愛想が尽きた
テーマ:政治・経済
2014/01/28 11:35
今月の月刊誌「WiLL」は“新聞、TVには愛想が尽きた”がメインタイトルです。特に亡国紙「朝日新聞」への批判が多くを占めています。その中の、元『ニュヨーク・タイムス』東京支局長、ヘンリー・ストークス氏の「臆病な日本のジャーナリズム」から抜粋したいと思います。
“2013年12月26日安倍首相が靖国神社を参拝したことに二つの理由がある。まず、国民との約束を果たしたこと、次に、靖国神社は国のために戦い、散った方たちが祀られた場所場所であり、首相が参拝することは当然である。
・・。かつてマッカーサーは、靖国神社を軍国主義、国家主義の象徴とみなし、焼き払いドッグレース場を作ろうとした。そのマッカーサーの考えを改めさせたのは、バチカン法皇庁駐日使節だったブルノー・ビッテル神父だ。彼はマッカーサーに書簡を送りこう警告した。
「戦勝国か敗戦国かを問わず、国家のために命をささげた人に敬意を払うのは自然の法であり、国家にとって義務であり、権利でもある。もし靖国神社を焼き払ったら犯罪行為であり、アメリカの歴史に不名誉極まる汚点を残す」と。
また、A級戦犯合祀のことが取りざたされるが、1952年に日本弁護士連合会が、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出したことを契機に運動が広がり、、55年7月に衆議院本会議で赦免決議が可決された。
つまり、この決議によって日本から「戦犯」はいなくなったのだ。今朝日などの大新聞が行う首相の靖国参拝批判は、国会決議を無視、否定しているに等しい。それは日本の民主主義を否定することになる。
・・。そもそも、アメリカだけでなく、首相の宗教施設への参拝について口を出すのは、内政干渉に他ならない。”以下は次回といたします。
“2013年12月26日安倍首相が靖国神社を参拝したことに二つの理由がある。まず、国民との約束を果たしたこと、次に、靖国神社は国のために戦い、散った方たちが祀られた場所場所であり、首相が参拝することは当然である。
・・。かつてマッカーサーは、靖国神社を軍国主義、国家主義の象徴とみなし、焼き払いドッグレース場を作ろうとした。そのマッカーサーの考えを改めさせたのは、バチカン法皇庁駐日使節だったブルノー・ビッテル神父だ。彼はマッカーサーに書簡を送りこう警告した。
「戦勝国か敗戦国かを問わず、国家のために命をささげた人に敬意を払うのは自然の法であり、国家にとって義務であり、権利でもある。もし靖国神社を焼き払ったら犯罪行為であり、アメリカの歴史に不名誉極まる汚点を残す」と。
また、A級戦犯合祀のことが取りざたされるが、1952年に日本弁護士連合会が、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出したことを契機に運動が広がり、、55年7月に衆議院本会議で赦免決議が可決された。
つまり、この決議によって日本から「戦犯」はいなくなったのだ。今朝日などの大新聞が行う首相の靖国参拝批判は、国会決議を無視、否定しているに等しい。それは日本の民主主義を否定することになる。
・・。そもそも、アメリカだけでなく、首相の宗教施設への参拝について口を出すのは、内政干渉に他ならない。”以下は次回といたします。