裸参りの品格
最近の投稿を見ておりますと、天皇・皇后両陛下の金婚式と曳山祭が多いですね。長寿社会になり金婚式を迎えられる夫婦は増えて来ましたが、私の両親は4年近く前に父が急死、そのときの百か日が45周年でした。妻の方も先日義母が急死。あと少しだったのに残念です。それくらいむずかしいことなので両陛下が感謝ということばを言われるのはわかる気がします。
さて、もう一つの話題、曳山祭。その始まりを告げる裸参りも本日、最終日を迎えました。先日も記しましたように祭りに取り組む姿勢は山組によって違いがあります。また、裸参りの感じも籤取り(くじとり)人によって変わります。
籤取り人は4日間は神様扱い。大切にされます。しかし明日13日の籤取りのあとは一若衆としてこき使われます。この変化も面白いものです。
さて、裸参りの目的は江戸時代も明治時代も昭和も今も「13日の籤取りで一番いい籤を引き当てたいのと、役者の健康並びに祭りの大成功を祈願する。」ことです。これは、何回も述べていますが、古の顔も知らない人々との時間と空間の共有という非常に厳かな厳粛なものであります。
それに対して適切なパフォーマンスは裸参り及び祭りをを盛り上げます。しかし、最近(と言っても20年以上になりますが)は若衆だけでは人数が足りないため各地から助っ人を呼びます。中には一部にけんか目的で来るのがいて、裸参りの品格を台無しにすることがあります。お互いの山組がすれ違う際の緊張は見所ですが、すれ違ったあとに相手の山を追いかけたりするのはちょっといただけません。裸参りの目的をしっかりと認識して欲しいものです。
今年の大手町の籤取り人は西池君。少しパフォーマンスが過ぎるきらいがありますが非常に愉しい、いい裸参りをしているのではないかと思います。今日最後ですが、心の隅に裸参りの目的をしっかり抱いて彼らしい裸参りをして欲しいと思います。