長浜の古い町並み
昨日、たまたま店にいましたところ、観光客のご家族に「長浜の古い町並みはどのあたりですか?」と聞かれました。
現在、おかげさまで長浜は全国的にも有名になりましたが、秀吉などの歴史的なことから歴史感あふれる古い町並みが存在すると思っている人が多いようです。
しかし長浜は全国にいくつかある小京都と呼ばれる範疇には入りません。また、秀吉から城下町と思われる方も多いようですが、地理学的には長浜は大通寺の門前町に入るようです。実際に城下町というのは彦根のようなまちを指すんでしょうね。
さて、私も弱ってしまいました(いつも、この質問には弱るのですが)。近江八幡や五個荘の商人屋敷のようなものがあるわけではありませんし、実際屋敷というのはあまりありません。長浜の豪商と呼ばれた人の屋敷はほとんどないですしね。
また長浜は秀吉さんで有名ですが、江戸時代には徳川家や井伊家の「豊臣色追放」の方針から秀吉関係はほとんどありません。
長浜の面白いところは秀吉に代表される戦国時代と長浜ステーション、黒壁に代表される明治大正浪漫。そしてそれらを貫いてきた町衆精神なんでしょうね。
さて、お客様には例のまちづくり役場発行の地図をお持ちだったので、それを中心に各所を示し、街並みらしいのは舟板塀から慶雲館、長浜鉄道記念館の場所を示し、慶雲館が明治天皇の行幸をお迎えするために作られたものであること、長浜ステーションは現存する最古の駅舎であることを言いました。あとは武者隠れ道なども紹介しました。
いつもこういう質問を聞いて、答えを用意せなと思って忘れてしまうのですが、金沢や高山のように歴史的な道が意外とない長浜。これを新たに作る必要はありませんが、まちづくりについて考えさせられる日でした。
妻が言うには「木之本なんか、そういういい町並みじゃないかな。」やはり湖北が一丸となって新しいまちづくりをしなければならんなと思います。
半年目と10年目
本日9月11日は、報道などでもご存じのとおり、東日本大震災が起こってからちょうど半年です。10年前の同じ日(時差の関係がありますが)にニューヨークで同時多発テロが起こり、たくさんの犠牲者が出ました。
両方に共通するのは、想定外(そんな言葉はいけないのでしょうが)とも言える出来事であること。死者も多数出ましたが未だに行方不明の状態の方が大勢おられるということです。
同時多発テロではたくさんの日本人がなくなりました。私の叔父で以前に富士銀行(現・みずほ銀行)に勤めていたのがいるのですが、昔の同僚や後輩の方たちがたくさん亡くなったり行方不明になっているそうです。
あの、ニュース映像の取り方や、その日にたくさんのアメリカ人が休暇を取っていることから要人だけは避難させておいて外国人や移民系の人たちを犠牲にしたという噂がありますが、これを機にアメリカはとんでもない方向に行きました。後にブッシュ前大統領は日経新聞の私の履歴書でこの時のことをすごく正当化していますが、どうなんでしょうか。
震災のあとでは原発が恐ろしい事故になりました。昨日、鉢呂前(早くも前と書くのですね)経産相が失言と馬鹿な行動で辞任をしましたが、人間の醜さ、所詮他人事という姿勢は仕方ないのかもしれません。
同じ年に起こったテロと災害と言えば1995年(平成7年)の阪神大震災と地下鉄サリン事件があります。同じ年とか年は違えど同じ日におこったというのは何か感じます。
犠牲になられた方たちのご冥福をお祈りするとともに私たちは忘れることなくいい社会を築き上げていきたいものです。
今日は運動会
今日の朝、花火が上がりました。「あれ、今日は運動会か。」商売人として運動会の日を把握していないことでは恥ずかしいですね。
実は私達の業界では運動会の日は売上が低いのです。だから9月~10月は「食欲の秋」なのですが、以前は土曜、日曜に運動会が各地であったため、その日は運動会を肴に酒やご馳走を食べるため、スーパーなどにはあまりお客さんがこられませんでした。なお、前日にはサンド用の食パンをよく買われたことがありました。
最近では、長浜市などは、小学校などは各校いっせいにやられることが多いようですね。今日、浅井町方面に配達に行ったのですが虎姫中学や神照運動公園で北中学校が運動会をしていました。
先週の金曜日は北星高校が長浜ドームで運動会をしていました。
私達の頃は、学校のグランドで運動会をしていましたが、今は走りやすい神照運動公園や雨の心配のないドームを使用することが多いようです。高校では父兄が来られるのもあるようです。
