山が芸を終えたら1番山の負担人は必ず2番山と総當番に挨拶をしなければその場を去る事が出来ません。
もし、1番山が2番山に挨拶をしていないと2番山はいつまでも芸をしません。何年か前に神輿還御の儀の際に挨拶がなく、いつまでも待たされた事がございました。それ位厳格なものであります。
これは、携帯電話どころか通信手段のない時代に、滞りなく、各地で芸を行うためにとられた昔の人の知恵なのかもしれません。現代社会では通信手段が発達し、負担人同士が携帯電話で連絡を取り合えばすむようになりました。
しかし、この挨拶は形式であっても残すべきものです。実際にこれらは社会生活で非常に役に立ちますし、スムーズな社会運営に貢献いたします。
学校で曳山祭りのことを色々と教えていただき地域のことを学ぶのはいいことですが、挨拶の意味などこの挨拶の文化を教えていくことがもっと大切で、これこそ命の伝承につながるのではないかと思います。
曳山後片付け
昨日は曳山祭り終了後初の日曜日。幸いにも好天に恵まれ、各山組みでは曳山の装飾品の後片付けが行われました。当大手町でも午前9時から行われました。
後片付けは各家や商店から1名づつ出ていただきます。但し、女性は山に登る事が出来ないので、下で部品などを磨いたり、廻りの後片付けを行います。
写真では後方の胴幕がまだ外れていませんが、当然はずして袋の中に入れます。壽山のシンボルでもある龍の金具の彫金飾りの前柱はおおいで保護します。そのほかも写真のようにカバーを取り付けます。
文政7年と書いた飾り物の入った箱のふたです。ちなみに文政7年は1824年。この年は昨年の大河ドラマ・天璋院篤姫で出て来ました徳川13代将軍・家定や幕末の花神、大村益次郎が生まれた年であります。ちなみに、壽山は天明2年(1782年)に作られております。
これも古の顔も知らない人との時間と空間の共有ですね。
こうして来年のお祭り前に山掃除を行います。祭りの本日(15日)には山蔵前で展示します(関係各位からの依頼があった場合のみですが)。それまでは、山蔵に保管されます。