早くも4年
今、パソコンを開けて驚いたのですが、尼崎のJR福知山線の事故から今日で早4年を迎えたということです。信楽の事故も5月14日で18年目を迎えます。よく覚えているなと思われるかもしれませんが、母の誕生日でその前の日曜日に大相撲で千代の富士と貴花田(後の貴乃花)の最初で最後の一番があった後だからです。
あの事故(尼崎の事故)は悲惨で、たくさんの尊い命を亡くしました。あれから、JRの姿勢は変わっているのでしょうか?信楽の事故の時は反省が足りなかった、いや反省していなかったので、あのような過密ダイヤで運転手を精神的に追い込むようなことになってしまったのではないでしょうか?
信楽の事故ではJRは信楽高原鉄道に責任を押し付けていました。尼崎ではさすがにそれはできなかったので、その後は安全を帰した運行が目立ちます。そのせいか、よく、遅れますからね。でも、事故をするよりいいと思います。
昔のように5時汽車、6時汽車という風に、1時間に1本の時代と違い、本当に北陸線は便利になりました。不満はありますが、学生時代の頃を思えば便利になっています。
利便性と安全確保、反比例する項目ですが、やはり安全性を重視した交通運営を行って欲しいものです。
タイトルに早4年としたのは、もう2つあるのです。4年前の8月8日が私事があるのと、その同じ日にというか瞬間に前回の衆議院解散が決まったのです。あの小泉内閣歴史的圧勝から早4年。2回目の任期満了解散寸前です。ある意味、そんなに深刻に考えることはないのですが、日本の行く末を今一度国民として真剣に考えなければなりません。
お坊さんのありがたい御話し
朝から少し暗い話しですがお許し下さい。
浄土真宗では法事や葬儀のお通夜などでごえんさん(住職)がお経を上げたあと、仏教の教典などを引用して講話をされます。講話をお聞きして「ありがたいおはなし。」と皆さんおっしゃるのですが、中には「大した話しでないわ。」と陰口を叩かれる方もおられます。
油甚さんが過日、パウワース関係者の追善法要のときのことを書いておかれました。私も同席しておりましたが、素晴らしい講話でした。また、私どもが親父の死を機会に門徒となりました安浄寺のF住職。まだ30歳弱ですが、非常に素晴らしい講話をされますので、当家の親族は法事のたびに喜んでおります。
講話(法話が正しいのでしょうか)をお聞きすると、大抵人間の死というものが題材に上がります。それをいいお話しされる方は、参列者の立場やそのとき(中陰か、何回忌か)をしっかり踏まえて、参列者が未来に向かって、どう生きるべきかを仏の道に基づいてお話しされます。つまり、参列者を中心にお話しされます。
逆に今ひとつのお話しの方は、死に関する仏教経典をやたらと並べたりして難しく語り、ご自身のことばで述べられません。それか、亡くなられた方と住職のエピソードでしょうか。つまり、自分中心で教えてたるという話し方です。
中学時代の社会の授業でH岡先生がおっしゃってました。江戸時代にキリスト教を禁止、そのために幕府は檀家制度を作り、国民は必ずどこかのお寺の所属となりました。そのとき、仏教は堕落が始まり、これ以降有名な僧が現れなくなった。と。葬式仏教や坊主丸儲けのことばが出てきたのもこのころからでしょう。
私は檀家制度は別に問題はないと思いますが、檀家に寄付を強要したり、葬式の時に法外なお布施をそれとなく要求するのはだめだと思います。
「お寺はみんなの財産なの。」と清水寺の故・大西良慶さんがおっしゃいましたが、お寺は檀家を守り、心の指導をして、それに対して檀家はお寺を守る。これが大切なことだと思います。つまり、お互いが思いあい感謝しあうということでしょうか?