中学の恩師3人は同級生
油甚さんが本日、村居篤士(とくし)先生が賞をいただかれた事を載せておられます。あの生活反省表は村居先生が考えたものだったんですね。中学卒業以来30年余り、初めて知りました。
油甚さんが問題児らしき人であった事を書いておられますが、えてして勉強が良く出来る人は、先生方に対してそういういたずらをする傾向があるようです。私の同級生でもいまして、生徒総会などでも面白い質問をしたりしました。ただ、先輩というものは良く覚えている(逆に後輩は余程の事がないと覚えていません)のですが、私の油甚さんのイメージは「そんな人だったかな?」という感じです。
村居先生は社会科の先生で私は中学3年の時に教わりました。中学1,2年は私達の学年の先生ではなかったのですが、3年生のときD組?の担任をされました。私はC組で松宮先生という女性の英語の先生が担任。またB組は川添先生という音楽と理科の先生で、後に西中の校長先生をされました。
実は最初の社会の時間に村居先生は川添先生、松宮先生と浅井中学で同級生であった事を述べられました(他の2人の先生はそれまで一言も言われませんでしたが)。その後、他の先生方の生まれたとこまでネタにされて授業を非常に面白く、わかりやすくされました。
先生の授業の進め方は話しっぱなしではなくプリントを作り、書き込みさせながら冗談も交えたりして、何かクラス全体で授業が進んでいた、おいてきぼりのお客様がなかったなと記憶しています。
また、頭が大きいという特徴があったためでしょうか「ちぶる星人」というあだ名がありまして先生自らそれを広めておられました。社会の公民(現代社会)で国連の事務総長(当時はワルトハイムだったかな?)は「ちぶる星人がやってきたときに、地球総理大臣として会われる方。」と説明されたのを覚えています。
そうこうして、中学を卒業することになりました。担任の松宮先生が、クラスメイトに
「私は初めて3年生という学年を受け持つことになり、最初とても不安でした。そんななか、皆さんご存知のように中学の同級生の先生2人が一緒で色々と相談したりして助けていただきました。これから色々な道へ進まれることになるかと思いますが、これからも同級生を大切にしてください。それしかもうお話しできる事はないんです。」
と、ボロボロ泣きながら、卒業に当たって述べられたのを覚えております。
考えたら「できんぼ、いじめられっこ、病弱」で苦しんだ私の小学校・中学校時代にたくさんの素晴らしい先生のおかげで全て克服する事が出来ました。
幼い頃読んだ偉人の本でヘレンケラーのサリバン先生、野口英世の小林先生、野球王ベーブルースのマシアス先生など歴史上の人物も、これらの先生がなかったら存在し得ません。
今回の油甚さんの文章から恩師に改めて感謝したいと思います。