いぶし銀の三村
今日の朝の新聞を見ますと、私がファンの広島カープの元選手並びに監督で現在は楽天の編成部長をしている三村敏之氏(61)が亡くなったと書いていました。
私が小学校の頃は、巨人・大鵬・玉子焼きの影響がまだあった頃で、ONの巨人ファンでした。それが中学2年の時、山本浩二、衣笠(国民栄誉賞)らの活躍で広島カープが初優勝。カープの職人技を思わせるスリリングな野球に魅せられたのと判官びいきもあったのでしょうか、それ以来広島ファンになっております。
その後昭和54年、55年と連続日本一になりました。セリーグで巨人以外で連続日本一はこの年の広島だけです。
その中で、脇役として目立たないながら、いぶし銀の活躍を見せたのが遊撃手の三村でした。巨人戦以外はなかなか放送がありませんでしたが、テレビで広島の選手で何かやりそうな、選手だなと思って見ていたのを覚えています。
昭和54年、近鉄との日本シリーズ。近鉄が連勝して迎えた第3戦は広島球場でした。カープファンの声援をバックに近鉄の投手陣に対してしつこいバッティングで粘り、広島に勝利をもたらし、第7戦で伝説の江夏の21球で初の日本一をもたらしたのです。
その後、長嶋が2回目の巨人の監督になった時に広島の監督に就任。今の阪神の金本や先日引退した元巨人・西武の江藤、緒方、などを育て上げます。平成8年、巨人にメイクミラクルで大逆転された時が惜しかったですね。あれ以来広島はBクラスから脱出できません。
これは、FA制度で広島が不利になったこともあります。これに対する言葉が深いいのです。
「立って半畳、寝て一畳、飯を食っても2合半。いくら金持ちになっても生活するスペースも飯の量は変わらない。自分がやりやすい球団でやればいいんですよ。」
また解説者としても明快で素晴らしいものがあったのですが、ある日「日本人選手がどんどんメジャーに行って寂しいですね。」といわれて
「寂しい。確かにそうですね、でも私は日本の選手はどんどんメジャーに挑戦するべきだと思いますよ。」
今年の楽天が伸びたのも編成部長としての彼の力があればこそです。
来年広島の監督になる野村謙二郎。現役時代は先頭打者として素晴らしい選手でした。そのときの三村監督に「イチローと交換してくれと言われたらどうしますか?」と聞かれて
「絶対にしません、あれだけの素晴らしい選手が他にいると思いますか?」
三村さんの冥福をお祈りいたします。