私には子供がいないのでPTAの苦しみや楽しみを知らないのですが、運動会はある意味PTAの交流の場になっているようです。
ただ数年前にマナーを守らない父兄が多く出たようです。酒を飲む、煙草を吸い、その吸殻をその場に棄てる。ひどいのになるとバーベキューをするのもいたらしいですね。露天商まで出て来る運動会もあったようです。
最近幼稚化した大人、考えられない行動をする親が多いのは、そのことも原因の一つかもしれませんね。
昨年、メイさんが長小の運動会の歌(ごめんなさいリンクをよう張りません)を掲載されていましたが、昔は運動会ではなく体育大会といっていました。イメージがころりと変わりますね。
とりとめのない文章になりました。とにかく、運動会も修学旅行同様、その意味を今一度原点に帰り、子供たちの心の成長に寄与するものにして欲しいものです。
修学旅行について(小学校編)
本日、油甚さんが、伊勢神宮にお参りされた記事を読みました。それによると現在の小学校の修学旅行は伊勢ではなくUSJということだそうで、若い人たちを調べてみると数年前くらいからそうなったようですね。中学ではディズニーランドに行きますし、変わったなと思います。
ただ、伊勢へ行くのとUSJを始めとした大阪方面に行くのとでは思い出が違う気がしますね。
私や油甚さんのころは小学校6年生は伊勢・名古屋方面の旅行でした。5年生は奈良へ日帰り遠足。それが私の妹(4年下と7年下、どちらかは忘れましたが)は奈良と名古屋が入れ替わりました。同じなのは伊勢に宿泊して夫婦岩の朝日を見るというところです。
私達は伊勢神宮の内宮へお参りしたのですが、信仰心が足りないのか、はっきり言ってどんなところであったのかは、あまり覚えておりません。赤福餅を買うことばかり考えていた馬鹿な児童でありました(笑)。泊まった二見浦観光ホテル(よく名前を憶えているもんですね)では夜枕投げをやりかけて先生に怒られました。ほとんど寝られなかったことを覚えています。
翌日はバスで名古屋方面へ、名四国道を通り、四日市市では当時、四日市ぜんそくという公害病があり、空気がくさくて窓を閉めたことを覚えています。
はっきり言って2日目の名古屋はテレビ塔で卵どんぶり(一つ上の学年はカレーライスだったらしい)の昼食と小牧空港ぐらいしか覚えていません。眠かったのです。伊勢神宮と二見浦の朝日は今でもいい思い出として残っています。
小学校の春の遠足は3年生からバス旅行でした。
3年は敦賀、4年は大津、5年は奈良へ日帰り旅行。6年が1泊2日で伊勢・名古屋です。5年の奈良が唯一の電車での旅行でした。私の上の学年では伊勢旅行も電車だったようです。高速も名神ができたばかりで仕方がなかったんでしょうね。電車は先生も大変です、児童はどこへ行くかわかりませんから(笑)
奈良は京都から近鉄線でした。若草山の麓と頂上を3往復しました(馬鹿ですね・笑)。そのときこけてすりむきました。長浜駅で担任の福永先生が母に「ちょっとけがをしまして。」と伝えました。申し訳なかったですね。
電車での帰り、草津駅で当時草津線を走っていたSL(蒸気機関車)が煙をたいて車庫にありましたので皆で歓喜しました。
私のような特殊な人間だけかもしれませんが、大人になってからしょっちゅう行くUSJなどではなくこのように思い出に残る場所に遠足や修学旅行はあって欲しい。
また最近、長浜に遠足に来る学校が増えています。彼らのいい思い出に残るまちづくりに尽力していきたいものです。
自然災害の年?
今年は本当に自然災害の多い年です。年当初は大雪で山陰地方では多くの被害が出ました。3月には東日本大震災。そして9月には平成最悪の台風の被害が出ました。紀伊半島各地の被災地の写真を見ると水害の恐ろしさを感じます。そして写真を見ただけでは東北か紀伊半島かわかりません。
そんな中で、長浜は秋の観光シーズンを迎え、アートインナガハマを始め多くのイベントが目白押しになります。イベントが無事開催できる喜びとありがたさを肝に銘じて来ていただいた方に何か勇気と感動を持って帰っていただけるように頑張っていきたいものですね。
さて、つらい悲しいニュースが多い日本で女子サッカーのワールドカップで世界一に輝き、日本国内に勇気と感動を与えてくれた「なでしこジャパン」。来年のロンドンオリンピック出場権を獲得したようです。ワールドカップの後、祝勝イベントが多く調整も難しかったと思いますが、よくやりました。次は男子のワールドカップとオリンピック予選。そして、ラグビーのワールドカップです。日本頑張れ!